No.48

由美グルメリン No.1‥-『神野美伽リサイタル2006』ご案内 “9月29日 at東京厚生年金会館”♪ 京風天ぷら『由松』♪ 北大路魯山人や志賀直哉も愛した名店『銀座 久兵衛』♪ 
 
張りとほす   女の意地や   藍ゆかた ―杉田久女
 
梅雨明け後の今週は、太平洋高気圧に覆われ爽やかな夏空の毎日ですが、心地よい風に揺られて奏でる風鈴の音を愉しみ、簾から覗き込む夕顔をそっと道端に愛でる・・・。そんな、風雅な夏の宵はいかがお過ごしですか?
『由美』では、8月2日より三日間、夕暮れにいっそうの涼を誘う「浴衣」にて、あなた様をお迎えしたく『由美夏まつり』を開催中ですので、どうか今宵は団扇などを片手に、銀座の“夜祭り”へお越しいただけませんか?そしてご一緒に金魚掬いなどで童心に返えり、“いなせな”夏の風情を楽しんでいただきたく存じます。http://www.datadirect.co.jp/newsletter/news20050727.asp
さて、この「欲衣」とは、元々は「湯帷子(ゆかたびら)」の略ですが、その昔、平安時代の貴族は風呂(当時は蒸し風呂)に入るとき、火傷の危険や、人前に肌を晒してはならないとの儒教の教えに由り、裸で風呂に入ることをしなかった為、「湯帷子」と云う麻の単の着物を身に着けて入っていたことがそもそもの始まりで、その後、江戸時代に入った頃から、着物を脱いで入浴する習慣となったため、「湯帷子」は風呂上がりの湯気を吸い取る着物として着られるようになり、同時に、“ゆかたびら”の“びら”を取り、“ゆかた”と呼ばれるようになりました。
やがて、銭湯が普及してくると、「湯帷子」は簡略化されて、男は湯褌(ゆふんどし)、女は湯もじ(腰に巻く“湯巻き”の女房詞)を着用して入浴するようになり、当時の「浴衣」とは入浴後に着る“単衣を指しましたが、それが銭湯以外で着られるようになったのは、江戸初期の「盆踊り」の流行によるところが多く、この「盆踊り」が風流踊りを生み、見栄えのする模様を染め抜いた踊り浴衣(盆帷子)が普及し、さらには、歌舞伎役者たちの意匠を凝らした様々な柄が、大衆の人気を集めて流行したことと重なり、江戸後期には「浴衣」は、夏のお洒落着としてすっかり定着するようになりました。
また当時は、大変高価だった木綿が、国内で大量生産されるようになってきたことも大きな力となりその結果、「浴衣」は単なる風呂着から、街中でも大っぴらに着ることのできる衣装へと変わり、江戸時代から、このように“涼しく、いなせに”と、時代を超えて愛されてきた「浴衣」は、その風雅さのみならず、実際は、蒸し暑い日本の夏に合った賢い衣装で、強い日差しにも映える藍地や、白地の爽やかな“いでたち”の「浴衣」は、纏った人だけでなく、周りの人々へも、清涼感を与えてくれていますね。http://www.nikkoku.net/ezine/kotoba/ktb030.html
君がまだ知らぬゆかたをきて  待たむ風なつかしき夕なりけり―馬場あき子
それでは、“大雨時々降る”「大暑」も末候となりましたが、この週末は漂う白雲の間から明る太陽の陽射しを浴びれるようなよき夏のひとときをお迎え下さいませ。そして今宵は、ひらひらと蝶が舞うように、白色や紅色、そして藍色の「湯帷子」の袖が翻る『由美』にて、あなた様のお越しをお待ち申し上げております。
 
 
♪『由美夏まつり』
 

♪『神野美伽リサイタル2006』ご案内 “9月29日 at東京厚生年金会館”
http://www.geiei.co.jp/profile/sinnnomika/sinnnomik.html
http://www.kingrecords.co.jp/shinnomika/

 
♪京風天ぷら『由松』
*『由松』 東京都中央区銀座8-2-3  tel 03-5537-5950
 
♪北大路魯山人や志賀直哉も愛した名店『銀座 久兵衛』
*『銀座 久兵衛』東京都中央区銀座8-7-6 tel03-3571-6523
http://gourmet.yahoo.co.jp/0000612915/M0013000985/
 




















