No.70

由美グルメリン No.1‥我が祖先“薩摩藩士”「中原猶介」邸跡・鹿児島県立甲南高校の石碑巡り&鹿児島への旅♪ 【由美紫陽花祭り】♪ 歴史作家・桐野作人「膏肓記」&南日本新聞にて連載中!「さつま人国誌」“知られざる逸材・中原猶介”♪ ミュシュラン三ツ星『銀座 小十』の“うまいめし道”♪  完全予約制の“隠れ家”銀座 寿司処『加納』♪
 
よしや身は越路の雪に埋むとも くる清水に名をやながさむ―薩摩藩士「中原猶介」辞世の句
日曜日から水無月を迎えましたが、雨模様の月曜日はいかがお過ごしですか?
「雨の日と月曜日」は、Rainy Days and Mondays always get me down と、カーペンターズの歌の歌詞にもあるように、灰色の空を見上げると、何となく気分が重くなってきますが、そのメロディと歌声は、歌詞とは裏腹にあまりにも美しくて、不思議なのもで、この曲を聴くと、ほんの少しですが気分が軽くなり、“梅雨入り”間近な憂鬱を和らげてくれるかのようですね。
私はこの週末は、そんな中、すでに“梅雨入り”した鹿児島へと、両親の金婚式の祝いも兼ね家族旅行に出かけておりましたが、お蔭で、梅雨とは思えないほどの晴天に恵まれ、真夏並みの暑さながらも、初夏の爽やかな風が薫る中で、鹿児島への旅を満喫することができました。
さて、今回の旅の目的は、2006年に創立百周年を迎えた鹿児島県立「甲南高校」への訪問が第一の目的で、その訳は、かつてこの「甲南高校」に、薩摩藩士『中原猶介』の邸があり、この『中原猶介(なおすけ)』とは、母方の祖先にあたり、西郷隆盛や大久保利通と同時代に生きた人物なのですが、雄図半ばで逝ったため、“維新を見ずに散った志士たち”として紹介されてはいるもののその名を知る人は少なく、今では、この校庭の南門に位置する「中原猶介翁宅址碑」の石碑と「三方限出身名士顕 彰碑」になどに名が刻まれているだけなのですが、この地を訪れることが、母の長年の夢でしたから、先ずはその夢を叶えることが何よりの親孝行でした。
『中原猶介』については、歴史作家の桐野作人氏が、南日本新聞の連載「さつま人国誌」にて、“知られざる逸材・中原猶介”として、2008年2月2日から三回に亘り書いて下さっていますが、http://373news.com/_bunka/jikokushi/43.phpここでは、桐野氏のブログ「膏肓記」での記事を少し紹介させていただきますので、どうかご覧下さいませね。
―『贈正五位中原猶介事績稿』 最近、古書で入手したものである。著者は中原の子と孫である。
中原猶介といっても、知る人はほとんどいないかもしれない。幕末の薩摩藩士である。生没年1832-68。
西郷隆盛より五歳、大久保利通より二歳年下で、同時代の人物である。
中原は薩摩藩の集成館事業の中心に位置し、また江川坦庵塾の塾頭を務めるなど、優れた科学者(化学・蘭学・造船・電気・硝子など)であり、砲術家でもあった。
弱冠17歳にして、藩主斉興のお庭方として出仕し、斉彬時代には、反射炉建設、造船所建設、昇平丸建造などに才能を発揮している。また水雷・地雷の発明にも関わり、薩摩切子として知られる紅硝子などの発明にも中原の働きが大きいという。
さらに安政二年(1855)には、鹿児島城内の本丸休息所と二の丸花園までの、およそ500mの間に電線を架設して電信実験に成功している。情報の重要性を知り抜いていた島津斉彬は鹿児島と江戸藩邸の間に電線を敷設するための調査まで命じていたという逸話さえ残っている。
中原はまた優れた軍人でもあった。とくに砲術の専門家だった。
元治元年(1864)7月、禁門の変では、中原は軍賦役兼大砲隊長を拝命している。
このときの軍賦役はほかに西郷吉之助と伊地知正治だから、中原の地位の高さがうかがえる。
戦闘では、中立売門で攻勢をかける長州藩兵に対して、中原の砲隊が後方から葡萄弾(炸裂弾の一種か)を浴びせたため、猛将来島又兵衛が討死し長州勢は敗走のやむなきに至った。
戦後、中原は功績を称えられて、感状と陣羽織・佩刀を授与されている。戊辰戦争でも大いに活躍している。
鳥羽伏見の戦いでは、中原は薩州一番砲隊を率いて伏見口に陣した。麾下は四斤半施条砲三門である(配下の右半隊三門は鳥羽口に分派)。数は少ないが、高性能の大砲だった。
中原らは伏見奉行所の旧幕軍(会津藩、新選組など)とわずか100mくらいの距離でにらみ合う。戦端が開かれたのは一月三日夕刻だった。
その模様を、中原の「御届書」(省略)から見てみると、会津藩兵や新選組の接近戦を大小の銃砲火で撃退した様子がよくわかる。
その後、中原は海軍参謀、次いで参謀に任ぜられ、北陸征討軍に加わる。
北越の地では、長岡藩家老、河井継之助らと対峙した。
中原は軍議で、7月25日の進撃を表面上決定しておき、じつは24日夜半の奇襲攻撃をするよう提案したが認められず、25日未明の進撃に決した。
ところが、河井らが機先を制して、24日深夜に長岡城奪還の奇襲攻撃をかけてきた。
中原は砲隊を率いて奮戦したが、右膝頭に銃弾を受けてその場に倒れた。
のちに柏崎の野戦病院に収容されたが、戦友や医者たちの勧告にもかかわらず、一切の手当てを拒否して、
8月7日、長岡城再奪還の吉報を聞きながら他界したという。享年37歳。
中原がそのまま存命ならば、薩摩藩では西郷・大久保に次ぐ地位を占めたのは間違いないだろうと思われる。
惜しまれる早死だったゆえに、その名前や足跡が忘却されているのは残念である。
http://dangodazo.blog83.fc2.com/category5-2.html
以上のように桐野氏が、我が祖先・薩摩藩士『中原猶介』を書いて下さっていますので、機会がありましたら、是非上記「膏肓記」や、南日本新聞に連載中の「さつま人国誌」をご覧いただけますようよろしくお願い致します。
それでは、維新の地・鹿児島にて遥か祖先の碑に想いを馳せ、古事記にも綴られているニニギノミコトを祀る「霧島神宮」の荘厳な空気に触れ、思いっきりリフレッシュして参りましたので、今宵も『由美』&『けんたうろす』へのご来店を心よりお待ち申し上げております。
 
