No.90

由美グルメリンNo.1----由美節分祭】♪ 杉本 彩『バレンタイン スイーツ&ディナー トークショー』2月8日at宮崎観光ホテル♪ 神野美伽さんとの新年会♪ ミシュラン三年連続☆☆☆を獲得!『銀座小十』にて“晩冬”の旬魚と穴子炊込みご飯を味わったひととき♪ 本格的韓国料理を洗練されたコリアンスタイルで食べれる代官山の『李南河』♪
 
心月孤円にして 光 万象を呑む・・・

2010年は星空からのお年玉とも言える史上初の“元旦月食”と云う天文現象から、新しい年が始まりましたが、1月30日(土)は夜空に輝く“満月”が再び浮かび、まさに「心月孤円(しんげつこえん)」のごとしでしたね。この「心月孤円」とは掲句の禅語からの言葉ですが、「心の月は欠けることなく輝き、森羅万象を包み込んでいる・・・」という意味で、澄み切った満月の夜に、皓々と輝く月の光は、孤高の厳しさと美しさを備えています。そして、私たちの心もこの“満月”のように静かに輝き、さまざまな出来事を照らし出して、「人はこの満月のように、たった一人なのかもしれない・・・」と云う孤独な想いが、天空にたった一つ輝く、静かでどこか淋しげな月と深い共感で結ばれれているようなそんな気がします。

さて、月の満ち欠けは約29日周期で毎月、新月・上弦・満月・下弦が1回ずつあり、しかし、一か月の日数は2月を除けば30日か31日あるので、稀に月始めと月の終わりに満月になることがあり、この「二度目の満月」のことを「ブルームーン」 http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10424778317.html (2010年1月2日号)と呼ぶことがあります。
ただこの「ブルームーン」は、天文学上の正式な呼び方ではなく、実際に「二度目の満月」が青く見えるということもなく、ちなみに英語での「Blue Moon」は・・・“once in a blue moon”「めったにない珍しい出来事」という意味があるそうで、1年が始動した1月に“明るく輝く満月”を二度も観れる・・・というのは、妙に喜ばしく思え、この明るい“満月”が気持ちをアップさせてくれますね!

ところで、この「ブルームーン」という言葉は、実は400年以上も前から使われており、16世紀当時は、“月はグリーン・チーズでできている”ことから「非常にばかげたこと」のように使われ、この“ばかげている”という意味から、「月が青くなるなんてありえない!」=“決してない”(never)という意味が生まれ、また大気中の塵の影響で月が本当に青く見えることがあり、これも「ブルームーン」と呼ばれましたが、歴史の上では、1883年のインドネシアのクラカタウ火山の爆発は、その後約2年間、「日没を緑に。月を青に変えた・・・」と云い、このように「かなり稀でいつ起こるか分からない時の月が青く見える」ことがあるとわかり、19世紀半ばに、上記「once in a bluemoon」(めったにない)という熟語が生まれました。
その後、19世紀後半のアメリカで、キュラソーとジン、絞ったレモンで作るちょっと辛口にして淡い紫色が美しいカクテル「ブルームーン」が誕生し、20世紀に入ると、今度は流行歌が「ブルームーン」を悲しみや孤独の象徴に例え、有名な歌としては、エルビス・プレスリーの「Blue Moon
(1934)」、ビル・モンローの「Blue Moon of Kentucky(1944)」、エディ・アーノルドが歌う「When My Blue Moon Turns to Gold Again(1944)」などで、このような歌のうち半分は、幸せが訪れる歌のラストで“月は金色に変わる”ということです。
そして、その月の「二度目の満月」という意味は、この後に現れ、この意味の由来を捜したカナダのニューファンランド州メモリアル大学の民話学者フィリップ・ヒスコックは、「メイン州農民年鑑」(Maine Farmers' Almanac)に載っていた「ブルームーン」という言葉を、米国の天文雑誌「Sky
& Telescope」が1943年7月号のQ&Aコーナーで紹介し、さらに同誌は1946年3月号で“その月二度目の満月”という意味を加え、それを1980年1月に米国のラジオ局ナショナルパブリックラジオが 「Star Date」という番組で広めたものであったことを突き止めました。
ヒスコック博士は、これについて「Sky & Telescope」1999年3月号 P.52〜55及び、ウェブサイトFolklore of Blue Moonで紹介していますが、「ブルームーン」という名前の由来について、次のような調査結果を書いています。
1.チェコスロバキアからアメリカ合衆国へ移住してきた女性の話で、彼女の祖父母は「ブルームーン」という言葉を使っており、それは母国語であるチェコ語を翻訳したもの。
2.古いカレンダーから、満月を赤で、二度目の満月だけを青で印刷していた・・・と云う風説。
3.フランス語を英語に翻訳したとき生じた言葉である・・・というもので、la Double lune → double lune → de bluh loon→ 「the blue Moon」のように、“2つの月”が「ブルームーン」に変化する過程が示されています。
この他、米国のAlmanac Publishing社は、古い英語“belewe”が語原という説もあると指摘し、“belewe”は“to betray(裏切る・騙す)”という意味で、満月は毎月1回起こるのが普通だから“裏切る”ことだそうです。 http://mirahouse.jp/begin/blue_moon.html
月天に在り 影衆水に印す・・・
そんな美しい冬の“月”は、今夜も見上げるような高さで青白く煌々と輝いくことでしょうが、今宵は「一月在天」との心境で、心静に一人じっくりと自身を見つめ直してみたく思うキリンズでした。
それでは、暦上での春は間近ですが、「節分」を迎える今週はご一緒に、邪気を祓う“豆撒き”で春を呼び、今年の美しき歳徳神がいる方角「西南西」の“恵方”を向いて、「恵方巻」の福を巻き込む“太巻き”を、縁を切らないように切らずにまるごと食べ、節分気分を味わっていただけますこととご来店をお待ち致しております。
 