 
由美グルメリンNo.2‥逗子マリーナでの“海遊び”の休日♪ 『越後・叶家』銀座店“新潟を楽しむ集い”越乃景虎 by諸橋酒造♪  
 
夜景とは   愁ひの灯かや   夏の果て  ―鈴木 真砂女
 
8月8日は暦上では“涼風至る”「立秋」初候を迎えますが、この週末は太平洋高気圧に覆われ、体温以上の暑さに襲われた地域もあり、各地の行楽地では、山や海での事故が相次いだ様子でしたが、そんな猛暑に見舞われた先週末はいかがお過ごしでしたか?キリンズは炎天下の東京を逃れ、湘南鎌倉の海を臨む『逗子マリーナ』にて、蒼く澄んだ“夏の潮”に浮かぶクルーザーで、海遊びを楽しんだ休日でした。
本来ならば、立秋を控えて少しづつ朝晩は涼しくなり、いよいよ夏も終りか・・・と感慨が深まる頃ですが、まだまだ続くこの猛暑では、冒頭の句の如く立秋前の「夏の果て」に、愛惜の情を感じられる余裕すら生まれませんが、今号は「夏の果て」について、何故“夏”は”果て”なのかを調べてみました。
この「夏の果て」とは、夏の季語で“季重ね”で表されていますが、暦上での「夏の果」は、実は8月上旬で、まさに最も暑い盛りの最中ですが、語感の上では、8月の終わりや夏休みの終わりの、秋の気配を感じるくらいの頃に思われがちで、俳句一般では“語感”に準じた使い方が多いようですが、と同時に、「夏の果」は、春や秋の“終りを惜しむ情”に比べれば、この夏の場合の“果て”は、やや少し浅い感じがして、単にそのまま、夏の終わりを感じさせる言葉として表現されています。

ここで面白いのは 夏は、春や秋のように「行く」「別れ」という言葉を使わないことで、前の二つの季節には「その季節が去っていくのを惜しむ」という気持ちが籠められていて、擬人化したことでより近しいものとして季節を捉え、“行って欲しくない”“別れたくない”というニュアンスが、「行く」「別れ」の言葉の中に籠もっていますが、一方の「夏の果て」には“惜しむ”響きは感じられず、実に淡々とした言葉に感じられ、また別の側面から見れば、“夏を惜しむ” 言葉の季語よりも、“秋の到来を喜ぶ”季語の方が、遥かに多く存在し、これは冬についても同様ですが、つまり厳しい季節である夏や冬よりは、生きとし生けるものが芽吹く、花咲く春や、酷暑に耐え忍んでようやく迎えた秋の方が、喜ばれ尊ばれたということで、当然と云えば当然の成りゆきのような気がします。しかし、逆に“夏を惜しむ”という季語が少しでも存在することで (古句の方にそうした句がよく見られる)それらを使って鮮やかに 発句することができたら素晴らしいことで、夏や冬を「惜しむ」という言葉は、これから熟してゆく季語とも言えるでしょうね。http://www23.big.or.jp/~lereve/saijiki/39-2.html

夏潮の   目路の限り   きらめける  ―西村和子
それでは、「立秋」間近の「夏の果て」の月曜ですが、明るく“目路の限り”きらめき輝く“夏の潮”にて思いっ切りリフレッシュして参りましたキリンズを今週もよろしくお願い致します。
 
 
 

♪由美“夏まつり”
 
 
♪『けんたうろす』8月のカクテル
♪逗子マリーナでの“海遊び”の休日  5, AUG, 2006

♪キリンズ at「MiV号」
http://www.riviera-r.jp/zushi-marina/
 
♪♪『越後・叶家』銀座店 中央区銀座7−15−5 共同ビル(銀座7丁目)3542−8607
http://www.morohashi-shuzo.co.jp/   http://www.kanou-ya.com/

♪『越後・叶家』銀座店“新潟を楽しむ集い”越乃景虎 by諸橋酒造  3, AUG, 2006
 
 




















 

由美グルメリンNo.3‥富士山頂よりの「残暑お伺い」♪ Sushi Restaurant & Lounge『The hump』at オペーク丸の内2F♪ “旬の美味のごだわり”銀座『ふぐ福治』♪

 
涼しさの   肌に手を置き   夜の秋  ―高浜虚子
 
暦では、まもなく“蜩鳴く”「立秋」次候を迎えますが、お盆休暇を目前に控えた今週はいかがお過ごしですか?
関東地方では心配された台風7号の影響も無く、何処からともなく秋の気配が漂う昨夜でしたが、ただ8月に入ってからの銀座は、いつもになく静かで、辺りはみな、既にお盆休暇のごとく閑散としていますが、そんな中でも『由美』&『けんたうろす』では、お盆は“暦どおり”に営業致しますので、どうかお盆期間に出勤の予定がございましたら、きっとご連絡いただけますこととお待ち申し上げております。

さて、古くから「土用半ばに早、秋の風」と云うように、夏も終りに近づくと夜は涼風が感じられ、虫の音なども聴こえ始めて、少しずつ秋の感じがして来ますが、今朝などは、こんな真夏の暑さの中にも、僅かながらの“秋”を感じて寝覚め、冒頭の虚子の如く、昨晩から「夜の秋」の安眠を貪りましたが、この「夜の秋」とは、“秋の夜”とは違い、夏の季題ですが、今号は前号の「夏の果」に続いて、この晩夏の季語を調べてみました。

