No.51 |
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由美グルメリン No.1‥-“秋たけなわ”ゴルフ日和の休日 at『小金井CC』&『久邇CC』♪ “自由ヶ丘の一角”『すし仙』自由ヶ丘店♪ 四谷の洒落た洋館『オテル・ドゥ・ミクニ』新館での“由美誕生日”♪
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まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき たのしき恋の盃を 君が情に酌みしかな 林檎畠の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまうこそこひしけれ―島崎藤村『若菜集』「初恋」 |
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“秋の実”が“薄紅”に染まりゆく頃となりましたが、爽やかな秋晴れの月曜日はいかがお過ごしですか? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キリンズの週末は、「霜降」とは思えないほど暖かく、柔らかな秋の陽射しの中で、ゴルフを楽しみましたが、明けて10月30日は、島崎藤村縁の宿である「中棚荘」(長野県小諸市)が制定した『初恋の日』だそうで、キリンズは、こんな秋の木漏れ日の午後は、この『初恋の日』にちなんで、久しぶりに青春時代に想いを馳せ、冒頭の詩の如く、淡い思い出に浸りましたが、あなた様にとっての“初恋”とは、どんな思い出でしたか? そしてたまには甘酸っぱい恋の思い出“初恋”とともに、この秋の静かなる午後を憂いでみませんか? |
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さて、『初恋の日』とは、元は1896年、島崎藤村が『文学界』46号に「こひぐさ」の一編として“初恋の詩”を発表したことによって作られましたが、明治のこの時代、島崎藤村の詩が、青年男女の心を捕らえた理由の一つには、大胆に、瑞々しく、恋の心を歌い上げたことにあり、藤村自身は、その情感を託すために、西洋の詩を基にして、新たに作り出された“詩型”の第一人者であったと言え、藤村はこの成功により、一躍近代浪漫主義の代表詩人として歩み出しましたが、そんな近代の風が吹く中で生まれた冒頭の詩「初恋」は、今の世の中では想像も出来ないほど初心な心持ちを謳い、さらには青春期の複雑な心を、瑞々しい響きで簡明に表現していて、それゆえに後世に至っても輝きを失わない素晴らしい詩と云えるのでしょうね。 http://www.nextftp.com/y_misa/touson/touson.html |
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《遂に、新しき詩歌の時は来りぬ。それはうつくしき曙のごとくなりき》そう高らかに宣言された藤村の詩は、今読んでも、叙情的で軟らかなリズムを保ち、穏やかさに充ちていて、中でも『若菜集』の詩は、「初恋」の他のどの詩も、詠んだときが最も美しく響く旋律を持ち、こんな秋たけなわな頃に相応しいのは、やはり上記『若菜集』からの「秋風の歌」で・・・ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
しずかにきたる秋風の 西の海より吹き起こり 舞ひたちさわぐ白雲の 飛びて行くへも見ゆるかな 暮影高く秋は黄の 桐の梢の琴の音に そのおとなひを聞くときは 風のきたるとしられけり ゆうべ西風吹き落ちて あさ秋の葉の窓に入り あさ秋風の吹きよせて ゆふべの鶉巣に隠る ―島崎藤村『若菜集』「秋風の歌」 |
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それでは、“しずかにきたる秋風”が、心地好い季節となりましたが、今週はそんな藤村の叙情的な詩を心でそっと朗読しながら、 「さびしさはいつともわかぬ山里に 尾花みだれて秋かぜぞふくよ」との想いで、“桐の梢の琴の音”に暮れ行く秋を愉しみたく思っていますので、今宵もどうか『由美』&『けんたうろす』へのご来店を心よりお待ち申し上げております。そして秋の夜長に、あなた様の秘めやかなる“初恋”の思い出などをきっとお聞かせ下さいませね。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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由美グルメリンNo.2‥『けんたうろす』11月のカクテル“紅葉06'”♪ 11月1日“OPEN” 五反田駅前“ワインバー”『ECHEZEAUX』♪ “江戸前鮨の老舗の伝統”『銀座 寿司幸本店』♪ “魯山人の芸術”銀座『久兵衛』♪ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