 
 
♪6月4日〜7日『由美紫陽花祭り』
 
♪我が祖先“薩摩藩士”『中原猶介邸跡 石碑』 鹿児島県甲南高校の敷地内の南東角にて
♪『仙巌園』からの桜島
♪『仙厳園
   
♪“天孫降臨”の地 ニニギノミコトを祀る『霧島神宮』http://www.kirishimajingu.or.jp/
♪“日本の滝百選”『龍門滝』&和気清麻呂と狛猪『和気神社』
http://www.myoken-onsen.com/ctz/sightseeing/s-sight-waki-j.html
 
♪『銀座 小十』
*中央区銀座8-5-25 第2三有ビル1F 
TEL6215-9544
http://www.kojyu.jp/

♪ミュシュラン三ツ星『銀座 小十』の“うまいめし道” 
週刊ポスト6月6日号で紹介されたコシヒカリ
   
 
♪完全予約制の“隠れ家”銀座 寿司処『加納』
*中央区銀座5-4-15 エフローレビル4F tel 3571-8177





















 
由美グルメリンNo.2‥-青葉輝く『カメリアヒルズCC』♪ 『椿山荘』“ほたるの夕べ”〜7月18日まで♪ 『けんたうろす』6月のカクテル“青梅雨”♪ 「KENT'S」グループの“イタリアン”銀座『アルケントーレ』♪ 京橋の一角“伝説のオーナーシェフ”井上 旭の店『シェイノ』♪ “漢方養食湯と鱶鰭料理”『白金劉安』♪
 
