No.47

由美グルメリン No.1‥-『由美七夕ゆかた祭り』♪ 『けんたうろす』7月のCockatail“Big wave”♪ 『吉川晃司』7/12発売のニューシングル「サバンナの夜」♪ “シノワズリなインテリアと伸びやかな胡弓の音色”東麻布『富麗華』 by中国飯店♪ “松阪牛一頭買い”三宿『松阪苑』♪
 
白芥子や   時雨の花の   咲きつらん   ―芭蕉
 
暦では「夏至」末候となり、先週末より文月を迎えましたが、雨上がりで蒸し暑かった日曜日の午後は、いかがお過ごしでしたか?
今日七月三日の誕生花は「白罌粟=白芥子」の花ですが、その「白芥子」花言葉“眠り”の如く、昨夜はゆっくりと眠れましたでしょうか?
さて、冒頭の芭蕉の句の「白芥子」の「芥子」とは、ケシ科の一年草で、元は西欧或いは東南欧州原産と見られ、高さ1mほどの草に育ち、白・紅・紅紫・紫などの花を付け、その実からは「阿片」が取れることで有名です。
その「阿片」からは、さらに医薬品“モルヒネ”や麻薬の“ヘロイン”が精製されますが、「芥子」という呼称は、本来“カラシナの種”のことを差し、この“カラシナ”とは“辛子(マスタード)”の原料となる辛味のある植物で、日本ではその“カラシナの種”と“芥子の種”が混同されて、毒性のある草の方とともに「芥子」と呼ばれ、さらにその音読みの“カイシ”という呼称から和語の「芥子(ケシ)」が生まれました。
「芥子」というと、先ず中毒を起こす草のイメージの方が強いようですが、実は全ての“ケシ”が毒性を持つている訳ではなく、例えば、同じケシ科でありながら、キリンシスターズNo.359にて、書かせていただいた「ポピー」や「虞美人草」の名でも呼ばれる“雛罌粟(ヒナゲシ)”、“オニゲシ”は全くの毒性を持たず、毒性を持つ種類としては、「麻薬」の材料となる“アヘンゲシ”のみと云われています。
http://homepage3.nifty.com/onion/labo/opium.htm
ところで、「芥子」の歴史は古く、先史時代のスイスの遺跡からは、既に“ケシの種”が見つかっていますが、古代ギリシャ文明に先立って栄えたミノア文明(3500〜5500年前に地中海で栄えた文明)では、「ケシの女神」が崇拝されており、遺跡からは頭にケシの実の帽子をかぶった「ケシの女神像」が見つかっていて、その他、3500年前の医学書である古代エジプトの「エーベルス・パピルス」には、「子供が泣くときには、“アヘンケシ”のシロップを与えるのが良い」とも記されています。
そんな「ケシ」のギリシャ神話との結びつきは強く、特に豊穣の女神であるデメテルは「ケシ」と密接な関係にあり、娘のペルセポネを冥界の神ハーデスに奪われた時にも、彼女はその悲しみを「ケシ」の匂いで癒したとされ、やがて「ケシ」はデメテルそのものを表すようになり、彼女の絵には、豊穣を象徴する麦の穂と共に「ケシ」の花が描かれるようになりました。
その後、古代ギリシャやローマ、エジプトといった国々でも、「ケシ」は賛美の対象となり、人々はコインや花瓶、彫像などのモチーフにケシの実(?果)をあしらいましたが、古代ギリシャ・ローマが滅ぶと、今度は、“ケシ文化”の中心はアラビアへと移り、アラビアの人々はこの綺麗な花から取れる乳液状の薬品を“アフィウン”と呼び、これが中国に渡って「亜芙蓉(あふよう)」または「阿片」という言葉になりました。
近代に於いての「ケシ」は、ヨーロッパの帝国主義に乗って新大陸や植民地にも持ち込まれ、「清国」はこの「ケシ=阿片」に因って、1842年のアヘン戦争で大惨敗を喫し、国際発言力を失って香港、マカオなどの港を開港されられますが、後の1997年に返還された「香港」は、その名の由来は“アヘンの匂い”から来るとする説もあるほどで、過っては古代エジプトに於いて、単に花としての美を賞賛された「ケシ」ですが、このように一本の「ケシ」が、国を変えた歴史をも持ち、本当にたかが「ケシ」、されど「ケシ」ですね。http://tamagoya.ne.jp/potechi/2003/20030522.htm
 
白罌粟に   羽もぐ蝶の   形見かな   ―芭蕉
 
それでは、今週はそんな「芥子」こと「アイスランドポピー」の花言葉の如く、ともに“慰めと安らぎ”を齎らせられるようなよき一週間をお過ごし下さいませ。そして“眠りの神”ソムアヌが、“実りの女神”セレスの疲れを取り除き眠らせようと作られた古代の「ケシ」の花伝説へと想いを馳せ、今宵は「白罌粟」などを飾って、あなた様に少しでも安らいでいただけるように努めさせていただきますので、文月もどうか『由美』&『けんたうろす』をよろしくお願い申し上げます。
 
 
♪由美『七夕ゆかた祭り』 7月5日・6日・7日
♪『けんたうろす』
7月のCockatail“Big wave”
シルバー・テキーラ、マンゴスチン・リキュール、
ブルー・キュラソー、
パイナップル・ジュース、ソーダ.
 