風船葛 弱日も吸ひて 膨らめり ―能村登四郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦では“紅葉蔦黄ばむ”「霜降」末候の頃となりましたが、だんだんと秋色が深まり行く中、秋満開の週末はいかがお過ごしですか? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この時季にはときどき、道端に何ともユニークなとげとげをもつ丸い実の形の「風船唐綿(フウセントウワタ)」を見かけますが、この実は、晩秋になるとカパッと割れて、中から綿毛と種が出てくるそうで、一度はその割れるのを見てみたいと思いつつも、いつも気が付いたら時季を逃してしまっているので、今年こそは・・・と、今から待ち遠しいばかりです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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また、これによく似た実に、初秋に生る「風船葛(フウセンカズラ)」の実がありますが、この「風船葛」は歳時記にも載り、冒頭のように句に詠まれることが多いのですが、一方「風船唐綿」の方は、同じユニークさを持ちながらも、句に詠むのがやや難しくて、これまでに「風船唐綿」の詠まれた句は、見つけられませんでしたが、そんな初秋の頃に、“フクシャ”に似た形をした白い小花を咲かせる「風船唐綿」の、“花”の時季は10月25日の≪誕生花≫で、対する“実”の時季は、11月2日≪誕生花≫となり、その花言葉もそれぞれ、“花”は≪隠された能力≫と、“実”は≪いっぱいの夢≫へと変わります。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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空に透き 紅葉いちまい づつならぶ ―長谷川素逝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは、明日からの三連休は、この奇妙な“風船玉の木”「風船唐綿」の実が割れる様を愛で、中から綿毛のようなふわふわした“唐綿”が風に揺れる・・・そんな≪いっぱいの夢≫を心に秘め、ふと見上げた秋の青空に、麗しく“紅葉”した楓の枝が広がるようなよき晩秋のひとときをお迎え下さいませ。 そして“紅葉”の紅が、“空”に“透け”て見えるほどの秋晴れの中、楓の際立った美しさを満喫できますこととお祈り申し上げます。 |
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由美グルメリンNo.3‥“奈々子さん誕生日会”♪ 『細川護熙展』at京都「柳孝」11月3日♪ 楓が天を薄くおおう境内“本阿弥光悦”の屋敷跡『光悦寺』の“紅葉”♪ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鷹みねは王城の乾なり、光悦は乾の卦なるに、かく乾に當る御屋敷を拝領仕る事、 さるべき宿世の故あるべしとて悦び申ける。東は加茂山、比叡山、如意が嶽、北は 鞍馬、貴布禰、鷹が峰西に當て二丁計り隔りぬ。麓に紙屋川水草清く、都の内 にも住まされりと思ふばかりなり。 そば傳ひの細道は山がつの通ひ路なり……ことに面白きは朝まだ空は緑に打ち晴れて、 心に懸るくまもなきに、目の及ぶ限り霧の海となり、しげりたる森は嶋のごとし。 木々の梢はふねに似たり。二条の金城、九条の塔、海上にうかみて雲をつらぬく…… ―灰屋紹益『にぎはひ草』より |
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暦ではまもなく“椿開き始む”「立冬」初候を迎えますが、暖かい秋の三連休はいかがお過ごしでしたか? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キリンズの文化の日は、京都「柳孝」へ『細川護熙展』へと参りましたが、その翌5日は細川氏が敬愛してやまない江戸初期の書家であり芸術家としても名高い『本阿弥光悦』の屋敷跡で鷹峰の『光悦寺』にて、紅く色づき始めたばかりの“楓”と、ひっそりと咲く“白椿”を愛でて参りました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さて、「寛永の三筆」の1人に位置づけられる書家として、また、陶芸・漆芸・書物・茶の湯などにも携わったマルチ芸術家として、その名を残す『本阿弥光悦』ですが、彼は、洛北鷹ヶ峯に芸術村を築いたことでも知られ、元和元年(1615年)に徳川家康から「鷹ヶ峯」の地を拝領し、本阿弥一族や町衆、職人などの法華宗徒仲間を率いてこの地へ移住しました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また光悦は、当代随一の数寄者としても知られ、茶器の真贋判定や蒐集などを通して、多くの為政者や文化人との親交を深めて参りましたが、『本阿弥行状記』によると、光悦が名器で知られる瀬戸の茶入れを手に入れようとした時、売り主が値引きしようと申し出たのを断り、自らの家財産を売り払ってまで、言い値の金30枚で買い取ったと記されていますが、彼曰く、「一つの道を極めようとする者は、目先の利益や欲に目が眩んでは大成しない」という確固たる信念を持ち、その話を伝え聞いた徳川家康は、光悦に一層の信頼を寄せるようになったと言われています。