No.49

由美グルメリン No.1‥-森田芳光監督・黒澤作品『椿三十郎』を45年後に“初リメイク”来年公開♪ 『けんたうろす』9月のCocktail“夕暮れ”♪ パノラミックな眺望を背景に“ゴージャスでモダン&シック”な雰囲気の本格広東料理『センス』 at「マンダリンオリエンタル東京」37F♪  “祝開店”中国薬膳料理『シンフウ Xing-fu』銀座一丁目店♪
 
あなたは、なんだか、ぎらぎらしすぎてますね。
そう、抜き身みたいに・・・
あなたはね、鞘の無い刀みたいな人。よく斬れます・・・
でもね、本当にいい刀は鞘に入っているものですよ。―映画『椿三十郎』より
 
映画ファンには今尚絶大なる人気を誇る黒澤明監督、三船敏郎主演の映画「椿三十郎」(1962)が、この度、監督森田芳光、主演織田裕二のコンビでオリジナル公開から45年、初リメークされることが、配給の東宝から発表されました。
黒澤作品が日本国内でリメークされるのは初めての試みで、森田監督の談としては・・・
「尊敬する黒澤監督作品のリメイクに身の引き締まる思いです。世界のクロサワの源は、全ての技術、演出力を駆使し、エンタテインメントとしての楽しさ、感動を追求し、結実している事だと思います。僕らは黒澤映画をリスペクトし、学んできました。「椿三十郎」は現代の息吹を感じる「人間ドラマ」です。時代劇という括りを超えたこの「人間ドラマ」という部分を大切に、今の人にどう観て頂けるか、チャレンジと同時に歴史的意義も感じております。今回リメイクに当たって、僕にとっては「三十郎」は織田裕二君しか考えられませんでした。時代によってヒーロー像は変わるという意味でも期待して頂きたいです。そして、クロサワ映画を観たことのない若い層にとって、その入り口となれば幸せですし、映画ファンには同じベース(シナリオ)が時代の経過によって、どう違うものになるか・・・の楽しみ、過去の名作の検証、映画そのものの奥深さを味わって頂ければ……と思います」と、クランクイン前から気合十分で、また主演の織田裕二も、映画「将軍家光の乱心 激突」(89年)に数シーン出演して以来、初の本格的な時代劇への挑戦で、9月中旬のクランクインに向け、今月初旬から殺陣の猛特訓を始め、「これ以上ないプレッシャーですが、森田監督の指名に応えられるよう、ともに闘って良い作品にしたい」と意気込んでいる様子です。(2006年07月13日(木) スポーツニッポンより)
ところで映画好きの方はご存知かと思いますが、この『椿三十郎』は、前年公開された『用心棒』の続編的作品の要素があり、続編ではないと云いつつも、双方を比べてみると、先ず『用心棒』の「桑畑三十郎」が、“続”では、たまたま「椿の花」が目についたから、苗字を“椿”と名乗りますが、キャラクターや着物が一緒であるのに加え、前作の終わりのまま、今作の冒頭から刀を一本しか持っていない姿に気がつきます。
侍は、普段は刀を二本携帯しているものなのですが、前作の最初の場面で“三十郎”が二本さしていた刀が、途中で一本になってしまっていて、そんな細かなところをチェックしてみると、やはり『用心棒』の後日談と考えるのが妥当のような気がしますね。
ただ『用心棒』に登場する“三十郎”は、ほんの気まぐれから宿場町のやくざを一掃する浪人ですが、一方『椿三十郎』の方は、偶然に若侍たちの密議を聞いてしまったため、侍たちの一本気な情熱にほだされて男気を感じてしまう侍で、“桑畑三十郎”に比べると、実に人間くさく、冒頭の一節のように、助け出した奥方にたしなめられて、言葉に詰まる場面などを思い出してみると、『用心棒』の“三十郎”には見られないシャイなしおらしさが感じられます。http://www.eiga-kawaraban.com/97/97041401.html
そんな人間くさい“三十郎”が、自身の寂しさを堪えながら、別れをいやがる若侍達に向けた最後の言葉は、「いい刀は鞘に納まっているんだ。お前らも大人しく鞘に納まってろよ」と、黒澤作品独特の名台詞を吐きますが、黒澤作品には他にも、「勝ったのはあの百姓たちだ―『七人侍』」などの台詞の存在が光り、このように黒澤映画を、第一級の映画にしている要素の一つに名台詞の存在もあるように思えますが、この20世紀を代表する名監督と名優が、最も脂の乗り切った時期に世に送り出した不朽の名作『椿三十郎』が、45年ぶりに『森田芳光』の手で、再びスクリーンに蘇るのが今から切に待ち遠しいですね。
飛んで居る   二百十日の   蜻蛉かな  ―孤舟
それでは、まもなく立春から数えて二百十日目「二百十日」の九月一日を迎えます。この週末はどうか昔からの台風襲来に備え、各地での風鎮めの祭に想いを馳せられるようなよき週末をお迎え下さいませ。
 