そもそも「夜の秋」と云うのは、秋だけを意識せず、あくまで夏の暑さの中にふと感じる秋の気配・・・と云うものなのでしょうか、そんな夏でも秋でもない季節の情緒を表す言葉として生まれた季題で、“秋の夜”と混同してはならない季語ですが、昨夜などは、まさに夏から秋の変わり目は“夜”が教えてくれる・・・と 台風の涼風に晒される中で、移ろい行く季節の感慨に耽りながらの帰宅で、お陰で、ささやかながらも、この「夜の秋」を肌で感じることができましたが、同様にこの時季の「涼し」も、秋の季語と考えられやすいのですが、その意味は、暑さ厳しいだけに、僅かな涼しさ、朝夕の涼気をひとしお強く意識すると云うもので、熱気の中にひとすじの微風が流れ涼味を覚えるかのような言葉が「涼し」です。
http://www23.big.or.jp/~lereve/saijiki/39.html
ところで、古代日本の文学史には“春秋争い”という風雅な論争があり、万葉時代の額田王は春山と秋山の優劣について〈秋山吾は〉と応え、平安時代の歌人は〈春はただ花のひとへに咲くばかりものあはれは秋ぞまされる〉と詠み、紫式部は〈春秋のあらそひに昔より秋に心よする人かずまさりける〉と書くなど、古くは概ね“秋”に軍配が上げられているようですが、そこには古来よりの、日本人の“春と秋”への関心の高さが伺えるかのようですね。そして、このような背景から、この「夜の秋」は明治・大正以降に用いられるようになった季語として生み出され、中でも下記鷹羽狩行の「俳日記」の中で詠まれた一句には、ふと秋を感じる心地よさに、眠りへと誘われるかのように思えて、さらにこの「夜の秋」の眠りは、汚れなきものであるかの如く爽やかさも感じられ、「夜の秋」という季語自体は、まさに近代人の繊細な感覚が生み出したものと言えるでしょうね。
そして「夜の秋」は、夏の季語ながらも「秋隣り」「秋近し」同様に、昼の暑さとは裏腹に、夜の涼しい微妙な季節感を詠んだ言葉で、俳句特有の季節の移り変わりを敏感に捉えていて、深い味わいが感じられます。http://members.jcom.home.ne.jp/ohta.kahori/sb/sb1301.htm
眠りへの   扉いくつや   夜の秋   ―鷹羽狩行 

それでは、今日は「立秋」の頃のよく晴れた「今朝の秋」でしたが、そんな暑さの中にも微かな秋の気配を感じられるようなよきお盆をお迎え下さいませ。 そして今宵は野分あとの爽やかな涼風棚引く銀座にて、あなた様とご一緒に「夜の秋」を感じられますこととご来店を心よりお待ち申し上げております。

 

 
♪富士山頂よりの「残暑お伺い2006」
 
♪『The hump』千代田区丸の内2-1-1 オペーク丸の内2F 5293-4813
http://r.gnavi.co.jp/g188304/
http://www.lemondedesgourmet.co.jp/shop/thehump/
http://www.opaque.ne.jp/
 
♪『ふぐ福治』 中央区銀座5-11-13 幸田ビル3F  tel 5148-2922
http://r.gnavi.co.jp/g997500/
 
 




















 
由美グルメリンNo.4‥“キュイジーヌ・ナチュレル”四谷『オテル・ドゥ・ミクニ』自然に人に優しいフレンチ♪ “本格的な板前料理”銀座『そうかわ』♪ “鮨我独創”白金台『すし兆』♪ Yahoo!ジオシティー8月11日より“新連載”『タナトスと危険なダンスを』菊池勇生♪
 