こうした光悦の人格形成に影響を与えたのは、母である「妙秀」で、上記『本阿弥行状記』には、高利貸しをしていた妙秀の娘婿の実家が大火で焼けたのを聞き、「貧しい人から吸い上げて蓄えた富は、いずれ災いのもとになり、不幸になるだろうと思っていた」と呟き、「妙秀」はその晩年には、届けられた贈り物をすべて貧しい人たちに振る舞い、90歳で亡くなったときには、僅かに唐物の反物一つ、浴衣、木綿の布団しか残ってなく、後に光悦はその母親像について、「商売人としてだけでなく、人間として正しい生き方を教えてくれた人」と回顧しています。 http://www.joho-kyoto.or.jp/~retail/akinai/senjin/honami-1.html |
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この気丈な母・「妙秀」の人柄とは、ある時は男勝りの毅然とした態度で望み、それでいて出しゃばらずに夫に対しては貞淑で、富裕な家の妻でありながらもすこぶる質素に過ごし、またその子育ては、子に少しでも良いことがあれば殊のほか喜びそれを褒め、例えば他所の親が怒って子を折檻するのを見ると、あさましいことと言い放ち、あくまでも幼い子の心が歪まないよう、むしろ喜び勇み立つよう育てるべきだと考えていました。 そんな「妙秀」に育てられた光悦の優れた人間洞察力や芸術的センスは、まさに偉大な母「妙秀」の存在があってこそ生まれ、光悦はその後、徳川家光をして「天下の重宝」と言わしめたほどの存在となります。 |
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やがて光悦の死後、日蓮宗の寺『光悦寺』となったこの地ですが、まさに上記の灰屋紹益『にぎはひ草』の如く、京の北、鷹峰三山「鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰」を見渡す景勝の地となり、楓が天を薄くおおう境内には、光悦の意気が感じられる「太虚庵」や、光悦の像を安置する「三巴亭」「了寂軒・本阿弥庵」など七つの茶室が散在し、風雅な「光悦垣」が、牛の寝た姿に似ている“臥牛”のように、ゆるやかな孤を描き、露地の向こうには、北山の連なりが見え、しっとりとした山寺の侘びた風情を漂わせておりました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
赤い椿 白い椿と 落ちにけり ―河東 碧梧桐 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは、「鷹峰三山」に囲まれてひっそりと佇む『光悦寺』にて、「艶葉(つやば)の木」“白椿”の孤高で、清新な美しさを愛で、リフレッシュして参りましたキリンズを霜月もよろしくお願い致します。そして、今宵は清楚な“白椿”が描かれた“いでたち”にて、あなた様のお越しを心よりお待ち申し上げております。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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由美グルメリンNo.4‥『奈々子さん誕生日会』♪ 11月16日解禁日&17日“Beaujolais Nouveau 2006”パーティ at 由美♪ “大分豊後水道の天然ふぐ”銀座『ふぐ福治』♪ Bar&Restaurant『ボンサルーテ』 at 銀座ワシントンホテル3F♪ |
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白露の 色はひとつを いかにして 秋の木の葉を ちぢに染むらむ―藤原敏行 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
朝晩の肌寒さに、ようやく晩秋らしい気配を感じる頃となりましたが、柔らかな日差しに包まれた秋日和の午後はいかがお過ごしですか? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今年11月の東京は、暖かい“暖冬”のため、日本列島を南下する錦秋の世界には、まだまだ程遠いようですが、それでも少しずつ、東京近郊の野や山が美しく彩られる“紅葉”の季節がやって来ましたね。 |