 
♪『けんたうろす』9月のCocktail“夕暮れ”
蔦蔵“春夏”、蔦蔵“秋冬”、クアントロウ、
オレンジジュース、シャルトリューズ、
チェリーブランデー、ソーダ.
 

♪森田芳光監督“黒澤作品”『椿三十郎』を45年後に“初リメイク”
来年公開 by東宝
http://dir.yahoo.co.jp/talent/35/m04-0331.html
 
♪“祝開店”中国薬膳料理『シンフウ Xing-fu』銀座一丁目店
*中央区銀座1-6-2 山口興産AビルB1F tel 3535-4245
http://www.xingfu.co.jp
 
♪「マンダリンオリエンタル東京」37F♪ 『センス』 本格広東料理『センス』
♪パノラミックな眺望を背景に“ゴージャスでモダン&シック”な雰囲気の中華
http://www.mandarinoriental.co.jp/tokyo/
♪“幻のネズミハタ”      
 




















 
由美グルメリンNo.2‥『奈美さん誕生日会』♪ 【由美秋まつりご案内】♪ “芙蓉咲く”初秋の『成田GC』♪ 京都“北山杉”を現代生活に『和のふるせ』“世田谷ショールーム”9月1日OPEN♪  “新しいタイプの寿司屋”『経堂 美登利寿司 寿矢』♪
 
秋津羽のうすくれなゐの花の色に夕日のかげをかさねてぞみる―「柿園詠草」芙蓉 加納諸平
 
暦では“禾実る”「処暑」末候となりましたが、9月を迎え、ようやく夏休み気分も抜け、新たな再起動となったこの週始めはいかがお過ごしですか?
キリンズは成田の森にて、冒頭の歌の如く、日に透ける薄い花びらのような“秋津羽(とんぼ)”の羽が、淡い紅の夕日の光を重ねて、よりいっそう艶やかに見える野生の「芙蓉」を、そっと愛でることのできた週末でした。
さて、この「芙蓉」とは元は中国原産のアオイ科の落葉低木で、その花姿は「木槿」や「立葵」によく似ていますが、一般に「木槿」より花弁はやや大ぶりで花期が遅く、「木槿」と同様に“一日花”で、朝咲いて夕方には萎んでしまう花のことです。

「芙蓉」は、俳諧では秋の季語ですが、ところが和歌ではほとんど詠まれておらず、江戸時代に入って少しの例が見えるばかりで、因みに「源氏物語」に「太液の芙蓉、未央の柳もげに通ひたりしかたちを」と、“美人の顔(かんばせ)”に喩えられた「芙蓉」とは、白楽天「長恨歌」に由来し、“蓮の花”を指し、中国では“蓮”と区別するために「木芙蓉」と呼ぶようですが、また平家物語「許文」の「唐の楊貴妃、梨花一枝春の雨を帯び、芙蓉の風に萎れつつ」の「芙蓉」も無論“蓮の花”で、但し、山川登美子の名高い「わが息を芙蓉の風にたとへますな十三絃をひと息に切る」の「芙蓉」は与謝野鉄幹との応酬から察すると、今のアオイ科の「芙蓉」と考えられます。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/saijiki/huyou.html