橘の かおる軒場の 窓近く 蛍飛びかい おこたり諫むる 夏は来ぬ
                          ―佐々木信綱「夏は来ぬ」より
 
暦では“腐草蛍となる”「芒種」次候を迎える頃となりましたが、梅雨の合間の“五月晴れ”の週末はいかがお過ごしでしたか?
キリンズはアクアラインを渡り、紫陽花咲く『カメリアヒルズCC』へと連日出かけておりましたが、お蔭で両日とも爽やかな真夏日となり、蒸せ返るほどに濃く茂る青葉が眩しく輝く中で、長閑に小鳥たちの囀りを愉しんで参りました。
この時季の風物詩は、何と云っても“蛍”なのですが、この『カメリアヒルズCC』では、“蛍”を飼育し、自生・生息できるような環境づくりにも励んでおり、ここで育った蛍たちは、ちょうど今の季節には、明治時代に築庭された『椿山荘』の日本庭園でも楽しむことができるようですから、今月は是非、名園の清流のせせらぎだけが聞こえる静かなる闇の中で、小さな光が“飛びかい”、あたり一面が神秘的な雰囲気に包まれる初夏の風雅を味わってみてはいかがですか?(〜7月18日(金)まで)http://www.chinzanso.com/campaign/hotaru/index.html
さて、“蛍”については、由美HP www.yumi-ito.com のエッセイNo.58 グルメリンNo.3で、既に書かせていただいておりますが、古典に於いての“蛍”の文字は、「日本書紀」に「彼地多有蛍火之光神や蛍火」とここで初めて登場し、但し、日本には化石もなく、いつの頃から“蛍”が存在していたのか定かではありませんが、平安時代になると「万葉集」「源氏物語」の中に幾多も“蛍”の文字が現れるようになり、「蛍は水辺に住んで光るもの」と記されている文献もあることから、この時代には既に“蛍”が存在していたと思われます。
また、「枕草紙」で、季節について「夏は夜 月のころはさらなり 蛍の多くとびちがいひたる」と記されていることから、清少納言は、ほのかな光を放ちつつ飛び回る“蛍”に、夏の「をかし」を感じ、この時代から夏の風物詩であったことが分かりますが、“蛍”はしばしば燃える恋の想いにも例えられ、「後拾遺和歌集」にある源重之の歌、「音もせで思いに燃ゆる蛍こそ鳴く虫よりもありもあはれなりけり」は、俗謡の「恋し恋しと鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」の本歌となっていて、当時の“蛍”に託する想いは“身を焦がす”ような切ない片思いですが、「源氏物語」第二十五帖「蛍」の巻には、光源氏が部屋に“蛍”を放ち、玉鬘の美しさを“蛍の光”でいっそう引き立たせる場面がありますが、この“蛍”を用いての心憎いまでの演出は、想像するだけで風雅な様が思い浮かぶようで“源氏ボタル”の名はこの場面に由来するとも云われています。http://www.geocities.jp/mae_miyazaki/sizen/hotaru/hotaru_rekisi.htm

そんな“蛍”が登場する「ことわざ」は、上記“鳴かぬ蛍が身をこがす”の、「蛍は鳴き声を立てないが、自分の身を焦がしていることから、口に出して言わぬものの方が、心の想いは切実である」という意味の言葉や、“水に燃えたつ蛍”「水の上で光続ける蛍の“水”に“見ず”をかけて、恋しい人に会えず、心を焦がす状態に譬える」など様々ですが、「儚い」「おぼろげ」といった印象から、“蛍”には、人生の儚さや、叶わぬ恋に対する焦燥感を詠ったものが多いようですね。
http://www.aiainet.jp/~mz/nishimoto/nishi13_1.html