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さて、山を美しく染め上げる“紅葉”を代表する「楓」の代表種は「イロハ紅葉(もみじ)」ですが、この「楓(かえで)」の語源は、元は万葉の頃、葉の形が「かへる(蛙)」に似ていたため“蛙手(かえるで)”と呼ばれたことにはじまり、それが転じて、“かへんて”“かへて”となり、“かえで”となったと言われていますが、「イロハ紅葉」の名は、掌状に5〜7裂する葉の先を、「いろはにほへと」と数えたことに由来します。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また、「紅葉(もみじ)」の語源は、秋に赤や黄に変わる様子を、“紅葉づ(もみづ)”と言ったことに基づいていますが、「楓」と「紅葉(もみじ)」は、植物分類上は同じでも、「楓」の中で、特に“紅葉”の美しい種類を“モミジ”と呼ぶ説もあり、盆栽の世界では、葉の切れ込みの数や、切れ込み具合によって“両者”を呼び分けているとも言われています。http://www.yonemura.co.jp/main/engei/hyappan/momizi.htm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ところで、何故、秋の葉は美しい色彩なのか不思議に思いますが、その理由としては、樹木が厳しい冬に耐える態勢を整える「自衛説」や、また代謝がおちて色素が出来てしまう「命運説」など様々ですが、そんな中、冒頭の「古今和歌集」からの歌は、「秋になるとなぜ木の葉の色が変わるのか」ということの理由付けとして、“白露”は無色なのに、どうして秋の木の葉をさまざまな色に染めるのだろう・・・と、“白露”「染色説」が詠み込まれ、この方が風雅な感じで、落葉の前触れのような“紅葉”も、葉の老化が進んでのこととは思えないような気がしますね。http://www.nurs.or.jp/~satomi04/child/child10.htm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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秋の露 色いろことに 置けばこそ 山の木の葉の ちぐさなるらめ―「古今和歌集」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは、秋晴れの空に“紅葉”が映える頃ですが、どうかこの週末は、“山の木の葉”の“ちぐさ(様々な様子)”を観に、野や山に紅葉狩りなどへと出かけられるようなよき休日をお迎え下さいませ。そして今宵は、“紅葉”のごとく絢爛豪華な出で立ちにて、あなた様のお越しを心よりお待ち申し上げております。
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由美グルメリンNo.5‥Happy birthday to奈々子♪ “木枯らし1号”に白山茶花揺れる『久邇CC』♪ “旬の魚彩”銀座『すし処 きたむら』の“生ヤリイカ”♪ “魯山人の器に映える”銀座『久兵衛』本店5階カウンター♪ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木枯や 東京の日の ありどころ ―芥川龍之介 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦では“地始めて凍る”「立冬」次候を迎えましたが、11月12日は「立冬」に合わせるかのように冬が到来し、東京では「木枯らし1号」が吹きましたが、強風の中での休日はいかがお過ごしでしたか? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
都心ではまだ“紅葉”があまり進まないうちの「木枯らし1号」となりましたが、昔は11月中旬頃には、既に、木々は紅や黄色に染まっていたものですが、最近は地球温暖化に伴い、50年前と比べ“紅葉”する時期が2週間ほど遅くなっているので、“木枯らし”といっても、少し違和感がありますね。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さて、この「木枯らし1号」とは晩秋から初冬にかけて吹く、北よりのやや強い風のことですが、この時季は一時的ですが、冬型の気圧配置となり、その年に吹いた最初の北よりの季節風“木枯し”が「木枯らし1号」と呼ばれます。 ただ、この「木枯らし1号」には、いろいろな条件が付き、先ず、時期は10月半ばから11月末日迄で、次に風の方向が北から西北西の、木の葉を落とすような強い風とされていますから、最大8m以上の風速が必要で、また平均気温が前日よりも3度以上低くならなければならず、このような条件のもと「木枯らし1号」が発表されますが、但し、「木枯らし1号」はあっても「木枯らし2号」は発表されません。http://blog.goo.ne.jp/iwadas/e/699001b76df9a002494d13151e059c56 |
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そんな「木枯らし1号」ですが、日本広しと言えども実は東京と大阪でしか吹かず、また発表されませんが、ちなみに初春の季節風「春一番」も地域限定で、北海道・東北地方と南西諸島では発表されないようで、冬でも暖かい南西諸島はともかく、春が待ち遠しいはずの北国で、「春一番」の発表が無いというのは、ちょっと意外ですね。 http://www.rsk.co.jp/tenki/answer/004.html http://www.84p.net/tenkiya/column21.html |