         桑の葉の   照るに堪へゆく   帰省かな   ―水原秋櫻子
お盆休暇が始まった12日の夕方に各地では、帰省ラッシュで混雑する中、突然の激しい夕立と落雷に襲われた週末でしたが、故郷へと無事に“帰省”なさった方には、お盆週間はいかがお過ごしですか?
この月遅れの“盆”に各地域では、花火や夏祭など盛んに行われている様子ですが、『由美』&『けんたうろす』では、こんなお盆の最中も、今週は【暦どおり】営業致しますので、どうか暑さの中にも微かな秋の気配を感じる「立秋」の宵は、きっと銀座へとお越しいただけますこととお待ち致しております。
さて、厳しかった残暑も朝夕は幾分和らいで、夕暮には「蝉」の鳴く中、秋の接近を肌に感じさせる風が吹く頃となりましたが、今号は夏を代表する虫「蝉」の話でも書いてみることにしました。
「蝉の声」と云うといったいどんな印象でしょうか?先ず、盛夏の真昼、ジジジとじりじりと照り付ける陽射しの激しさをそのまま聴覚的に表現したような「アブラゼミ」の声を思い浮かべますが、誰しもがこの「蝉」については、多少は“うるさい”というイメージをもち、その極致的な季語が「蝉時雨」や「驟雨」なのでしょうか、これらはまさに「蝉」の声が、空から降ってくるかのような表現で、幾百と数多くの「蝉」が、午後の一番暑い盛りに、ここぞとばかりに一斉に張り上げるその声は、ミーンミーンという生半可な表現では足りないくらいで、まるでウーワンウーワンと直接頭に響くかの如くで目眩がするほどですね。
また、古典においても「蝉」は夏の重要な風物の一つで、例えば「古今集」の長歌の一節には、「春は霞に/たなびかれ/夏は空蝉/鳴きくらし/秋は時雨に/袖をかし/冬は霜にぞ/せめらるる」と、夏の風景の典型として「蝉」に言及され(因みに空蝉は蝉の抜け殻、更に転じて蝉の意味)、或いは、夏になって着替える薄い衣の事を「一重なる蝉の羽衣夏はなほ薄しといへどあつくぞありける(後拾遺集・能因)」のように、「蝉」の薄い羽に喩えた歌が数多く見出せる事からも、当時も夏という季節と「蝉」とが密接な連想によって繋がれていた事が伺われます。
しかし、そもそも真夏の暑苦しさが和歌と相容れないものの所為もあってか、現代の感覚のように「蝉」の声を暑苦しい物として捉えたり、鳴き声の喧騒を詠じた和歌は寡少で、寧ろ夏から秋に移行する季節感の中で「蝉の声」を捉え、晩夏の秋の予兆が忍び寄る光景の中での「蝉」が詠まれている歌が多く存在し、現実における「蝉」も、盛夏の「アブラゼミ」や「ミンミンゼミ」、晩夏の「ヒグラシ」の「ツクツクホウシ」というように、幾つかの種に亙って夏を鳴き通す事を思えば、さまざまな詠み方があっても不自然ではありませんね。
http://www5.pobox.ne.jp/~kochou/koten/semi.htm
ところで、「立秋」の次候は“蜩(ひぐらし)鳴く”時季とされていますが、「蜩」は秋の季語に入り、昼の蝉と違って、夕方に鳴くこの「蜩」は、また違った趣きをもち、かんかんに 照りつけられた長い長い一日が、ようやく暮れはじめる頃に、何処からともなく“カナカナ・・・”とか “ケケケ・・・”とか聴こえてきて、次第にか細くなる鳴き声は、同じ蝉と言えど全く印象が異なる鳴き声ですね。
そして同じ「蝉」でも、古えの人は「蜩」の方が好きだったようで、和歌などには真夏の「蝉」よりもむしろ晩夏の「蜩」を題にとった歌が多く見られますが、しかし、こちらも上記のように直接「蝉」を見て作った歌は少なく、どちらかというと「蜩」の方は、“儚さ”や“薄さ”の喩えで用いられたものが多く、このように“うるさい喧しい”と言いつつも、もしこの世に「蝉」がいなくなったら、やはり寂しいもので、本当に聴覚のみで、これだけ強烈に季節を感じさせるものは、「蝉」の夏だけと云っても過言でなく、他の季節の鳥の声や 動物の鳴き声などには、それぞれの趣きがあるものの、「蝉の声」の前には霞んでしまうかのようですね。http://www23.big.or.jp/~lereve/saijiki/34-2.html
 
かなかなの   かなかなとなく   夕かな   ―清崎敏郎
 
それでは、盛夏の「蝉」の喧騒から、秋の気配を忍ばせた風景の中で“かなかなと”「蜩」が鳴く頃となりましたが、そんな夏の果ての静かなる銀座にて、「蜩」の声に夏が去り、「蜻蛉」の羽に秋が映る風雅な様を、ご一緒に過ごしていただけますことと、ご来店心よりお待ち申し上げております。
 
♪本格的な板前料理 銀座『そうかわ』
中央区銀座8-7銀座ナイン・2/B1 tel 3571-6944
http://www.ginza-9.com/shop_Guide2/2_37.htm
 
♪白金台『すし兆』
港区白金台5-15-1 アド白金台 B1F   tel 5793-3555
http://www.akasaka-sushicho.com/shirokanedai/index.htm
 
♪『オテル・ドゥ・ミクニ』
新宿区若葉1-18 tel 3351-3810
http://www.oui-mikuni.co.jp/cgi-local/top/index.cgi
http://r.gnavi.co.jp/g860700/
 
 
♪Yahoo!ジオシティー
*8月11日より“新連載”『タナトスと危険なダンスを』菊池勇生http://geocities.yahoo.co.jp/gl/tanatos0816
 
 




















 
由美グルメリンNo.5‥-『由美』の“お盆”のひととき♪ 贅沢三昧“キャビア”“鮑”“Chateau MARGUX 1997マグナム瓶”“ヒレステーキ”銀座『塩澤』♪ “松阪チャンピオン牛ステーキ”築地『さとう』♪ 「瞬間小顔美人」 byレイ・ビーティヘルス研究所♪
 