 
五月闇 蛍飛びかい 水鶏なき 卯の花咲きて 早苗植えわたす 夏は来ぬ
                          ―佐々木信綱「夏は来ぬ」より
 
それでは今週は、都会のオアシス『椿山荘』にて、夕暮れの空が刻々と闇と融合し、一体となった闇夜の清流に、ふわふわと不思議な動きで美しく舞う、幻想的な“蛍”の夜間飛行を見られるような、よき一週間をお過ごし下さいませ。
 
♪『由美紫陽花祭り』
 
 
♪『けんたうろす』6月のカクテル“青梅雨”
 
♪“五月晴れの『カメリアヒルズCC』 http://www.camelliahills.com/
     
 
♪「KENT'S」グループの“新しいお店”銀座『リストランテ アルケントーレ』

*中央区銀座8-2-1 ニッタビル10F tel 3572-1991 ☆予約は大舘 草間まで。
http://www.olive-hill.com/al_kentre/index.html
 
♪京橋の一角“伝説のオーナーシェフ”井上 旭の店『シェ イノ』
*中央区京橋2-4-16 明治製菓本社ビル1F tel 3274-2020 
http://www.manoirdinno.com/chef_index.html
 
♪“漢方養食湯と鱶鰭料理”『白金劉安』*鱶鰭姿煮コラーゲンそば \4900
*港区白金台5-13-35 tel 3448-1978 
http://www.shirokane-ryuan.com/

 

 




















 

由美グルメリンNo.3‥-Happy birthday to マリア♪ 爽やかな“五月晴れ”『小金井GC』♪ 東京駅から3分“小京都を想わす都心の料亭”『日本橋ゆかり』夏の旬彩♪ 銀座『福治』ふぐ以外の夏のメニュー“鱧づくし”♪ 『源 吉兆庵』“お中元好適品”桃ぜりぃ&飲む水ようかん&マスカットしゃーべっと♪

 
茨の花   ここをまたげと   咲きにけり  ―小林一茶
 
では“梅の実黄ばむ”「芒種」末候となりましたが、「父の日」の週末はいかがお過ごしでしたか?
あいにく我が父は、かつて杉原千畝が活躍したリトアニアへと外遊中で、今朝、一週間遅れの「父の日」を祝うため、今週末着で“黄色い薔薇”を送る手配をしたところですが、ただ、せっかくのこの「父の日」も、岩手・宮城内陸地震の被災地の方々には、それどごろではなく、本当に心よりのお見舞いを申し上げますが、被災地近郊では今だに余震が続いている様子ですので、どうか一刻も早く生活の平安が取り戻されることとお祈り致しております。

さて、「父の日」の始まりは、1909年、アメリカのJ・B・ドット夫人が5月の「母の日」に対して、「父の日がないのはおかしい。父を感謝する日を作ってほしい。」と牧師協会に嘆願したことが始まりと言われていますが、このドット夫人とは、幼い頃に母親を亡くし、父親(ウィリアム・ジャクソン・スマート氏)の男手ひとつで育てられた6人兄弟(男の子5人女の子1人)の末娘で、時は南北戦争後の悲劇の時代でしたが、そんな辛く貧しい時代にもかかわらず、再婚もせずに生涯にわたって子供たちのために働き続けた父に、ドット夫人は「父の日」を提唱することで、その絶え間ない父の努力と深い愛情に感謝したいと思ったことが始まりです。http://www.fdc.gr.jp/pro/index.html

その後、この「父の日」の行事はアメリカ中に広がり、1916年に全国的に認知されるようになり、やがて1926年には「ナショナル ファーザーズ・デイ コミッティ」がニューヨークで結成され、1972年にアメリカの国民の休日となりましたが、ちなみに「父の日」の花は“黄色い薔薇”が定番で、“ばら”にちなんで掲句に“ばら”の句を引用させていただきましたが、この“黄色い薔薇”とは、初めて「父の日」を祝った日に、ドット夫人が亡き父親の墓前に白い“バラ”を手向けたことと、“黄色いリボン”からの由来なのですが、イギリスでは古来より“黄色”は「身を守るための色」とされており、南北戦争時代には兵士の無事を祈る“黄色のリボン”の伝統がありましたが、大切な人の無事を祈る・・・という意味で「父の日」のシンボルとなった“黄色いリボン”は、幸福や希望の色であり、また風水では裕福の象徴でもある“黄色”は、まさに頼りがいのある父親の姿を想像させられるかのようですね。
http://www.kanshundo.co.jp/sweet/father/event_01.htm