♪【由美節分祭】&杉本彩『バレンタイン スイーツ&ディナー トークショー』2月8日at宮崎観光ホテル
http://www.gakuon.co.jp/2009/sugimoto/index.html
http://ent.pia.jp/pia/event.do?eventCd=0948704
 
♪ミシュラン三年連続☆☆☆を獲得!『銀座小十』にて“晩冬”の旬魚三昧
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10446143291.html
 
♪本格的韓国料理を洗練されたコリアンスタイルで食べれる代官山の『李南河』
http://www.li-ga.com/
*渋谷区代官山町20-20 モンシェリー代官山B1 tel 03-5458-6300 
http://g.pia.co.jp/shop/50334
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10446983859.html
 




















由美グルメリンNo.2-----【由美Valentine's party】♪ 成長期の“広告屋”に生きた気骨の方「中村 鐵さん」に捧げる・・・♪ 吉川晃司さんの“25周年記念ツアー”「25th Anniversary “LIVE GOLDEN YEARS TOUR” 」最終公演 at日本武道館♪ 杉本 彩さんValentine's Dayプレゼント!『アンデスティノ・ショコラ』大人の味♪ “トリュフ三昧”『オテル・ドゥ・ミクニ』♪ 大分豊後水道より直送!銀座『ふぐ福治』♪
 
君逝きし   初春の空   蒼く晴れ

暦では“うぐいす鳴く”「立春」次候となりますが、“冴え返る”寒さに震えた週末はいかがお過ごしでしたか?
キリンズは、友人の吉川晃司さんの“25周年記念ツアー”「25th Anniversary “LIVE GOLDENYEARS TOUR” 」の最終公演へ日本武道館へと出かけておりましたが、ステージでは、デビュー曲「モニカ」から最新作「傷だらけのダイヤモンド」など、25年間のヒット曲など全40曲を熱唱して、超満員の武道館の観客を熱狂の渦に巻き込んでくれていましたが、最後に吉川さん自身の言葉で、「50周年に向けて、己が信じる道をひたすらに勝手気ままにやって行くのでよろしくお願い致します!」と50周年に向けての意欲を熱く語って下さり、3時間の熱いライブが幕を閉じました。

 
♪吉川晃司さんの“25周年記念ツアー”「25th Anniversary “LIVE GOLDEN YEARS TOUR” 」最終公演
http://www.kikkawa.com/
http://www.sanspo.com/geino/news/100207/gnj1002070503011-n1.htm
 