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ところで「木枯らし」と言えば、由美HP essayNo.16に引用した「木枯の果はありけり海の音」の「池西言水」が有名ですが、この「言水」とは、慶安三年(1650)奈良に生まれ、重頼門で16歳で剃髪後、享保七年(1722)に73歳で亡くなるまで、俳諧に専念した“粋人”のことで、その一生は元禄十五年刊の「花見車」に、「木がらしの果はありけり、とたちあがりたる風俗に一たびは京も田舎もなづみたり」と詠み、“木枯の言水”と評されて、「言水」自身も「我が木枯の発句は人生のあらまし二つの海の心も述べたり。この句を辞世とすべし。」と常々言っていたと云われています。 また、この句は「湖上眺望」の前書きがあり、「海」は琵琶湖、「木枯」は比叡颪(おろし)のことですが、現代の山口誓子の「海に出て木枯帰るところなし」と類似し、その他、猿雖(えんすい)作の「荒れ荒れて末は海行く野分かな」、寥和(りょうわ)作の「木を枯らす風の相手や海の音」などは、まさに“言水の句”から想を得たものに思え、そんな中、冒頭の「龍之介」の句も、大正6年に「我鬼句抄」で詠まれた句ですが、“木枯の言水”を踏まえて詠んだ句なのかもしれませんね。http://www5e.biglobe.ne.jp/~haijiten/haiku1-1.htm |
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木がらしや 目刺にのこる 海のいろ ―芥川龍之介 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは今週は、この「芥川龍之介」の名句と“木枯の言水”の句へと想いを馳せ、“目刺”でも焼きながら、静かに冬の到来を待ちたく思っておりますので、吹き荒ぶ“木がらし”と、海から生まれたこの“目刺”に、微かな“海のいろ”や香りを嗅げるような、そんなよき初冬のひとときをお過ごし下さいませ。 そして、今宵はこんな“木がらし”吹く中でも“、東京の日のありどころ”と、みな艶やかな紅葉の着物にて、あなた様のご来店を心よりお待ち申し上げております。 |
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由美グルメリンNo.6‥11月16日“神のヌーヴォー”解禁【ボージョレ・ヌーヴォー祭】♪ “祝25周年”『週刊モーニング』♪ 『平田 郁展』 at 銀座ギャラリームサシ♪ “麒麟舞う如く”の秋雲流れる『泉CC』♪ 松阪チャンピオン牛“てるやす号”ステーキ『築地さとう』11月13日〜“チャンピオン牛フェア”♪ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この作品は、アール・ヌーヴォーである。 |
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日増しに彩りが深くなりつつある暮秋のひとときに、今年もワインファン待望の“新酒”の季節がやって来ました。 『由美』&『けんたうろす』では昨夜、“解禁日”の11月16日午前0時の時報と同時に、この“新酒”で乾杯し、今年の葡萄を一番早くワインで楽しみましたが、2006年のヌーヴォーは、「インターボージョレ」のプレスリリースによると、“レッドベリーのアロマとフレーバーの強い、とてもフルーティーなグレート・ヴィンテージ”と評され、「アロマ、フルーツ、まろやかさ!」と、この3つの言葉が2006年ヴィンテージの特徴で、『ボージョレ・ヌーヴォー』にとって大変良い年となりました。 |
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今年のフランスのボージョレ地区の天候は、7月の猛暑の後、9月は葡萄の収穫時期を通じて日照りとなり、加えて収量制限の為、良く熟した健康的な葡萄が収穫され、成熟の終わりと収穫(9月5日〜10月初旬)は実に素晴らしい状態で、さらに栽培者達は、収穫初日からの葡萄の状態を、とても健康的で、ハイクオリティであった2005年と比べられるほどと注目していて、ワインについての最初のコメントは、特にバイヤーやディストリビューターからの称賛の的となっていました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
そんな2006年の『ボージョレ・ヌーヴォー』の艶やかな色合いは、フレッシュさや若さの象徴である青紫色の深いローブを身に纏い、香りはとてもリッチで表現力のあるラズベリーやレッド、ブラックカラントのブーケを爆発させ、またそのテイストは、しなやかなタンニンと「ボージョレー」固有の口当たりの良いストラクチャーで丸みを佩びていて、“ヌーヴォー”それはまさに噛みしめる喜び。口いっぱいに広がる冬直前の日光。そしてその唇に笑みを齎す夏の熱情の如く魅惑的な味わいとなりました。 (ヌーヴォー2006 インターボージョレプレスリリース.)http://www.mercian.co.jp/wine/nouveau2006/lineup_1.html |