海水浴   この朝潮の   紺に染まむ  ―大谷碧雲居

 

暦では“濃霧昇降す”「立秋」末候を迎える頃となりましたが、あっという間に過ぎてしまったお盆はいかがお過ごしでしたか?
『由美』&『けんたうろす』では、このお盆は“暦どおり”営業しておりますが、今年のお盆はいつもになく人影も疎らで、14日15日は華やかな並木通りさえも、まるで静けさの中に眠っているかのようでしたが、ようやく今日あたりからは徐々に銀座も賑やかさを取り戻し、朝から街のざわめきを感じておりますが、残り二週間となった八月の週末には、台風の過ぎ去った後の、燦燦と輝く太陽の下で、もう一度くらい、煌く波を眺め、“紺に染まる”「海水浴」へと出かけてみたいものですね。 今号はそんな夏の風物のひとつ「海水浴」について調べてみました。
さて、現代では「海水浴」と云えば、殆どがレジャーですが、日本に於いての「海水浴」の歴史は、古くは「イザナミノミコトが黄泉の国の汚れを除くために筑紫の檍原で海水に浴した」と「古事記」に記されていることからも、奈良時代には「身を清める」のが目的でした。その後、平安時代に入ると「武芸」のひとつとなり、さらに江戸時代には、諸藩が川や海で体を鍛える「水練」の目的で海に入るようになりましたが、やがて明治時代になると、今度はヨーロッパの医学伝来による療養目的での「海水浴」が行われるようになり、但し当時は、孤島の、打ち寄せる波が激しい荒磯海岸で行うのが望ましいとされていて、激しい波に身体を晒し、皮膚を刺激するのが健康に良いと考えられていました。(日本経済新聞 8月17日朝刊『文化』より)
http://www.nespa.or.jp/mysports/special/200208.html
ところで、この「海水浴」の歴史は古く、古代では既に「旧約聖書」にエジプト人の「沐浴」が記されていて、ギリシャ島民の遊泳と飛び込み(ヘロトドス)は庶民の記録ですが、フェニキア王の娘・ナウシッカの「沐浴(オデュッセイア)」は、王侯貴族の記録とされていました。
その後、14〜15世紀のヨーロッパでは、浴場の風紀が乱れに乱れ、以後、18世紀までは白眼視されていましたが、ようやく1750年に、イギリスのR.ラッセルが「ブライトンの海に浴すれば百病全快」と宣伝してから「近代海水浴」が始まり、急速にヨーロッパ、アメリカで普及し、日本へは明治の始めに伝わり、当時、片瀬・江ノ島を訪れた外国人の「海水浴」の記録が残されています。
そんな日本での「近代海水浴」の始まりは、1880年、兵庫県須磨明石海岸で大阪鎮台の脚気患者の兵士を療養のために「海水浴」させたのが最初とされ、その翌年、愛知県知事の国直廉平が、当時の愛知病院長後藤新平と計って、同県の潮湯治の故地大野の「千鳥浜海岸」に小屋がけをして「海水浴場」としましたが、後藤はさらに論文「海水功用論と海浜療法」を発表し、それに着目した陸軍軍医総監松本順が、神奈川県大磯照ヶ崎海岸を理想的な「海水浴場」として推薦し、1885年に「大磯海水浴場」を開設したのが発祥です。http://www.sokuhou.co.jp/library/thalasso2/thalasso-2.html
しかし、その一方で「富岡」(横浜市金沢区)、「保田」(千葉県安房郡鋸南町)、二見が浦(三重県度会郡)、鎌倉などの「海水浴発祥の地」を標榜している地域も少なくなく、その碑は複数地に存在していますが、そんな“発祥の地”の中でも「大磯」が特徴的なのは、鉄道が開通した明治20年(1887)以降で、それまでは皆無だった「大磯」への避暑が、著名人の夏期休暇の動向として、当時の「四大臣」と題された記事には「西郷海軍大臣・豆州より帰京」「山縣内務大臣・大磯海水浴」「松方大蔵大臣・富岡別荘」「大山陸軍大臣・静岡」と記されていて、中でも「山縣大臣」の項には、「大磯」「富岡」とそれぞれに「海水浴場」があるのに、何故か「大磯」だけは「別荘」ではなく、「大磯海水浴」と記され、東海道線・大磯駅開通2年目当時の、東日本に於ける大磯の「海水浴」の人気が伺えるかのようですね。
http://m-y-star.com/yuhodo_home/shonan_story/sea_bathing.html
 
そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。
私は自由と歓喜に充ちた筋肉を動かして海の中で躍り狂った。
先生はまたぱたりと手足の運動を已めて仰向けになったまま浪の上に寝た。
私もその真似をした。
青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。
「愉快ですね」と私は大きな声を出した・・・―夏目漱石「こころ」           
 