 
愁いつつ   岡にのぼれば   花いばら  ―与謝蕪村
 
それでは、“父親を尊敬し称え祝う”「父の日」翌日の今宵は、ウィリアム・ジャクソン・スマート氏の子供たちへの深い愛情に敬意を籠め、部屋中に“黄色い薔薇”を飾りたく思っておりますので、あなた様も、もしお父様がご健在なら、感謝の気持ちを“黄色い色”に託して、花の種類や花言葉にとらわれず、素敵だと思うお花や植物を心を籠めて贈り物をしてみてはいかがでしょうか?
そして、今宵は「幸福の色」“黄色”の装いであなた様のご来店を心よりお待ち申し上げておりますので、今週も『由美』&『けんたうろす』をよろしくお願い致します。
 
♪Happy birthday to マリア  13,Jun, 2008
 
♪爽やかな“五月晴れ”『小金井GC』
♪東京駅から3分“小京都を想わす都心の料亭”『日本橋ゆかり』

*中央区日本橋3-2-14 tel 3271-3436
http://nihonbashi-yukari.com/
http://r.gnavi.co.jp/g322600/
      ♪『日本橋ゆかり』野永喜三夫三代目ご主人    
 
♪銀座『福治』 ふぐ以外の“夏の魚彩” 鱧づくしコース \15000〜
*中央区銀座5-11-13 幸田ビル3F tel 03-5148-2922 
http://r.gnavi.co.jp/g997500/
 
♪“薬膳料理”銀座『Xing-fu』本店
♪“医食同源”中国薬膳料理『Xing-fu』銀座本店 *中央区銀座6-9-9 かねまつビル6F 3289-4245
http://www.xingfu.co.jp/
 
♪“お中元好適品”『源 吉兆庵』
http://www.kitchoan.co.jp/


“桃ぜりぃ”&“飲む水ようかん”&“マスカットしゃーべっと”
 
 
 




















 
由美グルメリンNo.4‥----NEW 当社顧問弁護士・『須田 清』著「プロの交渉術」byソーテック社♪ 昭和27年より創業“銀座の老舗店”天ぷら『由松』の京風天ぷら♪ 四谷の閑静な一軒家“三國シェフ”のフレンチが堪能できる『オテル・ドゥミクニ』♪ “銀座七丁目”中央通りの和の佇まい「源 吉兆庵」の懐石料理『松濤 粋』♪ “松阪牛”他、こだわりの銘柄牛を鉄板焼き・しゃぶしゃぶ・すき焼きで堪能できる『築地さとう』♪
 
