No.94

 

由美グルメリンNo.1----【由美紫陽花祭り】♪ 「不東庵」創作の奇跡【細川護煕展】開催中 at日本橋三越♪ 粋でいなせな江戸情緒溢れる“山王祭”の装い『日本橋ゆかり』♪ DRC尽くしのワインセラーと1947年の稀少なワイン!京橋『シェイノ』♪
 
青簾   山王祭り   近づきぬ  ―富安風生
暦では蟷螂生づ芒種初候を迎えましたが、水無月最初の週末はいかがお過ごしでしたか?
キリンズは連日、ご懇意にさせていただいている細川護煕元首相の「日本橋三越」で行われている『不東庵 創作の奇跡【細川護煕展】』へと出かけ、殿様が造る芸術の世界と洗練された耽美の世界に耽っておりました。http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10551654893.html
この展覧会は、今春に開催され欧州の話題を独占し、連日パリジャンで賑わった「パリ・三越エトワール展」を記念し、日本に凱旋した展覧会ですが、細川家の歴史は元は“室町”の官僚時代にまで遡り、その縁ある日本橋室町にて、十八代・護煕氏の現代に、見事、日本の美の美しさを蘇えらせました!http://www.mitsukoshi.co.jp/hosokawa/profile.html (〜14日迄)
 
♪『不東庵 創作の奇跡 細川護煕展』〜14日迄 at日本橋三越
さて、日本橋周辺では、“江戸天下祭”と称される『山王祭』の準備に入り、街の所々に提灯や火消し“纏”が見られ、江戸情緒溢れる頃となりましたが、この『山王祭』とは永田町に鎮座する「日枝神社」の祭礼を云い、近江(滋賀県大津市坂本)の「日吉大社」を勧請した多くの神社は、“日吉”または“日枝”と称しますが、中世から近世までは、「日吉山王社」とか「山王権現」とも称されたので、その祭礼も『山王祭』と呼ばれました。
この神社は元は、江戸城内紅葉山に鎮座していたために、家康公以来、徳川将軍家代々の“産土神”とされ、また江戸城下町西半部の総鎮守でもあり、「神田明神」の「神田祭」とともに将軍上覧の栄誉を誇って「御用祭」「天下祭」とも称されました。
そしてこの“祭日”は6月15日にあたり、昔は三基の本社神輿が茅場町の御旅所へ神幸する形でしたが、現在では多数の町神輿主体の祭礼に変化して、1615年(元和1)以来、『山王祭』を「神田祭」と隔年交代で執行し、神幸を出さぬ年の祭りを“陰祭(かげまつり)”と云います。
http://www.hiejinja.net/index.html
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10553560631.html
三社まつり   山王まつり   ともに雨   ―室積徂春
それでは、遠くに『山王祭』の神輿太鼓が鳴り響き、粋でいなせな江戸情緒溢れる日本橋辺りですが、今週はそんなお祭り気分高まる中で、雨に降られないことを祈り、入梅前の爽やかな天気を満喫できるようなよき一週間をお過ごし下さいませ。
尚、アメブロ「銀座由美ママの心意気」http://ameblo.jp/ginzayumimama/を毎日更新致しておますので、由美HPと合わせてご覧下さいませ。
♪6月9日〜11日【由美紫陽花祭り】
 
♪粋な江戸情緒溢れる“山王祭”の装い『日本橋ゆかり』野永喜三夫三代目若主人と明石の鯛めし!
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10552621888.html
 
♪京橋『シェイノ』伝統のフレンチ
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10553648685.html
♪老舗の“京風天ぷら”『由松』
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10555615234.html
 




















由美グルメリンNo.2-----日本古来の品種2百種2千株の花菖蒲咲く『平安神宮』“白虎池”♪ “逸品”の“喜び”を“優雅”に表現し日々精進する・・銀座『鮨 逸喜優』の優雅なる鮨♪ 松阪牛の最高級ステーキ!『築地さとう』♪
 
おのつから 置そふ露の 玉かつらかけて千世へん 菖蒲草かも―「此花集」孝明天皇御製
 
暦ではまもなく“梅の実黄ばむ”「芒種」末候を迎える頃となりましたが、梅雨入り前の週末はいかが過ごしでしたか?
私は、水無月の始まりを告げ、凛とした立ち姿で咲く高貴な花「花菖蒲」を愛でたく思い、京都へと出かけておりました。http://www.heianjingu.or.jp/09/0501.html
 