そんな「芙蓉」の花言葉は「繊細な美人・淑やかな恋人」で、「富士山」の美しい姿を表す雅称にも「芙蓉峰」とあるように、古くより多くの人々に愛されてきましたが、さらにこれから咲き始める「酔芙蓉」は、他の「芙蓉」の花と違い、朝に白い花を咲かせ、昼には桃色へと変わり、そして夕方には赤くなり、一日にして咲き終わる・・・この移り変る花の色から、“酒に酔い顔が赤くなる”様を花に喩えて「酔芙蓉」の名が付き、中国ではこの「酔芙蓉」を“酒に酔って頬を染める楊貴妃の美しさ”にも喩えているようです。
一輪の   芙蓉に秋を   とどめたり  ―高浜虚子
それでは、今宵は“酒に頬を染める”こんな「酔芙蓉」の如く優美な奈美さんの「誕生日会」へと、きっとお越しいただけますことと、ご来店を心よりお待ち申し上げております。そして、『由美秋まつり』にても、初秋に咲く繊細でたおやかな「芙蓉」の“美”を愉しんで下さいませね。
 
 
♪奈美さん誕生日会  &  『由美秋まつり』9月6日〜8日
 
 
♪“芙蓉咲く”初秋の『成田GC』
* with 三橋里衣プロ http://www.lpga.or.jp/profile/profile.asp?cd=343&yyyy=2002

 
*三橋里衣プロの“豪快なショット”
 
♪京都・北山杉での≪和のマンション≫“Rスタイル”『ふるせ』
世田谷ショールーム“OPEN” 9月1日
http://www.furuse.jp/
♪“北山杉”を現代生活に『和のふるせ』世田谷ショールーム
(9月4日毎日新聞朝刊掲載記事)
       
 
♪“新しいタイプの寿司屋”『経堂 美登利寿司 寿矢』
世田谷区宮坂3-12-19 tel3439-1408
http://www.kyodo-suzuran.com/shop/1/13/index.html
     
 




















 

由美グルメリンNo.3‥Happy birthday to奈美♪ 神戸『元町画廊』88周年記念『平田 郁』油彩展9月14日〜20日♪ 究極のソースの味で唸らせるフレンチ・京橋『シェ イノ』での“奈美誕生日”♪ 一日一組“予約のみの料亭”新橋『吉川』♪

 
春宮のむまれたまへりける時にまゐりてよめる
峰高き 春日の山に いづる日は 曇る時なく 照らすべらなり―古今和歌集「賀歌」藤原因香
 
暦ではまもなく“草露白し”「白露」初候を迎えますが、昨日9月6日は、涼しい秋風吹く中、秋篠宮妃紀子さまが無事に男児をご出産なさり、晴れやかな祝福の渦に包まれた日本列島でしたが、お陰で昨夜は『由美』でも、光栄にも親王殿下と誕生日が近い奈美さんの“誕生日”祝いで、未明まで賑わうことができ、キリンズ一同、皇孫殿下のご誕生をお祝い申し上げますとともに、元気で健やかなご成長を心からお祈り申し上げます。
今号ではそんな新しい宮さまの誕生を祝い、冒頭にて「古今和歌集」より、“我が君”醍醐天皇の皇太子“春宮”の誕生を祝う「賀歌」を引用させていただきましたが、この歌の如く親王殿下には、峰が高く聳える、春日の山に昇る太陽のように、これからの世を曇る時なく照らしていただきたいものですね。

さて、「賀歌」巻末のこの歌は、巻頭歌の「我が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」と首尾呼応して詠まれたものとされていますが、この「賀歌」巻頭歌は、実は「君が代」のオリジナルバージョンとして有名な歌で、「あなたの命は、細かい石が巌となって、そこに苔が生えるまで千代、八千代に続いて欲しい」との願いを籠めて歌われたものです。その後、この「君が代」が、日本の国歌となったのは、1870年に大山巌(西郷隆盛の従兄弟)が、横浜のイギリス公使館にいた軍楽長フェントンから、国際儀礼などに不可欠な国歌の必要性を聞き作られたもので、最初はフェントン自身が、「君が代」の歌詞に曲をつけましたが、しかしその曲が「君が代」の歌詞に合わなかったため、明治13年に、宮内省雅楽課の林広守氏らが、再び歌詞に合うように雅楽の旋律で作曲し、それを海軍省の軍楽隊教師のドイツ人音楽家エッケルトが和声付けをして、初めて「君が代」が演奏されました。