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生きてある ことのうれしき 新酒かな ―吉井勇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは、11月16日の“解禁日”&17日は、『由美』&『けんたうろす』にて【ボージョレ・ヌーヴォー祭】を催しますので、どうかご一緒に、2006年の新酒の“レッドベリーのアロマとフレーバーの強い、とてもフルーティーなグレート・ヴィンテージ”を味わっていただけますことと、あなた様のご来店を心よりお待ち申し上げております。そして今宵は、かっての時代における“新酒”とは異なるものの、「吉井勇」の句の如く昂ぶる想いで心待ちにした“新酒”を片手に、“うれしき”想いを語り明かせますことと楽しみにしております。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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由美グルメリンNo.7‥BEAUJOLAIS NOUVEAU 2006祭” at『由美』♪ 松阪チャンピオン牛フェアーA『築地さとう』“てるやす号”♪ “深夜2時まで営業”『すし仙』銀座店♪ |
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野ざらしを 心に風の しむ身かな ―芭蕉 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦では間もなく“虹隠れて見えず”「小雪」初候を迎える頃となりましたが、冷たい秋時雨が降り続いた週末は、いかがお過ごしでしたか? | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キリンズの週末は、まだまだ“紅葉”が疎らな京都へと参りましたが、今回の京都行きの目的は、単なる“紅葉”観賞だけではなく、日頃から“着物に縁のある身”としては、少しでも日本の着物文化を学ぼうと、「第一回きもの文化検定」(初回は4・5級のみ)http://www.kimono-net.or.jp/kentei/の受験に、京都会場(龍谷大学・深草学舎)へ行き、懐かしいマークシートの試験に挑んで来ましたが、ただあいにくいつもの調子で、“一夜漬け”すらもままならず、“朝漬け”のみでの挑戦でしたから、受かっているといいのですが・・・ どうか合格を祈っていて下さいませね。そして、この試験結果は、来年1月以降となる予定ですので、その際にはまたご報告させていただきます。 |
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さて、暦上ではとっくに“冬”とは言うものの、今秋は暖かだった所為もあり、昨日の秋時雨のお蔭でようやく寒さが「身にしむ」頃となりましたが、今号では季節は“冬”ながらも、芭蕉の「野ざらし紀行」の「身にしむ」から、“秋の寒さ”を表す季語を調べてみました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この「身にしむ」とは、古くは、まだ季節感を持たず、ものの哀れが秋の情趣にしぼられてくるようになってから、“秋の哀れ”を先ず知らせる“秋風”について言われるようになった季語ですが、同じ寒さを表す季語の「冷ややか」や「秋寒(しゅうかん)」よりも、やや後の季節感で、また「そぞろ寒」は、うそうそと寒く心に受けとめられるような寒さのことで、「秋寒」よりもやや強く身に覚える寒さで、さらに「漸寒」は、“漸”は次第に、徐々にの意味で、秋も半ばから末にかけての寒さのことですが、昼間は何とか凌げるものの、夜には暖房無しでは辛い・・・と言うような“冬の寒さ”に近付いた感じを云い、ようやく寒さを覚えることです。 このように、漸寒・そぞろ寒・うそ寒・肌寒・秋寒・朝寒・夜寒など“秋の寒さ”を表す季語はいろいろありますが、“寒さ”の程度は同じでも、それぞれに微妙なニュアンスの違いがあるように思え、また「寒し」と言いながらも、“寒い”は“冬”ではなく、“秋”の季語となっていて、古くは「やや寒きをのの浅茅の秋風にいつもより鹿のなきはじめけん」(前大納言資季)などと詠まれ、秋がやや深まった語感で使われてきました。http://www.okinawa-jma.go.jp/ishigaki/tenbunya/paikaji.html |
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秋寒や 行先ざきは 人の家 ―小林一茶 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは、「小雪」を間近に、“秋寒”から始まった月曜ですが、今週は街路樹の紅葉に、冬の寒さが“身に入る”のを覚えるようなそんなよき一週間をお過ごし下さいませ。 そして、ううそうそと寒い、くすぐられるような寒さの中でも、“寒さ”を観ずる心持ちによって、冬が違って思えるように、今宵も寒さを凌ぐ艶やかな装いにて、あなた様のお越しをお待ち致しております。 |