さて、似たものどうしでどちらがどうかと判断に迷う場合に、「いずれアヤメかカキツバタ」という言葉がよく使われますが、その出所は諸説いろいろで、南北朝時代の書「源平盛衰記」には、「源三位頼政が大勢の美しい官女達の中からの嫁探しをする際、はたと困惑して・・・『五月雨の 沢辺のまこも 水越えて 何れあやめと 引き添わすらむ』と詠み、あやめ御前がこれに応えて二人がめでたく結ばれた・・・」と記されており、この故事よりこの譬えが生まれました。
この“アヤメ”と“カキツバタ”との違いは、花に黄と白の“網目模様”があるのが“アヤメ=網目”で、そこに「花菖蒲」までが入ると、さらにに戸惑うばかりで、名前さえもいい当てられませんが、黄色の花なら“黄菖蒲”で、(カキツバタ”には黄色は無い)紫系でなければ概ね「花菖蒲」です!
ところが紫となると、青紫に赤紫、それぞれの濃淡で、一概に青紫だから“カキツバタ”とは言えず、その見分け方は、花弁に“網目”が無ければ“カキツバタ”、網目があって黄色の斑紋があれば「花菖蒲」、無ければ“アヤメ”で、その他さまざまな違いが見られますが、しいて言えば、「花菖蒲の葉の幅は広く、真ん中の葉脈が盛りあがっている・・・」と覚えておけばよく、並べて比較してみるとより分かりやすいのでしょうが、各々を見て言い当てるのはさぞ難儀なことと思われます。
ちなみに“菖蒲湯”や「端午の節句」に使われる“菖蒲”は全く別の植物で、サトイモ科やショウブ科に属し、花は目立たない穂状のものが咲き、香りの強いこの“菖蒲”は、咲く季節も違います。
そんな「花菖蒲」ですが、その原種は古来より自生していた“野花菖蒲”からで、さらに遡ると、稲作の始まった頃は、畦道に咲く“野花菖蒲”の開花で雨の到来を知り、田植えの時期を見計らっていたようです。
ところで、鎧兜の装飾で白抜きの“花菖蒲文様”をよく目にしますが、平安時代の末期頃から、この“文様”は好んで使われ、それは、“野花菖蒲”にある赤紫色から神聖な火を連想したらしく、「敵から身を守る霊力がある」と信仰されていたことに由来しますが、さらに、“菖蒲”に同音の“尚武”の意味に験を担ぎ、この花を好んだのでしょうが、公卿の行事であった「端午の節句」に“菖蒲”の花を飾り、“尚武の象徴”として鎧兜飾りを取り入れたのもこの頃で、武家社会で持て囃されました。
そして現代の「花菖蒲」は江戸時代に改良が重ねられたもので、「江戸系」「伊勢系」「肥後系」などが生まれ、こうして「花菖蒲」は約800年前頃より高貴な人々から好んで愛でられました。
http://kyoto-brand.com/read_column.php?cid=5127
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10561701317.html
野沢潟 雨やや晴れて 露おもみ軒にそよなる 花菖蒲かな―慈円僧正「拾玉集」
それでは、「田に水を入れる月」水無月も半ばとなりますが、そんな謂れの「花菖蒲」を『平安神宮』白虎池上の「八ツ橋」にて愛で、今宵は花言葉にある「嬉しい知らせ」を待ちたく思いますので、今週も『由美』&『けんたうろす』をよろしくお願い致します。
そして30歳を迎えたマリアさんの誕生日をお祝いいただけますこととお待ち申し上げております。
尚、アメブロ「銀座由美ママの心意気」http://ameblo.jp/ginzayumimama/を毎日更新しておりますので、由美HPの5月の更新と合わせてご覧下さいませ。
♪【由美紫陽花祭り】 
*右端の“マリアさん誕生日”をよろしくお願い致します!
 