その「君が代」の歌詞が古文書に表れたのは、上記のとおり千年以上昔の平安時代の「古今和歌集」からですが、その後“読み人知らず”のこの歌は、さらに人々に歌われる間に一部が変化し、鎌倉時代初期には、“我が君”は“君が代は”へと変わり、「和漢朗詠集」などには現在のままの「君が代」が登場しますが、鎌倉時代以降は庶民の祝歌として広まり、祝賀用の愛唱歌として多くの人に親しまれ、やがて江戸時代には仮名草子、浄瑠璃、盆踊歌、謡曲、舟歌、門付歌、長唄にまで広がっていきました。http://www.jiyuu-shikan.org/faq/kokki.html
ところで、国旗「日の丸」の歴史は、この「君が代」よりも古く、「続日本紀」には皇紀1361年(701)に第42代「文武天皇」が“日”を型どった旗を用いたのが始まりと云われていますが、第96代の後醍醐天皇の時には、笠置山に行幸されたとき“日章幡旗”を使い、以後「日の丸」は戦国の武将「武田信玄」「上杉謙信」「加藤清正」等によって、家旗と一緒に掲げられたり、また「豊臣秀吉」も朝鮮出兵の際に、さらに「山田長政」もシャムにてこの「日の丸」を掲げていたと云われていますが、しかし、当時の「日の丸」は個人の意思によって掲げられていたもので、それが国旗として認証されるようになったのは、江戸時代中期以降で、アメリカのペリーが開国を求めた皇紀2513年(1853)に、薩摩藩が「日の丸」を国章とするように建議したところ、皇紀2514年幕府は、「異国船に紛れざるよう日本総船印は日の丸の丸幟」と定めました。
どうかこの週末は、41年ぶりの男子皇族の誕生を祝い、そんな歴史をもつ“日出ずる国”を表象する「日の丸」の旗をそっと掲げて、天皇家が、天照大御神の直系子孫であるとする日本神話へと想いを馳せ、遥か平安時代の“君”の長寿を祝うおめでたい歌「君が代」を口ずさみたく思います。
そして華やかにお祝い一色で彩られている銀座の夜ですが、今宵もきっと『由美秋まつり』へのご来店を心よりお待ち申し上げております。

 

 

   
♪Happy birthday to奈美
 
♪神戸『元町画廊』88周年記念 『平田 郁』油彩展9月14日〜20日
tel 078-331-2359 神戸市中央区元町1-7-2
 
♪京橋『シェ イノ』
中央区京橋2−4−16 明治製菓本社ビル 1F tel 3274-2020 
http://restaurant.ikyu.com/rsDatas/rsData100500/r100199/r100199v.htm
http://www.manoirdinno.com/chef_index.html
 
♪一日一組“予約のみの料亭”新橋『吉川』
 
 




















 
由美グルメリンNo.4‥奈美さん“誕生日寿し”at銀座『きたむら』♪ “創業明治十八年”新鮮な魚介類とこだわりのワイン江戸前鮨の老舗『銀座 寿司幸本店』♪ “鮨我独創”『赤坂鮨兆』がくりだす新しい鮨の世界♪
 