さて、そんな中で先週はひとつの悲しい出来事があり、それは31年もの長きに渡り『由美』をご贔屓にして下さった中村 鐵氏がお亡くなりになられたことですが、今号ではこの気骨の方、電通・中村 鐵元副社長に捧ぐ追悼文をここで書かせていただきます・・・
―私と「鐵さん」との出会いは、1979年の春、当時、鐵さんが所属していた“第十連絡局”の担当だった味の素・大滝幸克氏のご紹介で銀座にてお会いしたのが最初でした。出会った当初は、初対面にもかかわらず、「おまえみたいにデカイ女は好きじゃない!」とぶっちょ面で言われ、口もきいてただけなかったことを憶えています。また、初めて請求書を出したとき、「俺の名前の“鐵”の口の下は“豆”じゃない“王”だ!」と叱られてしまい、若かった私の無知を諌めて下さったことがまるで昨日のことのように思い出されます・・
さらにその後、当時慶応(鐵さんも慶応)の学生だった妹のアルバイトを後輩のよしみでお願いした折に、嫌々ながらもご紹介して下さったのに、当の妹が自動車学校への登校を理由に断ってしまい、またしばらくの間、口をきいてもらえなくなりましたが、今、思い起こせば、この事をきっかけに「どうしたら口をきいてもらえるだろう・・・」「どうしたら許してもらえるだろう・・・」かと、何とか「鐵さん」に認めてもらいたい一心で、これまで31年間、頑張ってこられたように思います。
ところで、当時の“広告屋”の男たちは“業界人”ならではのカッコよさと情熱があり、オイルショックから立ち直ったばかりの日本経済の波にのって、毎晩銀座に繰り出すパワーが漲っておりましたが、そんな、おしゃれでハイカラな輩が闊歩する銀座の“電通マン”の中でも、九州男児の気骨と照れくささを面に残す「鐵さん」は、大分舞鶴出身のラガーマンの体育会気質からか、“がに股とサイドベンツ”を信条に、「鐵さん」独特の美学と流儀がありました。
今でこそ、汐留の地に空高く聳える堂々たる自社ビルに本社を置く世界の電通ですが、この“広告屋”を世界一の“代理店”に持ち上げたのは、この時代活躍した男気溢れる男たちに違いなく、「鐵さん」の生き様は、自分が大切な人達=“得意”(クライアントなどしゃれた言葉はまだ無い頃の呼び名)や、“鐵組”の組員?を自称する“鐵ファン”の電通マンたちのために、圧倒的な劣勢でも、泥だらけになりながら、ノーサイドの笛が鳴るまで諦めず、最後まで戦いぬくその姿は、まさにラガーマンそのもので、“お得意さま”のためには、どんな困難にも一路邁進し、何をおいても先ず“お得意さま”と云う姿勢は、私の人生観そのものを変えてしまうほどのもので絶対的な存在でした。
「○○さんのために 守り続けた 電通の操〜 
今さら他人に 捧げられないわ〜
○○さんの 決してお邪魔はしないから〜 
お側に 置いてほしいのよ〜
お別れするなら死にたいわ〜
電通だから〜」―「女の操」を替え歌にした“電通社歌”
そんな「鐵さん」が好んだ“電通社歌”も、上場とともに消え、ご自身も局長→重役→副社長の地位を昇るにつれ、煙草はシガーに・・・“鐵ファッション”はサイドベンツのまま、英国屋仕立ての高級服へと変わり、仕舞いには“髯”まで生やされて、ここ数年は、大分の田舎モノから、都会的センスの“ちょい悪”オヤジを気取っていらっしゃいましたが、忘れられないのは、「副社長になったから封印」していたはずの“電通の操”を、副社長ご退任の際に歌って下さったことで、“広告屋”だった頃の情熱をそのままに、30年前が甦るかのようで、お互いに華やかだった時代が想い出され涙しました・・・もうあれほど胆力があり、義理人情溢れる任侠(おとこ)は現れないことでしょうが、この「鐵さん」たる美学と流儀を、若き時代の思い出として残したく思い、こうして追悼文を書かせていただきましたが、男女共に愛された“愛すべき豊後男児”の生き様は、まさに泥臭い熱気と信義の塊で、それは今の時代に決定的に不足している“任魂(おとこ魂)”とも言えますね。
初春の   浜の丘に   君眠る
今宵はそんな「鐵さん」が「俺の葬式に唄ってくれ・・・」とおっしゃていた「見上げてごらん夜の星をと「椰子の実」を聴きながら、皆で思い出話を語り合いたく思っておりますので、どうかあなた様も鎮魂歌としてこの歌をお聴き下さいませ・・・
 
 
 
♪杉本彩さんValentine's Dayプレゼント!『アンデスティノ・ショコラ2010』大人の味
http://un-destino.com/
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10451872483.html
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10440026905.html
 
 

♪“祝25周年”『オテル・ドゥ・ミクニ』“25周年記念メニュー”もご賞味下さい!
http://www.oui-mikuni.co.jp/cgi-local/top/index.cgi
http://r.gnavi.co.jp/g860700/
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10451853834.html
 