♪『吉川晃司』
7/12発売のニューシングル「サバンナの夜」 by徳間ジャパンコミュニケーションズ
http://www.kikkawa.com/main.html
 
♪中国飯店『富麗華』東京都港区東麻布3-7-5 tel 03-5561-7788
http://www.chuugokuhanten.com/storefureika/
http://www.ehills.co.jp/rp/dfw/EHILLS/townguide/lunch/fureika.php
    *『富麗華』3階“個室”  
 
♪“松阪牛一頭買い”三宿『松阪苑』 http://r.gnavi.co.jp/a001706/
〒154-0001 東京都世田谷区池尻1-11-7 KH三宿ビル2F TEL:03-5432-7400 
    ♪“幻の松阪牛一頭盛り”
 




















 
由美グルメリンNo.2‥『由美七夕ゆかた祭り』7月7日まで♪  完全予約制“一日一組”新橋料亭『吉川』夏の料理♪ 越後『叶家』築地店・蔵元と共に“新潟を楽しむ集い” by朝日酒造♪ 幻の「久保田」大吟醸“20周年記念”金ラベル♪ 
 
天の川相向き立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き設けな ―山上憶良
 
明日7月7日は“温風至る”「小暑」初候を迎えますが、今年の「七夕」は、あいにくの雨予報で、この様子では、年に一度の“星伝説”「織姫星」と「夏彦星」との“天の川”を渡っての逢瀬は、叶いそうにないようですが、こんな雨雲に覆われた「七夕」宵は、いかがお過ごしのご予定ですか?
『由美』では昨夜より、恒例の「七夕ゆかた祭り」を開催しておりますので、どうか今宵あたりはご一緒に,短冊に願い事などを書いて、懐かしい七夕の風雅を味わっていただけませんでしょうか?
さて、「七夕祭り」は、五節句の一つにも数えられ、7月7日または8月7日に多く行われる祭ですが、古くは“棚機”とも記し、今日一般的に“たなばた”と発音するのはその名残で、元来中国での「乞巧奠」の風習と日本に古くから伝わる“棚機姫信仰”とが結びついて節句行事になったと云われています。
「織女」や「牽牛」という星の名称は 約3000年前、中国の「周」時代の詩を書き連ねた「詩経」が初出とされていますが、一方「七夕伝説」は、漢の時代に編纂された「文選」の中の「古詩十九編」が、文献としての初出とされており、南北朝時代の「荊楚歳時記」や、その他「史記」等の中にも記述がありますが、日本の“棚機津女伝説”は「古事記」が最初で、村の災厄を除いてもらうため、水辺で神の衣を織り、神の一夜妻となるため機屋で神の降臨を待つ“棚機津女”という巫女の伝説が書かれています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95

ちなみに“たなばた”の語源は、元はこの巫女“棚機津女”に因み、また日本の宮中に於いて最初に“七夕の行事”らしきものを行ったのは、持統天皇が初めで、「日本書紀」には「六九一年七月七日に宮中で公卿を招いて宴を催し朝衣を賜った」と記載されていますが、奈良時代の「万葉集」には130首を越える“七夕の歌”が登場し、その多くは男女の恋の物語として詠まれ、冒頭の山上憶良や、大伴家持の歌などに「七夕」に纏わる歌が多く存在しています。http://www.yuko.ne.jp/tanabata/linkpage3.htm

また、古くから知られている歌としては、「古今集」の在原業平と紀有恒の旅の歌があり、「伊勢物語」八十二段には同じ歌が物語風に仕立てられていて、二人が「天の川」の畔で交わした次のような歌が有名で、「狩暮らし棚機乙女に宿借らん天の河原に我は来にけり」と、刈りをして日が暮れてしまったので、今夜は織姫星の家に泊まろりましょうよ。天の川にきてしまったのだから・・・と、在原業平が詠むと、紀有恒は、「一年に一度来ます君を待てば宿貸す人も有らじとぞ思う」と、織姫星は年にたった一度訪ねてくる彦星を待つ身ですから、他の人には宿は貸してくれないでしょう・・・と、詠んで助け舟を出したと云われています。
それでは、今宵は遥か万葉の彼方へと想いを馳せ、冒頭の山上憶良の歌の如く、“天の川に二人で向かい合って立っていると、きっと私が恋しいと思っている方が会いに来て下さるから、さあ、身支度を整えてお待ちましょう・・・と、そんな想いを心に抱きながら、『由美七夕祭り』へのお越しをお待ち致しております。
 