♪花菖蒲”の咲く湿原に掛けられた板橋が「八ツ橋」で、京銘菓の名前にもなりました!
黄色い睡蓮が浮かぶの“蒼龍池”に架かる“臥龍橋”は、天正年間に豊臣秀吉によって造営された
三条大橋と五条大橋の橋脚が用いられ、この橋を渡る人には「龍の背にのって池に映る空の雲間を
舞うかのような気分を味わっていただく・・・」という小川治兵衛の作庭の意図が織り込まれています。
http://www.heianjingu.or.jp/09/0501.html
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10561701317.html
 

♪“逸品”の“喜び”を“優雅”に表現し日々精進する・・銀座『鮨 逸喜優』の優雅なる鮨
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10559918255.html
 
♪松阪牛の最高級ステーキ!『築地さとう』
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10561745843.html
 




















由美グルメリンNo.3-----杉本 彩さん大分“中津文化会館トークショー”へ!『中津城』〜別府『ホテル白菊』の特別室【ロイヤルフロア菊万葉】のひととき♪ 別府の老舗“韓国家庭料理”『味の高麗房』の珍味と絶品の韓国料理を味わった夜♪
 
古里の   山国川に   鮎釣ると  ―高濱虚子
 
暦では“乃東枯る”「夏至」初候を迎えましたが、ワールドカップで沸いた週末はいかがお過ごしでしたか?
私は友人の杉本 彩さんの大分県中津市で行われたトークショーへと出かけ、中津〜別府〜湯布院〜門司〜小倉の旅を愉しんで参りました。http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10566499348.html
さて、この「中津市」とは、大分県北西部の耶馬溪の入り口に位置し、市内を流れる“山国川”が周防灘に注ぐ、風光明媚な都市ですが、かつては「鉄道唱歌」で「豊前中津は繁華な地」と歌われた賑やかな町で、市内には、黒田如水が築城に着手し、奥平氏累代が城主をつとめた『中津城』が聳え、この城は海水を引き込んだお堀が有名で、【日本三大水城】の一つに数えられます。
私は、かねてから曾祖母(故中原恵禮那)ゆかりのこの『中津城』へ出かけることと、敷地内の「奥平神社」へ詣でることが、長年の夢でしたから、この度ようやく念願叶い、曾祖母とこの地で生まれた祖母の面影を偲んで参りました・・・(曾祖母・恵禮那は奥平家家臣・土岐氏へと嫁入りし、のち離婚・・・http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10306237539.html (2009年7月26日号他))
♪中津城 http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10566596666.html
ところで、この『中津城』とは、1587(天正15)年、九州を平定した豊臣秀吉に豊前六郡を与えられた黒田官兵衛(如水)が、その本拠として築城を開始したのが始まりで、当初は、周防灘と山国川の河口デルタを利用した天然の要塞を目指しました。
しかし、在地勢力の反発や文禄・慶長の役などによって築城工事は進まないまま、やがて関ヶ原の戦いが勃発。その後、その功績が評価された黒田官兵衛・長政親子は、筑前五十二万石に大抜擢され「中津」を去り、続いてこの地を領有した細川忠興は、翌年に小倉城を本拠とすることとなり、そのため、嫡男の忠利が中津城主となり『中津城』の工事を開始しました。もっとも、1604(慶長9)年に忠興は隠居し、再び『中津城』へ戻ってきたため、忠興の手によって三の丸増築など、大改修工事が実施され、22基の櫓を備える壮大な規模となったものの、結局、天守閣は築城されることなく終わりました・・・
そして、その後、細川忠利が肥後熊本へ転封となったことから、「中津」はしばらく小笠原氏の領有が続きますが、1717(享保2)年に奥平昌成が入封すると、以後明治維新まで奥平氏によって領有されました。
現在の『中津城』には、江戸時代からの現存建築は無く、その縄張りも大きく縮小し、川に面した本丸周辺だけが残りますが、1964(昭和39)に旧藩主奥平氏の子孫が市民の寄附を受けて模擬天守閣と二重櫓とを復興し、中津市のシンボルとして親しまれています。
http://www.uraken.net/museum/castle/shiro112.html
 
山高く海はか青に温泉は豊けしすこやかに人もおほしたつべく ―花田比露思 
 
それでは、古の城下町「中津」で祖先へと祈りを捧げ、別府温泉にゆったりと浸かり、心静かな潤いある休日を愉しんで参りしたキリンズを今週もよろしくお願い致します。
尚、アメブロ「銀座由美ママの心意気」http://ameblo.jp/ginzayumimama/を毎日更新しておりますので、由美HPの5月の更新と合わせてご覧下さいませ。
 
 ♪Happy Birthday to マリア
 
杉本 彩さん と別府温泉『ホテル白菊』前
♪別府温泉『ホテル白菊』“ロイヤルフロア”菊万葉 メゾネットタイプの客室「弓絃葉」
*癒しと快適な眠りをテーマに『ロイヤルフロア菊万葉』誕生!
http://www.shiragiku.co.jp/royalfloor.html
 