♪大分豊後水道より直送!2010年“ミシュラン二つ星獲得”銀座『ふぐ福治』
http://www.fukuji.jp/
http://r.gnavi.co.jp/g997500/
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10258118297.html
 
 
♪『築地さとう』松阪牛しゃぶしゃぶ
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10460243385.html
 
 
♪『日本橋ゆかり』旬魚尽くしの立春!瀬戸内の目板鰈と宍道湖の白魚
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10456288329.html
 




















 

由美グルメリンNo.3-----神野美伽さん&荒井洸子さん“シャンソンの夕べ”at四谷『蟻ん子』♪ 【けんたうろす】2月のカクテル“マラクーダ”♪ 「さようなら・・・加納」銀座で30年『銀座加納』〜3月3日迄で閉店のお知らせ・・・ 三年連続ミシュラン“三ツ星”獲得『銀座小十』“松葉かに”三昧♪ 

 
シャンソンで   魅せられた宵   バレンタイン
 
冷たい雪混じりの雨に濡れた土曜日にキリンズは、友人の神野美伽さんの“新たなる試み”シャンソンライブへと四谷のシャンソンライブハウス『蟻ん子』へと出かけました。 この『蟻ん子』で美伽さんは、シャンソン、ミュージカル、ポピュラーソング等幅広いレパー卜リーを持つ荒井洸子さんとの初のジョイントライブを行い、何でも美伽さんと洸子女史とは20年来のお付き合い・・・とかで、シャンソン界の大御所と実力派演歌歌手との夢の共演が実現しました
さて、歌は世につれ・・・と言いますが、シャンソンも時代の流れの中でさまざまな曲が生まれた歴史があり、ここでシャンソンのルーツを探ってみますと・・・
最も古いシャンソンは881年の「聖女ウーラリーの物語」であろうと言われるそのルーツとは、元は文盲の人達が多かった中世のヨーロッパで、教会の修道士達が伝道歌よりも、自作の恋の歌や、その当時の出来事や社会への風刺、 騎士達の手柄話など、こうした世情を小型のギターのような楽器を手にメロディーを付け、吟遊詩人のように各地を渡り歩いた・・・
それがシャンソンの始まりと言われています。 (日本における琵琶法師?のようなもの・・・)ゆえに、「シャンソンが語りである・・・」とか、「メッセージ性が強い・・・」歌が多いと言われるのは、こうしたルーツに由来していると思われ、ちなみにフランスでは1789年7月14日、自由、平等、博愛の三つの理想の旗の下に人々が立ち上がり、圧政の象徴とされたバスチーユ襲撃を発端にフランス革命の烽火があげられましたが、 この革命はフランスの心の音楽「シャンソン」にも大きな影響を与えました。
こうして、多声的宗教音楽から生まれた西洋音楽は、色々な楽派に受け継がれ、10世紀にはシャンソンの源流が芽生えて、やがてはフランドル楽派と呼ばれる一派が世俗的なシャンソンを開拓、叙情的な表現の中に、ルネサンス音楽を確立させたと云われています。
このルネサンス(文芸復興)を境に、セーヌ川には橋が架けられ、周辺には店が建ち並び、集まった人々を前に、大道歌手達が現われて、その後、沢山のカヴォー(クラブ)が作られ、詩人や文学者達が集まり、多くの歌手も誕生しましたが、フランス音楽の特性的なレシタティフ(朗唱)は、より独自の創造性を生み出し、数多くの秀逸なシャンソンの金字塔をも打ち立てています。
また、フランス語のシャンソンは、歌または歌謡を意味し歌曲を総称するシャントと区別されており、日本ではフランスのポピュラーソングをシャンソンと言っていますが、シャンソンは“Chanson de varietes”(多種多用の歌)として理解した方が良いと思われ、語源はイタリア語のCanzone=カンツォーネ、スペイン語のCancion=カンシオンと同じで、歌謡とか小唄とかいう意味なのですが、イギリス、アメリカのスイートなポピュラーソングに比べ、種類や形式も複雑なうえ、 多様性に富んだドラマ的要素が多いのが特徴です。