二百二十日   眼鏡が飛んで   恐しや  ―高浜虚子
今日9月11日は「立春」から数えて、220日目にあたる『二百二十日(にひゃくはつか)』となりますが、この『二百二十日』とは、旧暦8月1日の「八朔」や「二百十日」とともに台風の襲来などがある天候の悪い日・荒れ日とも言われ、季節の移り変わりの目安となる“季節点”のひとつですが、台風12号の日本列島襲来は無かったものの、蒸し暑さに見舞われたこの週末はいかがお過ごしでしたか?
さて、今号ではこの雑説のひとつ『二百二十日』の由来を調べてみましたが、この言葉は、元は1685年に暦学者・渋川春海が「貞享暦」を編んだ際、初めて採用したもので、そもそも日本に初めて暦法が齎されたのは553年欽明天皇の時代で、それ以前も農作業などのために何らかの暦は存在していたと思われますが、中国流の「太陰太陽暦」が導入されたのは、実はこれが最初で、実際に日本人がその計算法を習得したのが推古天皇の時代と云われています。そしてその計算された暦が一般に公布されるようになったのは持統天皇の時代と考えられていますが、この当時導入された暦は、「元嘉暦」と「儀鳳暦」の2種類で、日本では推古朝から持統朝までが「元嘉暦」で、文武元年から「儀鳳暦」に切り替わる歴史が存在しますが、しかし「日本書紀」には、それより遡る時代の日付が書かれていて、この日付は諸研究家の試算によれば、新式の「儀鳳暦」を簡易化した特殊な暦によって作成されていることが明らかになっています。
その後、奈良時代から平安時代初期に掛けて、日本は中国の新しい暦法を次々と取り入れ、「大衍暦」「五紀暦」「宣明暦」と暦は改訂されていきますが、しかし「宣明暦」が導入された後、唐の勢いが衰えて、遣唐使が廃止されたことから、その後800年間は、暦の改訂は行われませんでしたが、やがて「宣明暦」の致命的な欠陥からか、1年の長さが 0.0024日ほど長過ぎる誤差のため、800年もの間に日付のずれが生じ、かくして1685年にやっと新しい暦が採用されることになり、これが陰陽師支配の土御門家とも関わりのある渋川春海が作成した上記「貞亨暦」で、日本初の暦です。
ところが、この“日本初製作”の暦は、8代将軍吉宗による享保の改革の一環として「宝暦暦」に改定されましたが、僅か9年後には、日食の予報に失敗し、またもや改訂する羽目に陥り、寛政年間に入ってから、今度はオランダ渡来の天文を元に、ニュートン力学に基づく計算で作られた“暦”へと変わり、これは日本の暦の中でも最高傑作のものでした。しかし日本の暦は、その後も再び改悪され、これが現在もそのまま引き継がれている「天保暦」ですが、実は問題点もあり、月の名前を付ける規準となる「二十四節気」を、時間分割ではなく、太陽の黄経による空間分割に変更したことで、「二十四節気」間の時間が、季節によって変動することになり、結果、月の名前と季節が大きくずれるケースが発生するようになりました。
そんな由来の『二百二十日』ですが、ちなみにこの雑説は、元は渋川春海の趣味の“釣り”からで、或る日、晴海自身が、江戸品川の海に舟を出そうとした時に、一老漁夫が海上の一点の雲を指し、「50年来の体験によると210日目の今日は大暴風雨になる可能性が高いから舟を出すのはやめた方が良い」と教えてくれ、その通りになったため、「貞享暦」に書き入れたという逸話から生まれた言葉です。 http://www.ffortune.net/calen/calen/yomi99/yomi006.htm
このまどゐ   しづかに二百   二十日かな  ―富安風生
それでは、今週は『二百二十日』を境に、秋雨前線や湿った空気の影響で、曇り空や雨の天気が続くとの予想ですが、そんな“秋の長雨”「秋りん」とともに、残暑長引く中、秋は一歩一歩近づいていますので、どうか道端の草花の小さな露からも、そっと季節の移ろいが感じられるようなよき一週間をお迎え下さいませ。
 
 
   
♪『奈美さん誕生日』
 
   ♪“すし処”銀座『きたむら』
*中央区銀座4−3−2槁ビルB1 tel 3564-3640
http://www.gurupita.com/clients/0002109180/detail
♪Happy birthday to奈美さん “誕生日寿し” 
 
♪“創業明治十八年”新鮮な魚介類とこだわりのワイン江戸前鮨の老舗『銀座 寿司幸本店』
中央区銀座6-3-8 tel 3571-1968
http://gourmet.yahoo.co.jp/0000609029/M0013000995/
 
♪『赤坂鮨兆』
*港区赤坂3-6-10 第三セイコービル3F
 tel 3585-7917
http://www.akasaka-sushicho.com/goannai.htm
♪“鮨我独創”『赤坂鮨兆』がくりだす新しい鮨の世界
 
 
 
 




















 
由美グルメリンNo.5‥神野美伽&キリンズの『大相撲秋場所』観戦♪ 元横綱(二代目 若乃花)“間垣親方”『間垣部屋』での団欒♪ 『神野美伽』“リサイタル2006”9月29日 at東京厚生年金会館♪ 「沢彦(たくげん)」火坂雅志著 by小学館刊♪ 銀座の“一軒家”のレストラン『銀座ワインハウス』♪ “焼肉割烹”『松阪 銀座店』♪ 
 