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由美グルメリンNo.8‥“上海蟹づくし”薬膳料理『Xing-Fu』銀座店♪ New HOUSE“リフォームハンドブック”北山杉での“和のリフォーム” by『ふるせ』♪ “エリック・クラプトン”日本公演 at武道館♪ レトロな雰囲気の白金の“木造の一軒家”白金ぴざ屋『カルミネ』♪ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
木の葉ふり やまずいそぐな いそぐなよ ―加藤 楸邨 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦では、いよいよ本格的な冬を迎える「小雪」初候となりましたが、“秋時雨”に濡れた祝日は如何お過ごしでしたか? キリンズは、三年ぶりに“ギターの神様”『エリック・クラプトン』の東京公演(武道館)へと行き、僅か2時間余りのライブでしたが、クラプトンの気迫あふれるギタープレイに聴き入り、さらには渋い歌声に魅了されて、“神様”の魅力を十分に堪能できた休日でした。 |
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さて、.最近では“神様”『エリック・クラプトン』と云えば、90年代以降のイメージは、“素敵なバラードの素敵なおじさま”に定着していますが、私にとっての“神様”は、あくまでも「70年代ロック黄金期の粋なエレキの天才。しかもジャンキー(薬物中毒)」と云う破滅的なイメージのアーティストで、波乱万丈という言葉が、これほど似合う人も居ないように思えます。 さらに過去には、音楽活動以外のエピソードも有名で、麻薬の他、女性関係のだらしなさや、アルコール中毒等の、ゴシップめいた噂が数え切れないほどで、その生い立ちの不幸さもファンには知られていますが、しかしこの“神様”の凄いところは、人生の中の大きな出来事が、残してきた作品とリンクしていることも多く、代表曲と言われている作品には、彼自身の大きなイベントが、影にあるように思います。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
例えば今回も演奏されましたが、“神様”のライブで、ほぼ間違いなく演奏される代表曲「Layla」は、ビートルズのギタリストで、親友でもある「ジョージ・ハリスン」の妻パティ・ボイドへの許されぬ愛を歌ったもので、その後“神様”は、恋の争いの末にパティと結婚しますが(僅か10年足らずで離婚)、その他にも「Wonderful Tonight」、「Old Love」等、パティをモチーフにして歌った曲を幾つも残しています。また「UNPLUGGED」に収録されている「Tears In Heaven」は、 1991年に4歳半で転落死した息子のコナーの死を悼んで作られたという曲で、この時期、“神様”は、再び音楽活動への意欲を失くして、アルコール中毒に戻ってしまうのではないか、と多くの人が危惧しましたが、“神様”は、常に古いガットギターを弾く事を忘れずにいて、音楽を続けることによって立ち直る道を選び、悲しみを乗り越えて、この曲が生まれたそうです。 http://d.hatena.ne.jp/tetsu328/20060702 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その後、2005年8月に発表された最新作「BACK HOME」の中に、「So Tired」という曲が有りますが、曲名からすると暗い愚痴っぽい曲なのかと思われがちですが、いざ曲を聴いてみると、今の“神様”の幸せな家族の風景が読み取れ、子供達の相手をしたあとの、心地良い疲れが伝わるような軽快な曲になっています。 |
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さらに最近の“神様”の活動は、ソロ以外でも、メンバー全員が60代になった英国の伝説的ロックバンド「クリーム」の、37年ぶりの再結成ライブ(2005年)があり、“再結成”公演としては、ロック至上最も高い関心を集め、“神様”他、ベースのジャック・ブルース(61)ドラムのジンジャー・ベイカー(65)らが、往年を思わせる華麗なパフォーマンスを展開し、3世代の観客を総立ちにさせましたが、この伝説の「クリーム」の日本公演も是非実現していただきたいですね。 |
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青天に ただよふ蔓の 枯れにけり ―松本たかし | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは、今年は「暖秋」の霜月でしたが、「師走」を迎えます前に、また『由美』&『けんたうろす』へのご来店を心よりお待ち申し上げております。 そしてこの小春日和の中で、“青天にだだよう蔓”の“枯れる”のを惜しみ、今宵は“神様”クラプトンの曲をBGMにお待ち致しておりますので、きっとあなた様にお会いできますことと楽しみにしております。 |