そんなシャンソンは、私達が人生で享受する様々な感情・・・愛、夢、希望、悔恨、絶望、森羅万象の避けられぬ死・・・社会への批判、風刺、戦争への抗議。
さらには、政治的なイデオロギーの内容のもの、人類平和への叫び・・・それらの主張を詩に託し、音楽のリズムにのせた民衆歌となりました。
ところで、日本で初めてシャンソンが取り上げられたのは昭和2年、宝塚レビューで「モン・パリ」が歌われたことに始まりますが、この宝塚レビューは人気を呼び、そこから、シャンソン歌手たちが生まれ、モダニズムの余韻とともに、当時「巴里小唄」「巴里流行歌」と呼ばれていたシャンソンへの傾斜が強まり、太平洋戦争の最中、1943(昭和18年)年4月には、葦原英了を中心に「東京シャンソン・クラブ」が生まれました。そして、音楽を自由に聴く楽しみを奪われていた時代におけるこのような動きは戦後のシャンソン運動の大きな起爆となり、戦後になると、淡谷のり子、高英男らが早い時期からシャンソンを歌い始め、音楽復興の高まりと共に「日本シャンソン・クラブ」が結成され、日本のシャンソンばかりではなく、日本人の創作によるシャンソンを歌うという趣旨で活動が始まりまりました。
その後、日本人の意識の中にシャンソン本来の意義が浸透し始めたのは、昭和28年に、「人の気も知らないで」「暗い日曜日」など、これらの和訳を創唱したダミアが初来日してからの事で、敗戦後の荒廃した日本の風土に、彼女の気だるい、デカダンス的な歌声がマッチしたのでしょうか、これらの外国人シャンソン歌手の来日によって、シャンソン喫茶も静かなブームを呼び「十字架」「銀巴里」「サロン日航」「ジロー」などにシャンソンの愛好家が集い、多くの新人歌手もそこから生まれ、この時期を境にシャンソンファンが増え、昭和35年位まで第一次的なブームが続きました
そんなシャンソンの特異性は、音符にのる言葉の豊さで、それはフランス語の持つ特性とも言え、例えば、日本語でメロディーにのせると、どうしても字余りになり、詩歌としての韻を合わせられないため、言葉の表現が限られてしまうのですが、フランス語では、豊富な語彙で埋める事ができ、それらが一語一語わかってゆく事により、より詩の深さがより理解でき、魅せられる・・・このように自身の感性でその詩を表現し、原曲をオリジナリティーに創唱できるのは、まさにシャンソンを唄う醍醐味でしょうね。
クラシカルミュージック、ラテン、カントリーウェスタン、ジャズ、シャンソン・・・
どのようなジャンルの歌であれ、詩は言葉であり、言葉はその心で、言葉の違いこそあれ、音楽が生み出す音の普遍性は、世界共通のメッセージですから、 時空を超え、様々な詩歌を通して、世界中の人たちと心の触れ合いができたならどんなに素敵なことでしょうか・・・
http://www2.ocn.ne.jp/~chanson/CHANSONSONOMIRYOKU.htm
http://www.news.janjan.jp/column/0701/0701238703/1.php
  シャンソンで   初春の雨に   濡れた夜
そんな美伽さんの“魂の叫び”に聴き入り、洸子女史の迫力ある歌声にしびれた2時間半余りでしたが、圧巻は「おお!我が人生(O! toi la vie オ・トワ・ラビィ)」を熱唱した美伽さんのエンディングで、まさに歌詞のごとく、“素晴らしき人生”が叶った生き様に感動したシャンソンの夜でした・・・
(2009年9月9日号)http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10337586795.html
どうかこれからも“素晴らしき人生”を歌で謳歌するお二人を応援いただけますようよろしくお願い致します。http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10458619410.html
 