それでは、この週末は夏目漱石が日本で初めて「海水浴」を描いた鎌倉の海が見れる場所にて、広い青い海の清浄な空気に触れられながら、夏の想い出に耽る・・・そんなよき週末をお迎え下さいませ。そしてまだまだ続く“お盆”後半ですが、八月の静かなる銀座の街並みを、きっとご一緒に歩けますこととあなた様のご来店を心よりお待ち申し上げております。

 
 
♪田中玲子著「瞬間小顔美人」 
byレイ・ビーティヘルス研究所 
http://www.rey.co.jp/
 
♪松阪チャンピオン牛ステーキ”築地『さとう』
中央区築地4-2-9 tel 3541-2929
http://r.gnavi.co.jp/g014000/
 
♪ステーキ『塩澤』 
東京都中央区銀座8丁目3-10 トミタビルB2  
tel 3572-7613
♪贅沢三昧“キャビア”&“鮑のステーキ” 銀座ステーキ『塩澤』
♪Chateau MARGUX 1997マグナム瓶”
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由美グルメリンNo.6‥『源 吉兆庵』八月生誕記念菓子“瀧 廉太郎ごのみ”♪ 蜻蛉飛交う午後のひととき『久邇CC』♪ 安心して満足にいただける“エコ・イタリアン”代官山『Cuore di ROMA』♪ “美味探求”華やかなパリのサロンの雰囲気のフレンチ・京橋『シェ イノ』♪

 
あさがおは朝露負いて咲くといえど 夕影にこそさきまさりけれ―万葉集
 

暦では、まもなく暑さが峠を越えて後退し始める「処暑」初候を迎えますが、まだまだ今週も“暑さ止まぬ”蒸し暑い日が続くとの見通しで、こんな「真夏日」の週始めはいかがお過ごしですか?

この「処暑」とは、旧暦7月の中気で、立秋から約半月後にあたり、天文学的には、太陽が黄経150度の点を通過する瞬間で、二百十日・二百二十日とともに台風の特異日とされていますが、一般には8月8日に「立秋」を迎えた時に、ひと先ず暑さも峠を迎えたのかと早合点しがちですが、実は、一年の内で最高気温を出すのは「立秋」から「処暑」までの間が最も多く、「処暑」の“暑さがまだ停っている”という意味からも、どうりでこう毎日暑いわけで、さらにこの「処暑」から次の「白露」までの間も、しばらく暑さが厳しく残るようですので、どうか「処暑」と言っても油断せず、くれぐれも夏バテなさらいようにご自愛下さいませ。http://www.plantatree.gr.jp/24/14shosho.html

さて、初秋の花といえば「朝皃(あさがお)」ですが、この花は夏のうちから盛んに咲きますが、やはり初秋の風情が濃く、紺一色の花弁に微塵の露を散りばめて、棚にいくつも咲いている様はまことに涼しげですね。

そんな「あさがお」の歴史は古く、日本最古の歌集「万葉集」にも“あさがほ”として登場していますが、冒頭の万葉の時代の「あさがお」は、「朝皃」「朝容皃」「朝杲」「安佐我保」などと読まれ、いずれも“あさがほ には違いないのですが、現代のヒルガオ科の「あさがお」とは違い、この時代はキキョウ、ムクゲ、ヒルガオを指し、朝に咲く綺麗な花に与えられていた名前でした。その訳は、現在の蔓性の「アサガオ」は、当時、まだ渡来していたかどうか定かではなく、後の平安時代に渡来したと云うのが通説であったためで、「万葉集」には「あさがお」の歌は5首詠まれていますが、冒頭の
「朝露負いて・・・」の他、「恋・・・花の色にいでじ」「・・・いわばゆゆしみ・・・穂には咲きでね恋」などの情熱的な表現からも、いずれも青系の鮮やかな花がイメージできますが、但しその中でも、山上憶良の「秋の七草」の一首には、「あさがお」は“秋の野に咲く花”とあり、果たして現在の「アサガオ」が適合するのか分かりませんが、実は、山上憶良は、筑前守として天平元年〜五年の間、九州に滞在していた記録があり、百済人を父にもつ憶良は、二世帰化人として、既に大陸の「アサガオ」についての知識を持っていたかもしれず、秋の野に咲く最後の種として、通説の「キキョウ」ではなく、蔓性の「アサガオ」を加えた可能性は 十分に考えられますね。 http://manyo.web.infoseek.co.jp/asagao.htm
ただその後の平安時代の「源氏物語」や「枕草子」に記述されてる「あさがお」は、既に現在の蔓性の「アサガオ」かと思われ、遺伝子解析により、原産地がネパール高原であることも明らかで、日本には遅くとも8世紀末に、遣唐使によって薬草などとともにシルクロードを経て、運ばれていたと考えられています。
 
朝皃や   露もこぼさず   咲きならぶ ―三浦樗良
 
それでは、この暑さの中で「・・・夕影にこそさきまさりけり」と、夕方まで“咲きならび”遥か平安の昔よりシルクロードを渡ってきたそんな「朝皃」を、そっと庭先に愛でられるようなよき一週間をお過ごし下さいませ。
 