♪別府の老舗“韓国家庭料理”『味の高麗房』
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10569160187.html
 
♪湯布院『亀の井別荘』「湯の岳庵」
世界中のコレクターの垂涎の幻のワイン“スクリーミング・イーグル”
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10571024429.html




















由美グルメリンNo.4-----【優香さん誕生日会】♪ 『椿山荘』2万坪の庭園に“蛍”舞う“ほたるの夕べ”〜7月19日迄♪ 『ミクニマルノウチ』“江戸東京野菜中心”のヘルシーフレンチ♪ 『乾山』銀座七丁目店の“雅なる寿司”♪
 
恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす―「山家鳥虫歌」
 
暦では“菖蒲花咲く”「夏至」次候となりましたが、水無月最後の日曜日はいかがお過ごしでしたか?
私は一週間遅い「父の日」の会食へ、今年も初夏の風物詩“蛍の夕べ”が始まった『椿山荘』へと出かけました。
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10574851328.html
さて、“蛍”ほど多くのひとに愛された虫がいるのでしょうか・・・?
「命燃えるあかし、命の儚さ、燃えるけれども熱をもたないその光り・・・」
掲歌は、「源氏物語」の「声はせで身のみ焦がす蛍こそいうよりまさる思ひなるらめ」の歌にあるように、「静かにその身を焼く恋は“蛍”のように儚くも美しく、若い恋は真夏の“蝉”のように激しく求め合う情熱の恋かもしれませんが、本当に熱い恋は“蛍”のように静かにその身を焦がすもの」と“蝉”と“蛍”は対照的に詠まれ、恋情に焦がれる虫として“蛍”は忍ぶ恋の代表格となりました。
この“蛍”はいつ頃から存在していたのか、奈良時代に書かれた「日本書紀」(西暦720年)には、すでに“蛍”の文字が登場し、「蛍火のように輝く神や蝉のように騒がしいよくない神がいる」と記されていますが、“蛍の光”が、神のように感じられたのでしょうか、その後、平安時代になると、「万葉集」(長歌に1首のみ)や「伊勢物語」、そして上記「源氏物語」にも登場し、この時代は“蛍の光”を心に秘める炎のように例えた時代です。
そして、その語源も江戸時代の学者「貝原益軒(1630-1714)」の著書「大和本草(1709年)」によると“ほ”は“火”なり、“たる”は“垂”なりと記され、奈良時代から人々が捉えていた“蛍”の姿は、この「火を垂れる虫」が幻想的な光を放ち、飛ぶ情景や風景だけではなく、心に喩えられる“光”だったのでしょう・・・
ちなみに“蛍”は語源だけではなく、その種類にも物語があり、この虫の放つ光の違いによって、元気に飛び回り光を放つのは「源氏蛍」で、あまり動かずに光を放つのは「平家蛍」と名付けられ、「源平の戦い」を想像させますが、それほど“蛍”には不思議な魅力、美しさがあり、この“光”に何を感じるのか、それは自身の心の感じ方によるものなのかもしれませんね。
大蛍   ゆらりゆらりと   通りけり  ―小林一茶 
夏の訪れを“ゆらりゆらり”と知らせてくれる“蛍”の輝きは、幻想的な夜の美しさを演出してくれますが、都心にて、そんな古よりの「忍ぶ恋の代名詞」“蛍”の儚く繊細な“光の舞”をご覧になりたい方は、是非、この季節の『椿山荘』を訪ねて、料亭「錦水」にて、季節限定の“ほたる会席”を召し上がってみてはいかがですか?今年も“ゆらり”と漆黒の闇を飛び交う“蛍の光”が『椿山荘』の日本庭園を彩っています!
それでは水無月も残り僅かとなりましたが、きっと文月迎える前にあなた様とお会いできますことと楽しみにお待ち申し上げております。
そして今宵は【優香さん誕生日会】をどうかよろしくお願い致します。
尚、アメブロ「銀座由美ママの心意気」http://ameblo.jp/ginzayumimama/を毎日更新しておりますので、由美HPと合わせてご覧下さいませ
♪6月27日【優香さん誕生日会】
 
♪都心のオアシス“2万坪の庭園”『椿山荘』料亭「錦水」にて、「木春堂」中庵“鮨ディナー”
http://www.chinzanso.com/
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10574851328.html
 
♪憂きこともうれしきことも過ぎぬればただあけくれの夢ばかりなる・・『乾山』銀座七丁目店の雅なる寿司
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10574747949.html