木の葉木の実を野に山に 色さまざまに染めなして おりおりそそぐ 秋の雨―(文部省唱歌 「四季の雨」3番より)

 

今日は「秋雨前線」が日本列島の南海上に停滞しての影響で、肌寒い朝の目覚めとなりましたが、昨日から霧のように降りしきる「秋霖(しゅうりん)」続く、午後はいかがお過ごしですか?
キリンメールでは、これまで冒頭の「四季の雨」の歌の様に、四季折々の“雨”の様子を書いてきましたが、今号では、こんな「秋湿り」の日にふさわしい“秋の雨”の名前について調べてみました。
さて、“秋の雨”にはいろいろあり、“夏の雨”とは大分違い、先ず音が違いますが、夏のそれは粒が大きい所為か、降り始めから大きく賑やかな音を立てます。ちなみに、今夏の午後には、突然、勢いよく落ちる雨粒の“ポッポッ”という音に驚かされ、慌てて洗濯物を取り込みに駆け出す、ということも少なくありませでしたが、風も強く、その時々によって風向きも違うため、窓を開けたり閉めたりで、本当に油断ならないのが夏の雨です。
一方、降っては止み、しばしおいてまた降り始める雨は確実に秋のもので、さやさやと、密やかに降る“秋の雨”は、戸外の風景を同化して降り続き、窓の外に目を凝らしても、雨そのものを見分けることが難しいのもしばしばで、例えば、黒く濡れた瓦屋根や、しっとりと撓る薄の葉など、“秋の雨”は辺り一面の風景を全て包み込み、雨自体の存在に気付かなくても、周りの雰囲気で気付かされる・・・そんな雨が“秋の雨”です。
そのうえ、長く続くのも“秋の雨”の特徴で、今日の様にぐずついた天気が2・3日続くこともありますが、それでも不思議なことに、これで暑さが鎮まる・・・という嬉しさの方が勝るためか、この雨を鬱陶しく感じることはあまりなく、これからの、“秋の雨”が一段落した後に広がる晴れ渡った秋の空が待ち遠しい限りですね。http://www23.big.or.jp/~lereve/saijiki/128.html
そんな“秋の雨”の呼び名は実に様々で、この時季の別名には「秋霖」の他、「秋ついり」「後の村雨」「秋小雨(微雨)」「秋湿り」「豆花雨」などいろいろありますが、秋草に月の雫の吹きむすぶ「秋霖」の言葉は、まさに一雨ごとに秋が深まり行く“様”を表しているかのように思えます。
http://blog.goo.ne.jp/setsugekka_2/e/4b0c3d8e9fc844cb8d5e1b9d26b0cc5c
家の窓 ただひとところ あけおきて けふの時雨に もの読み始む ―若山牧水
 
それでは、これから迎えます三連休のひとときは、しとしと柔らかな雨の降り灌ぐ京の部屋にて、蟋蟀の静かな音色を聴きながら、読みかけの本を開く・・・そんな安らかな“雨篭り”の休日を過ごしたく思っておりますので、あなた様もこの秋の「霖(ながあめ)」の中、よき連休をお迎え下さいませ。
 
 
 
♪9月29日『神野美伽』“リサイタル2006” at東京厚生年金会館
♪「沢彦(たくげん)」火坂雅志著 by小学館
 
♪美伽&由美の『大相撲秋場所』二日目 
at 国技館前
♪元横綱(二代目 若乃花)間垣勝晴『間垣部屋』親方と 
♪『間垣部屋』にて“ちゃんこ”団欒
 
♪銀座の“一軒家”『銀座ワインハウス』 
*中央区銀座6-7-4 03-3571-1235
http://www.ginzatact.co.jp/winehouse/
http://r.gnavi.co.jp/g011400/
s
 
 




















 

由美グルメリンNo.6‥『女たちの忠臣蔵』宇津井 健 by明治座♪  京都山科の北花山の麓に佇む小寺“酔芙蓉の寺”『大乗寺』♪ 哲学の道から『銀閣寺』への散策♪ 「ルーブル美術館展」 at 京都市美術館♪ 秋彼岸からの“初ふぐ”銀座 『ふぐ福治』♪

 
さびしさは   秋の彼岸の   みづすまし   ―飯田龍太
 

暦では“燕去る”「白露」末候となりましたが、20日の“秋彼岸入り”を間近に控えた連休明けの午後は、いかがお過ごしですか?