今朝咲きし   山梔子の又   白きこと  ―星野 立子  
 
暦では “乃東枯る”「夏至」初候となりましたが、鬱陶しい雨の週末はいかがお過ごしでしたか?
この季節、私達の目を楽しませてくれるものは、淡い色の花の美ですが、中でも雨に濡れて色を変えてゆく「紫陽花」の姿は、雨の季節ならではの風情が愉しめ、今週は是非「紫陽花」の名所に、その美しい景観を楽しみに出かけてみたく思っておりますが、幸運にもちょうど今頃は、近所の公園や庭先でも咲き溢れている「紫陽花」が眺められますね。
http://www.natsuzora.com/may/season/ajisai.html
私の家の近くの白金台では、この「紫陽花」の他「梔子」を生垣に使っている邸宅がいくつもあり、こうしている今も、窓から風に乗って甘酸っぱい香りが運ばれてきますが、この匂いは、晴れた日よりも小雨に煙っている日の方が強く感じられることが多く、梅雨の湿った空気を渡るというより、水滴を伝わってくるような沈んだ香りを漂わせて、たとえ一時でも梅雨の鬱陶しさから開放させてくれるかのようですね。
さて、この「梔子」とは、日本に古くから自生していた数少ない樹木の一つですが、その名の由来は、秋に実る果実から、この果実が熟しても裂開しない(いくら熟しても口を開かない)ことから「口無」といわれるようになったと謂れ、また、種子をたくさん蓄えて黄〜橙色に熟す果実を“梨”にたとえて、果実の上部に残る「がく片」を鳥のくちばしに見立て、“口をもつ梨”つまり「口梨」となったという説もありますが、異名も多く存在し、「支子」「木丹」「黄枝花」「山黄枝」「白玉花」「枝子」など、古代より、この木が広く植えられて親しまれていたことを物語っています。
また古来より、熟した果実は、漢方薬の原料として利用され、日本では、平安時代から食品や衣料品の染料として利用されてきましたが、染料としては、「源氏物語」賢木の巻に、“くちなし”の果実で濃黄色に染めた袖口のすばらしさが描かれているのが知られていますが、古代の黄色染めは、「支子色(くちなしいろ)」として、「深支子(こきくちなし)」「浅支子(あさきくちなし)」「黄支子(きくちなし)」と、三種類の“梔子の黄色”が記録されていることからも、この花に負っていたことが想像されますね。http://www.cc.it-hiroshima.ac.jp/gh/gh378/gh378_kusa.html
ところで、「梔子」には“四つの徳”があるといわれていますがご存じですか?
この“四徳”には、「純白の花、清純な香り、冬でも青々と茂る葉、橙色に熟す果実」が挙げられており、これは、実にこの木の特徴を良く掴んだ指摘で、詩歌の題材になりそうな文学的動機も、まさに、この四つに尽きていると思われますが、中でも“清純な香り”は特に人々を魅了したようで、春の沈丁花、秋の木犀などとともに“夏の香り花”の代表としてあげられ、中国に於いても、百合、菊、水仙、梅、桂、茉莉などとともに、天下の名香花「七香」の一つとされています。
http://www.sol.dti.ne.jp/~tmorioka/wasure-hana/kutinasi.html
薄月夜   花くちなしの   匂いけり  ―正岡子規
それでは、 どんよりとした雨雲に覆われた“薄月夜”の宵は、ほんのりとした甘い“くちなし”の花の香りが漂い、梅雨の重苦しさを忘れさせてくれるかのようですが、今週はそんな可憐な純白の花を、道にそっと愛でられるような、よき一週間をお過ごし下さいませ。
そして、雨に濡れたあとの夕暮れ時には、ひときわ強く香るといわれている「梔子」に想いを馳せ、今宵も『由美』&『けんたうろす』へのご来店を心よりお待ち申し上げております。
 
 
NEW当社顧問『須田 清』著
♪「プロの交渉術」byソーテック社
http://www.sotechsha.co.jp/bs/html/834.htm
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=32074974
 

♪『由松』*銀座8‐2-3  tel 03-5537-5950 “完全予約制” 平均予算20000〜30000
http://www.ginza.jp/scripts/shop-search/search_res_detail.php?sh_id=802030000&ip_id=3

♪昭和27年より創業“銀座の老舗店”天ぷら『由松』の京風天ぷら    
 

♪四谷の閑静な一軒家“三國シェフ”のフレンチが堪能できるプレステージ店『オテル・ドゥミクニ』
♪『オテル・ドゥ・ミクニ』*新宿区若葉1-18 tel 3351-3810
http://r.gnavi.co.jp/g860700/
http://www.oui-mikuni.co.jp/cgi-local/top/index.cgi

 

♪“銀座七丁目”華やかな中央通りに和の落ち着いた佇まい銀座「源 吉兆庵」の懐石料理『松濤 粋』
*銀座7-8-9 源吉兆庵銀座店3F〜6F tel 3569-2361
http://r.gnavi.co.jp/a335500/
http://www.kitchoan.co.jp/

 
♪“松阪牛”他、こだわりの銘柄牛を鉄板焼き・しゃぶしゃぶ・すき焼きで堪能できる『築地さとう』
*築地4-2-9 tel 3541-2929
http://r.gnavi.co.jp/g014000/