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由美グルメリンNo.9‥博多〜下関の旅&“大相撲11月場所観戦”♪ 福岡・天神『てら岡』本店の“くえ”&“あら鍋”♪ 山口・長府の城下町『毛利邸』&『功山寺』の“紅葉”♪ 福岡・桜坂“和の雰囲気”の一軒家レストラン『IMURI(イムリ)』♪ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
誘ふとて なにか恨みん 時きては 嵐のほかに 花もこそ散れ ―大内義長 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦では“北風木の葉を払う”「小雪」次候を迎えましたが、秋時雨から始まった今週はいかがお過ごしですか? キリンズの先週末は、“大相撲11月場所観戦”も兼ね、博多へと旅立った週末でしたが、お蔭でキリンズ贔屓の『間垣部屋』【若ノ鵬】が無事に勝ち越し、外国人力士としては、これまで白鵬が持つ18才9ヶ月を上回る18才5ヶ月での“十両昇進”が濃厚となり、“新十両”入りする“初場所”が今から待ち遠しいばかりですが、その相撲観戦の翌日にキリンズは、大相撲で賑わう博多の喧噪を逃れ、門司から関門海峡を渡り、「下関」の一角の“城下町”『長府』へと行って参りました。 |
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さて、この『長府』とは、古の“城下町”の風情を今に伝えるかのような閑静な街並みが知られ、今も風雪の跡を刻む武家屋敷や、練塀が建ち並び、その佇まいを残したまま、住民の生活の中にも『長府』の歴史が深く感じられる街ですが、この『長府』の歴史は古く、この地が「古事記」や「日本書記」などの記録の上に登場してくるのは、西暦193年と云われています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その歴史とは、約1800年前の記録によると、第14代仲哀(ちゅうあい)天皇(日本武尊の第2皇子)と神功(じんぐう)皇后が、西国平定に際し、この地に「豊浦宮(忌宮神社)」を置かれてからと伝えられ、その後、朝廷は、大化の改新(645)によって、同・郡の制度を設け、全国の重要地点に国府を配置し、国司を任命して地方行政に当たらせましたが、その時、長府地方は、穴門、阿武の2つの国を合わせて“長門の国”とし、「長門の国の国府」が開設して、「長府」と云う地名になったと云われています。 やがて、日本最初の金属貨幣「和同開珎」の鋳銭所が、『長府(現在の覚苑寺の辺り)』に置かれ、さらに仏教渡来の折には、聖武天皇が国の守りとして奈良に東大寺を建立し、この『長府』にも国分寺、国分尼寺が建てられて、また、壇ノ浦での平家滅亡の後は、守護職が置かれるなど『長府』は“長門国”の政治の中心として栄えてきました。 その後、時代が進み、周防・長門の名門大名で悲劇の人生を歩んだ「大内義長(大内義隆の養嗣であり大友宗麟の弟)」が、冒頭に掲げた辞世の句を詠んで、毛利元就に滅ぼされ『功山寺』で切腹して果てたのちは、今度は中国一円8ヶ国を支配していた毛利氏が、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで西軍に加担したために戦わずして敗れ、毛利氏が防長二州に削封されると、毛利本藩は「萩」に、「長府支藩」には毛利元就の四男・穂田元清の子・毛利秀元が就き、この秀元が大内氏の家臣・内藤隆春の居城であった串崎城(櫛崎城)を再築して「雄山城」とし、こうして『長府』の“近世城下町”としての歴史が始まりました。 |
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ちなみに、この“近世城下町”とは、城に近い場所には大身の武士を置き、外れるに従って軽身の家臣屋敷を配し、山陽道に治って町人が住む町形が設けられるという、城下町としては珍しい配置で、中世以来の街並みの構成が重んじられた結果ではないかと云われていますが、この季節は特に、練塀から見える薄っすらと色づいた“紅葉”が秋雨に美しく映え、こんな歴史的な街並みを、往時を偲びながら、のんびりと散策してみるのもなかなかの風情があり深い趣でした。 http://members.jcom.home.ne.jp/2812834911/hp_chofu/chofustart.htm |
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それでは、遥か西国の地にて、悲運の武将・大内義長へ想いを馳せ、「長府毛利邸」の白壁と、庭園に燃ゆる見事な“紅葉”を愛で、高杉晋作“挙兵の地”『功山寺』にて癒されて参りましたキリンズを今週もよろしくお願い致します。きっと霜月暮れぬ前に、またお会いできますことと、ご来店心よりお待ち申し上げております。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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