 
 

 
♪“完全予約制”料亭『吉川(きっかわ)』
♪完全予約制“一日一組”新橋料亭『吉川』夏の料理

 
♪越後『叶家』築地店  
蔵元と共に“新潟を楽しむ集い” by朝日酒造
http://www.asahi-shuzo.co.jp/

*幻の「久保田」大吟醸“20周年記念”金ラベル
♪越後『叶家』築地店 中央区築地3-12-5 築地小山ビルB1
tel 03-3541-7578
http://www.kanou-ya.com/ http://r.gnavi.co.jp/g781105/
 
 




















 

由美グルメリンNo.3‥“浴衣姿で勢ぞろい”七月七日『由美七夕まつり』♪ 究極の“鱶鰭”対決!魚翅海鮮酒家『福臨門』銀座店の“極上の鱶鰭”♪vs 中国飯店『富麗華』の“鱶鰭姿煮”♪

 
浴衣着て   水得し花の    ごとくなり  ―中田 葉月女
 
暦では、間もなく“蓮始めて開く”「小暑」次候となりますが、梅雨ひと休みのこの週末はいかがお過ごしでしたか?

キリンズの今朝は、薄暗い未明より起きて、ワールドカップの決勝戦を、度々襲う睡魔と闘いながらも観戦しておりましたが、あいにく応援していたフランスは、今大会限りでの引退を表明し、惜しまれつつ花道を去るはずだったのジダン選手の、自らの軽率な行為“頭突き”による退場で、PK負けの寂しい結果となり、さらには一時代を画した名選手の最後としては、有終の美も飾れず、何か後味の悪い幕引きとなってしまい本当に残念に思いました。
でも、それに対する勝者イタリアは、大会前のユヴェントスを中心とするクラブ・スキャンダルの苦境にも負けず、リッピ監督が「選手たちにお礼を言わねばならない。人生の中で最も成功を感じるときだ」と、1ヶ月に渡る戦いの末に“世界一”の称号を手にした選手たちを絶賛し、喜びで溢れる心境を素直に表わしていたのが印象的で、リッピ監督と選手たちの“生涯で最高に満足した瞬間”に、心からの感動を覚えました。http://wc2006.yahoo.co.jp/hl?c=event&a=20060710-00000342-reu-spo

さて、7月7日に迎えた「小暑」より、こらからの一ヶ月間・8月8日の「立秋」入り前日までが暦上での「暑中」ですが、毎年“暑中見舞い”の葉書はこの期間に出し、と同時に7月15日は「中元」を迎えますが、今号では「中元」の由来について少し調べてみました。
この「中元」とは、元は古代中国の道教の天神信仰に由来し、この天神信仰とは、上元(1月15日)、中元(7月15日)、下元(10月15日)の“三元の日”に天神を奉り身の汚れを清める慣わしで、上元の月には上元生まれの天官(天神様)を、中元の日には中元生まれの地官(慈悲神様)を、下元には下元生まれの水官(水と火を防ぐ神様)の三官を奉り、この三官のうちの7月15日の中元の「慈悲神様」が、仏教の「盂蘭盆会」(お盆)の行事と結び付いたと言われ、その後、この「中元」だけが日本に伝わり、“盆”と混じり合って、仏に供えるお供物を、親戚や隣近所に贈る習慣となったことがそもそもの「中元」の始まりです。
そのため今でも地方によっては、「中元」とは言わず、「盆供」や「盆礼」と呼んでいるところもありますが、やがて、一年の半ばにあたる「中元」の7月15日に、一年を半期に分けて“盆”と“暮”とに区切り、商い先やお世話になった人に贈り物をする習慣ができ、その後、江戸時代になって庶民の贈答行事へと広まり、今では「御中元」といえば、“中元の贈答品”を表すようにまでなり、現在行われている「御中元」は、1年の上半期の区切りの意味で、6月下旬から8月上旬までの間に、日頃お世話になっている方に贈り物をする慣わしです。
http://www.matsukawaya.jp/topics/02.html
http://www.senshukai.co.jp/main/giftmanner/yurai.htm