 
 
♪『源 吉兆庵』八月生誕記念菓子“瀧 廉太郎ごのみ” http://www.kitchoan.co.jp/
 
♪睡蓮の池で蜻蛉飛交う午後のひととき『久邇CC』
 
♪“EcoItalia”代官山『Cuore di ROMA』
♪渋谷区代官山町17-6 代官山アドレス・ディゼ1F tel 3464-0106
http://www.ecoitalia.co.jp/
 
 
♪『シェ イノ』中央区京橋2-4−16 明治製菓本社ビル1F tel 3274-2020
http://www.french.ne.jp/cdt/inno/inno.htm
♪“究極のフレンチ”京橋『シェ イノ』の玄関 & “パリの社交場の雰囲気をもつ店内”
 
 
 




















 
由美グルメリンNo.7‥【Straight,10月号】「ふたりの京都」“満足の方程式”『由美が案内する大人の男の京都』♪ 初秋の香り“松茸づくし”銀座『すし銀』♪ 
 
松杉を   ほめてや風の   かをる音   ―芭蕉
暦では、“綿の花しべ開く”「処暑」初候を迎えましたが、まだまだ日中は“暑さ止まぬ”残暑の続く今週はいかがお過ごしですか?
この度私事ですが、8月24日発売の【Straight,10月号】(扶桑社刊)の特集「ふたりの京都」“満足の方程式”にて、“京都を愛する3人の女性が提案”の中のひとりとして<大人の男の京都>をご案内させていただきましたので、今号はその内容を少しご紹介させていただきますね。
http://www.fusosha.co.jp/straight/index.html
今回の私のページは、<週末京都人>ならではの視点で“知れば知るほど奥深い京都の文化”や、“週末を過ごす事によって垣間見える「京都の素顔」”。また“「一見さんお断り」の文化に学ぶ大人の遊び方”などを10ページに亘ってご案内させていただいておりますので、どうか【Straight,10月号】を是非この機会に書店にてお求めいただければありがたく存じます。そして“由美流”<週末京都暮らし>のスタイルから学んだ京都の文化と歴史をご覧下さいませね。

さて、冒頭の芭蕉は、藤原定家の歌「むかなその名も知らぬ深山木に知る人得たる松と杉とを」を引いて作った句として有名ですが、京都の北山の杉林を訪れる度に、“一陣の夏の風が定家が植えた松や杉をいとおしむように吹いていく・・・”と、そんな想いに駆られますが、この句は芭蕉が、北山からさほど遠くない京都嵯峨の落柿舎に滞在中に作った句とされています。http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/matusugi.htm#ku

「小倉の山院」とは、藤原定家の小倉山の山荘跡に作られたといわれている日蓮宗「常寂光寺」のことで、ここには、定家が植えたといわれている「時雨の松」という有名な松の木がありましたが,lただし、定家の時代には、芭蕉の時代のように、松や杉を庭木として尊重する風雅はあまり無く、殊のほか紅梅や柳などが珍重され、その後、武家の世になってからようやく、松や杉、特に黒松などの樹木が珍重されるようになりましたが、そんな歴史の中、今回の「京都特集」のページでご案内させていただいた「北山杉」は、庭木として“愛でられる”よりも、1200年もの間、長岡京や平安京の造営と深く関わり、その隆盛は、室町・桃山時代の“茶の湯文化”の興隆とともに始まり、数寄屋造りの茶室建築の発展とともに、「北山丸太」として愛用されて参りました。http://www.kyo.or.jp/kyoto/web_manabiguide/kougei2/kougei08.html

【Straight,10月号】の中では、この北山の「菩提の滝」の砂にて、“磨き丸太”を磨いている場面や、「北山杉」での“リフォーム”を提案する東京「ふるせ」世田谷ショールーム(9月1日OPEN)もご紹介させていただいておりますので、どうか合わせてご覧いただければ幸いです。
http://www.furuse.jp/showroom/index.html
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/matusugi.htm#ku
それでは、秋驟雨が心配な今宵ですが、この週末は京都の北山の方から降ってくる「北山時雨」へと想いを馳せ、まもなく迎える京の秋の風情を、きっと【Straight,10月号】「ふたりの京都」“満足の方程式”にて味わっていただけますこととよろしくお願い致します。
 
 
♪【Straight,10月号】(扶桑社刊)「ふたりの京都」『由美が案内する大人の男の京都』♪
http://www.fusosha.co.jp/straight/index.html
 