この「秋彼岸」とは、俳句では秋の場合は、単に春の「彼岸」と違って、冒頭の句の如く“秋彼岸”“秋の彼岸”“後の彼岸”などの季語を使わなければなりませんが、「お彼岸」とは春分・秋分の日を挟んだ前後1週間のことで、それぞれを「春彼岸」「秋彼岸」と呼びますが、この間に全国の寺院で行なわれるのが「彼岸会(ひがんえ)」という法要で、「彼岸」とは元は古代インドのサンスクリット語「パーラミター」を、「到彼岸(とうひがん)」と訳したもので、様々な苦しみのある現世の界「此岸(しがん)」から、仏菩薩の悟りの世界である「彼岸」に渡ることを意味するのが「彼岸会」です。

さて、この「彼岸」には、古今の名言の「暑さ寒さも彼岸まで」の他、「暑い寒いも彼岸ぎり」とか「暑さの果ても彼岸まで 寒さの果ても彼岸まで」「秋の彼岸は春の彼岸に似る」などと、日本の季節の“春秋”二つの折り目を見事に言い表す言葉がありますが、「春彼岸」の時季は、しっとりとした肌触りの気候で、一方「秋彼岸」時季は、日差しはまだ強いものの、空気は爽やかでさらさらしていて、“朝寒”“夜寒”には身が引き締って、何となく落着いた気持ちになれますね。そして、今の時季には、まだ落葉舞う秋の哀愁さには程遠いようですが、そろそろ自然の万物が休息し始める頃となり、色づき始めた稲穂の波を見るだけで何故か心強く、秋の心は豊かに思えます。

そんな「お彼岸」の慣わしとしては、一般の家庭に於いては仏壇を掃除し、お供物をすることで、ご先祖様を供養しますが、代表的なお供物は、ぼた餅やおはぎで、どちらも搗いた餅をちぎって丸め、餡を塗したものですが、春に咲く牡丹の花と、秋に咲く萩の花に似ていたことから、「春彼岸」には“牡丹餅”を、「秋彼岸」には“お萩”を供えるようになり、また餡の小豆の赤色には、災難除けの効果があると信じられ、古くから邪気を払う食べ物とされていたことが、先祖供養と結びついたという説もあります。
http://www.uny.co.jp/syunsaituusin/saijiki/9gatu/9gatu_m.htm
 
秋彼岸   かわきて堅き   餡の渦   ―中原道夫
 
それでは、今週は明日からの「秋彼岸」に備え、ご祖先様を敬い、そっと心に亡くなった人々を偲ぶ・・・・
そんな秋の自然の美を讃える中で、萩の花に似た“お萩”を食し、ご先祖様に感謝して、生きとし生ける物を慈しめるようなよき一週間をお過ごし下さいませ。
 
 
♪『女たちの忠臣蔵』宇津井 健 by明治座 〜9月27日迄
 http://www.meijiza.co.jp/info/2006/09/main.html
 
 
♪京都山科の北花山の麓に佇む小寺“酔芙蓉の寺”『大乗寺』
まだ二分咲きの“酔芙蓉”『大乗寺』 http://www.cable-net.ne.jp/user/tk118243/daijyoji/dtop.htm
♪哲学の道から『銀閣寺』への散策
♪東山慈照寺『銀閣寺』http://www.shokoku-ji.or.jp/ginkakuji/
 
♪「ルーブル美術館展」 at 京都市美術館 〜11月5日迄
http://www.ytv.co.jp/event/art/louvre06.html
 
♪銀座『ふぐ福治』中央区銀座5−11−13 幸田ビル3F 03-5148-2922 
http://r.gnavi.co.jp/g997500/
♪秋彼岸からの“初ふぐ”“ふぐコース”\28000〜      
 
 
 
 
 




