 
♪由美Valentine's day party
♪『けんたうろす』2月のカクテル“マラクーダ”&神野美伽 さんシャンソンライブat『蟻ん子』
♪「さようなら・・・加納」
銀座で30年・・・『銀座加納』〜3月3日で閉店のお知らせ・・・03-3571-6081
     
 
♪三年連続“ミシュラン三ツ星”獲得『銀座小十
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10455342146.html
 




















由美グルメリンNo.4-----京都『北野天満宮』にて道真公ゆかりの梅を愛でたひととき♪ 杉本 彩さんと京都“和風中華”『竹香』古門前店の“点心極旨コース”♪ 完璧なまでの技術と感性、想像力の結晶“メニュー・ドゥ・トリュフ・ノワール”奇跡のトリュフコース♪

 
むめ一輪   一りんほどの   あたたかさ  ―嵐雪
 
暦ではまもなく“霞始めてたなびく”「雨水」次候を迎える頃となりましたが、如月最後の週末はいかがお過ごしでしたか?
春といえば“梅”・・・“梅”といえば天神さん。天神さんと言えば・・・やはり京都の『北野天満宮』ということで、私は先週土曜日から、春を告げるかのように咲き始めた優美な“梅”観賞へ京都へと出かけておりました。
さて、掲句は芭蕉の門人・嵐雪の句で、昔の人は“梅”を“むめ”と仮名書きしていたので、そのまま引用しましたが、この『北野天満宮』は、菅原道真が京都から大宰府に左遷されたときに自宅の梅の木に向かって詠んだ歌「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」が有名ですが、(由美ママブログ http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10451853834.html(2010年2月8日号でも引用)その梅の花は、道真を慕って一夜で京都から遠く九州まで飛んで行った・・・という風雅な伝説も生まれ、今も約2万坪の境内に50種約1500本の“ゆかり”の“梅”が植えられ、紅梅・白梅・一重・八重等の順に咲き始めて、これから3月初旬までが最も美しい時季を迎えます。http://www.kitanotenmangu.or.jp/
この自然が繰り返す様とは何と素晴らしいことでしょうか・・・厳しい冬のあとには必ず春が来るとは云うものの、そんな余寒に震える中で、早咲きの“梅”は12月中旬から蕾が膨らみ始めて、1月初旬には冬至梅・照水梅・寒紅梅等が寒さに耐えながら、春を告げるかのように咲き始め、境内一円馥郁(ふくいく)な香りで包まれるかのごとくです。
ところで、今の季節は“梅”の香りに誘われて多くの“観梅”客で賑わいますが、“学問の神様”とされる『北野天満宮』の参道には、たくさんの“牛”がいるのをご存知ですか?
この“牛”の石像は、頭が良くなるようにと願いを込めて“牛”の頭や角を撫でたり、体の病いが良くなるようにと“臥牛”の体を撫でるなど、「撫で牛」として信仰されていますが、御祭神「菅原道真」と“牛”との関係については、古くからさまざまな伝承があり、道真公が承和12(845)年6月25日丑年生まれというのもその一つで、他には大宰府への左遷時“牛”が泣いて見送った。道真公は“牛”に乗り大宰府へ下った。“牛”が道真公を刺客からを守った。道真公の墓の位置を“牛”が決めた・・・などの諸説いろいろで真偽のほどは定かではありませんが、神仏習合の行われた時期において、道真公が雷神と結び付けられていく過程で「天満大自在天神」という“牛に乗った神様”に例えられたというのも重要な要素になっているようです。また、ヒンドゥー教では神様の“牛”といえばシヴァ神の乗り物であるナンディンで、天神様は雷神でもあることから、シヴァ神の前身はルドラという雷神でもあるので、その同一視から“牛”が仕えているかのように思いますが、今思えば『北野天満宮』には何体の“牛”が居たのかを数えてみれ
ばよかったと悔いていますから、是非、お出かけの機会ありましたら数えていただければ幸いです。
  梅が香や   むらなく土に   至るまで  ―千代女
そんな遣唐使によって持ち帰られたとされる道真公を祭った『北野天満宮』の“梅の香”は、境内の柔らかい春の土までも行き渡り、今日も初春の青空と”梅の花”の調和の中で、美しく咲き誇っていることでしょうが、今週は“梅の香”と鶯に寄せる耽美の心を堪能できるようなよき一週間をお過ごし下さいませ。そして如月終えぬうちに、お会いできますこととあなた様のご来店を心よりお待ち致しております。
尚、アメブロ「銀座由美ママの心意気」http://ameblo.jp/ginzayumimama/を毎日更新しておりますので、由美HP www.yumi-ito.com の2月の更新と合わせてご覧下さいませ。
 
♪『北野天満宮』道真公ゆかりの梅を愛でたひととき
http://www.kitanotenmangu.or.jp/ 
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10465241692.html

 

♪杉本彩さんとの幼なじみ永田由美子女将が仕切る京都“和風中華”『竹香』の古門前店OPEN!
“お弁当・点心”のお店「竹香 古門 KOMON」
http://nttbj.itp.ne.jp/0755611209/index.html
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10413823774.html (2009年12月18日号)
♪和風中華『竹香』古門前店 “テイクアウト”と極旨“点心ランチ”
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10464497580.html
 
♪奇跡のトリュフコース“メニュー・ドゥ・トリュフ・ノワール”『オテル・ドゥ・ミクニ』
http://www.oui-mikuni.co.jp/hoteldemikuni/
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10463417789.html
 
♪『創作鉄板焼 AC広尾』の宮崎牛ディナー
http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10456831218.html