♪京都の祇園の花見小路”極上の味わい “予約のみの隠れ家”別邸『乾坤』
http://www.gion-hanasato.jp/
 
♪“一見さんお断り”祇園“お茶屋”『福嶋』 京都市東山区祇園南側570

♪天皇陛下も触れられた“樹齢数百年”「台杉」の堂々たる雄姿
 
♪和の「ふるせ」
*「ふるせ」世田谷ショールーム“9月1日OPEN” http://www.furuse.jp/showroom/index.html

♪♪“紫紅彩”―“釉へのこだわり”清水焼
『谷口正典』谷口工房 &西陣『丸弘』
http://www.kiyomizuyaki.org/member/49.html

♪京都別宅“母との憩い”

 
『すし銀』中央区銀座8-6-24 銀座会館B1F tel 3574-0588

♪初秋の香り“松茸づくし”銀座『すし銀』
 




















由美グルメリンNo.8‥由美が案内する大人の京都”A by【Straight,10月号】特集「ふたりの京都」♪ 『京都御苑』九条池に映える“拾翠亭”の「百日紅」♪ “伝説のバーテンダー”銀座『MORI BAR』の“Cocktail”♪ 
 
炎天の   地上花あり   百日紅   ―高浜虚子
暦では“天地始めて寒し”「処暑」次候を迎えましたが、曇り空の週始めはいかがお過ごしですか?
キリンズは、まだ残暑止まない京の炎天の下、花種の少ない夏に“百日咲く”と云われる「百日紅」を「京都御苑」にて、そっと愛でることの出来た週末でした。
さて、「百日紅(サルスベリ)」とは、元は中国南部原産の落葉小高木ですが、江戸初期に日本に渡来し、南方系の植物のためか、春の芽だしは遅く、新しく伸びた枝の先端に円錐形の花序をつけ、花は7月の初めから咲き始め、9月の終りまで真夏の日射しを楽しむかのように咲く花です。

この「百日紅」の一つ一つの花は、数日でも次々と蕾が生じるので次から次へと咲き、「百日紅」と漢名で書かれるのは花期が長いことからで、また和名の「サルスベリ」は、樹肌がつるつるで猿も滑り落ちそうなため「猿滑」の漢字が付き、古くは樹肌の平滑な樹木であれば、どの木でも“サルスベリ”とか、“サルダマシ”とか云われていたそうです。ただこの「サルスベリ」、花の色が華やかで綺麗な割には、名前の“さる(去る)”“すべり(滑り)”からか、祝儀の花には相応しくないとされていて、飾り花としてはあまり見かけませんが、その花姿は、実にユニークで、花序全体を見ると花弁だらけで分かり難いのですが、一つの花を手に取ってみると、雄蘂には長短二種類あり、二種類の花粉が、それぞれの役割をもちます。
その役割とは、40本前後の雄蘂の中、外側の6本のみが長いのですが、短い雄蘂は虫を誘き寄せるための花粉を出し、一方、長い雄蘂は、中心に1本ある雌蘂に受粉させるための花粉を出します。 http://homepage3.nifty.com/bazenu/sarusuberi.htm

そんな面白い花容の「サルスベリ」ですが、花の色は青い空に映える鮮やかな紅色のみならず、薄紫もあれば白もあり、中でも、白い「サルスベリ」の小さな花は、夏の陽射しの中でも、何処か涼しさを漂わせていて、その姿は漢名で「百日紅」と書くよりは、古きのままに「猿滑り」と書く方が、心なしか風雅に思えますね。http://had0.big.ous.ac.jp/~hada/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/lythraceae/sarusuberi/sarusuberi.htm
 
咲き満ちて   天の簪    百日紅   ―阿部みどり女
 
それでは、晩夏の緑の庭に、紅白の「百日紅」が“咲き満ちて”いた葉月もまもなく終わりとなりますが、どうか迎えます長月も『由美』&『けんたうろす』をよろしくお願い申し上げます。そして私事ですが、8月24日発売の【Straight,10月号】(扶桑社刊)の特集「ふたりの京都」“満足の方程式”にて、“京都を愛する3人の女性が提案”の中のひとりとして<大人の京都>を、10ページに亘って、ご紹介させていただいておりますので、詳しくは【Straight,10月号】を、書店にてお求め下さいますようよろしくお願い致します。http://www.fusosha.co.jp/straight/index.html
♪“由美がご案内する大人の京都” A by【Straight,10月号】京料理『田鶴』
http://www.tazuru.com/
http://www.fusosha.co.jp/straight/index.html
♪銀座のママも唸る、京都のバー3軒
*上・『石水』&『K-ya』&『Lu Peu』
http://www.fujita-kyoto.com/rest/tenpo/sekisui.html
http://www.monologuecafe.com/cafe/kya.htm
http://www.le-peu.com/
 
♪『京都御苑』九条池に映える“拾翠亭”の「百日紅」
http://www.kyotogyoen.go.jp/p_outline.html
 
♪銀座BAR『MORI BAR』の“Cocktail”
*中央区銀座6-5-12・10F tel 3573-0610
http://www.foodrink.co.jp/backnumber/200111/news05b.html
   
♪“伝説のバーテンダー”毛利隆雄氏