 
由美グルメリンNo.7‥秋晴れの中“アキアカネ”飛ぶ『久邇CC』♪ 大相撲9月場所“千秋楽”の『間垣部屋』♪ 魯山人や志賀直哉も愛した名店『銀座 久兵衛』本館♪ ゆったりと世界の酒を飲んで寛げるクラッシックバー『MONDE BAR』♪ 
 
赤とんぼ   風をとらへて   気ままなり   ―塚原 游子
暦では“雷声を収む”「秋分」となりましたが、秋風をとらえて“赤とんぼ”が気ままに飛び交うこの「彼岸」の週末はいかがお過ごしでしたか?
キリンズは、秋晴れの中「アキアカネ」がグリーン上を舞う『久邇CC』にて、ゴルフを楽しんだ「彼岸」でしたが、昨夕はその足で、安倍新総裁が、ひと足早く首相の役割を担い「総理大臣杯」を授与した両国へと向かい、元横綱“二代目若乃花”『間垣部屋』の“千秋楽の集い”へと行き、賑やかな“秋”の休日を過ごして参りました。
さて、“秋”と言えば冒頭の句の如く、爽やかな空に無数に飛び交う“赤とんぼ”が想い起こされますが、この“赤とんぼ”とは、夏に見られる茜色の「ナツアカネ」や、秋に見られる茜色の「アキアカネ」の総称で、両者ともにこの名で親しまれていますが、東北では“赤とんぼ”は、「トウガラシトンボ」や「カミナリトンボ」などと呼ばれるところもあり、ちなみに「夕焼け小焼けの赤とんぼ」と歌われているのは、この「アキアカネ」のことで、今号ではそんな秋の風物“赤とんぼ”こと「アキアカネ」について調べてみました。

「アキアカネ」の飛翔は、一般に平地では9月頃から急に多く見られるようになりますが、実はこの「アキアカネ」の成虫は、6月頃には既に羽化していて、初夏の頃によく、“赤とんぼ”のような黄色い蜻蛉が、たくさん川の上流に向かって飛んでいる光景を目にしますが、これは羽化時期が揃った「アキアカネ」が、山の方へ移動する途中の様子で、その後、孵化した蜻蛉は山の高地へと移動し、成熟したのち、再び秋風の吹く頃には、赤くなって平地に降りてきますが、今の季節には、たまに平地に降りる時、大きな群れを作ったりして、人々を驚かせることもあり、“赤とんぼ”の大発生などと騒がれるのは、「アキアカネ」の秋の大移動のことを表します。http://www.tsm.toyama.toyama.jp/curators/negoro/akiakane.htm

そんな「アキアカネ」の一生は、まさに上記の如くで、卵で冬を越し、春に水田・沼地で孵化し、水中で幼虫の時期を過ごした後、6・7月頃に羽化して十分飛べるようになると、涼しい山へと高地への旅をして、9月頃には、茜色に変身して、秋風とともにまた平地に戻り、産卵をし、次の世代へと命を繋ぐ儚い一生です。

とどまれば   あたりにふゆる   蜻蛉かな    ―中村 汀女
それでは今週は、この秋の青空の下、道端に咲いている「曼珠沙華」と、まるで赤色を競うかのように群れ飛ぶ“赤とんぼ”に出会い、そっと「夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれて見たのはいつの日か、……」と、三木露風の詩を口ずさめるような、そんな秋のよき一週間をお過ごし下さいませ。
そして黄金色に色づいた稲穂の海を「アキアカネ」が群れ飛ぶ・・・こんな秋の風雅な景色を思い浮かべながら、きっと今宵も『由美』にて、ご一緒に秋の夜長を愉しめますことと、ご来店を心よりお待ち申上げております。
 
     
♪“千秋楽”の『間垣部屋』  三段目優勝!“若三藤” & 幕下上位で6勝!“若の鵬”
 
♪秋晴れの中“アキアカネ”飛ぶ『久邇CC』 “白百日紅”
 
*『MONDE BAR』
中央区銀座8-11-12 正金ビル B1F tel 3574-7004

♪ゆったりと世界の酒を飲んで寛げるクラッシックバー『MONDE BAR』長谷川治正店主
 
♪魯山人や志賀直哉も愛した名店『銀座 久兵衛』本館
*中央区銀座8-7-6 3571-6523
http://gourmet.yahoo.co.jp/0000612915/M0013000985/