ところで、この贈答の「御中元」、地域によっては贈る時期は様々で、関東では6月下旬より7月15日までに贈り、それ以降は「暑中御見舞」、立秋を過ぎると「残暑御見舞」として贈るのが一般的で、一方、旧盆の習慣がある関西以西では8月15日迄に「御中元」を贈り、また目上の方へ贈る場合は、「暑中御見舞」「残暑御見舞」ではなく、「暑中御伺い」「残暑御伺い」としますが、ちなみに贈答に失礼にあたる品物としては、“踏みつける”という意味の履物類で、時計・筆記用具類なども“勤勉奨励”の意味があり、目上の人に贈るには相応しくない品物とされているようですから、キリンズも今後は贈答のマナーには十分気を使い、せっかくの“贈り物”ですから、少しでも感謝の気持ちが伝わるようにしたいものですね。
その他のマナーでは、「御中元」はお祝いではないので喪中の人に贈っても、また贈られても問題ないそうですが、但し、贈りたい相手が喪中の場合は四十九日が明けるまでは贈るのを控え、代わりに「暑中御見舞」「残暑御見舞」などとして、時期をづらして贈り、その際には派手な包装や紅白の水引は避け、白無地の奉書紙を掛けて贈り、配送ならお慰めの一言を添えるのが良しとされています。

 
中元や    水の中ゆく    水の棒   ―山本 洋子
 
それでは、この7月15日「中元」には、“天・地・水の神様”三官へと祈りを捧げ、この道教の神の誕生日を祝うとともに、縁のある方々を慈しみ、皆様に日頃の感謝の想いを伝えたく思っておりますので、今週もそんな「中元」の時季に、心をこめて頑張ります『由美』&『けんたうろす』をよろしくお願い申し上げます。

♪“浴衣姿で勢ぞろい”七月七日『由美七夕まつり』
 
*『福臨門』銀座店  
中央区銀座5-4-6 ロイヤルクリスタル銀座7F  tel 6215-6996
八尾佳紀支配人へご予約下さい。http://www.fukurinmon.com/ginza/
♪魚翅海鮮酒家『福臨門』銀座店 
 *銀座“並木通りの夜景”を見下ろすお洒落な店内

♪極上の鱶鰭“頂裙翅” ¥19950

♪岩手県産“吉品鮑”(干し鮑) 25頭 \13650 & 7月”たった一ヶ月のみ”の旬「黄油蟹」

 
♪“東麻布の一角”中国飯店『富麗華』
中国飯店『富麗華』東京都港区東麻布3-7-5   tel 03-5561-7788
*小泉支配人宛てにご予約下さい。 http://www.chuugokuhanten.com/storefureika/index.html
     
♪“特選鱶鰭の姿煮” \9450 & 名物“北京ダック”
 
 




















 
由美グルメリンNo.4‥銀座一丁目“天富良”『大坪』♪ 魯山人に愛された「久兵衛」の新館・『銀座久兵衛』“別館”OPEN♪ 
 
目をつむりても雨見ゆる安居かな   ―後藤夜半
梅雨明けで、すっきりしない天候が続いている今週ですが、時折見せる晴れ間には、既に夏を思わせる暑さを覚え、各地では日々最高気温を更新していますが、この海の日の三連休は、いかがお過ごしのご予定ですか?
今日7月13日は“盆”の初日「迎え火」で、「迎え火」とは、家を浄めるとともに先祖の霊に家の在りかを知らせるため、門口で苧殻を燃やして、精霊が来臨するのを助ける行事ですが、東京周辺や東北の一部では、この「送り火」は新暦の7月13日の今宵に行われるようですが、しかし、他の地方では“月遅れ”の8月13日に行なわれている地域も多く存在します。
また“盆”の7月15日は、仏教界では「安居(あんご)」の最後の日で、「安居」とは元々梵語の訳語で、雨や雨期を意味し、本来の目的は、雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行を止めて、一カ所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐ事で、後に、雨期のある夏に行う事から「夏安居(げあんご)」や「雨安居(うあんご)」とも呼ばれるようになり、現在でも禅宗では、修行僧がこの「安居」を行い、「安居」に入る結夏、結制から、明ける解夏までの間は、寺域から一歩も外を出ずに修行に明け暮れます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B1%85
さて、日本に於いての「安居」は「日本書紀」に記述されるほどの昔からの行事で、蘇我馬子が創建した奈良の「飛鳥寺」(596年創建)に「安居院」が既に存在していますが、但し、実際にここで「安居」がなされていたのかは定かでなく、後の天武天皇の時代(673〜686)に、宮中にて「安居」が行われた記録が残っています。その後、下って桓武天皇(781〜806)の時代には、最澄や空海ら平安仏教の基盤を作った人物が、相次いで帰国した時期と重なったこともあり、諸国の国分寺にこの「安居」を行わせるようにし、仏教興隆のひとつとして盛んになり、やがて中世以降は大寺や国分寺だけではなく、一般寺院でも「安居」が行われるようになり、一般民衆にも仏の教えが普及し「安居」も知られるようになりましたが、しかし、「安居」の時期が来ても僧のように、何ヶ月もの間、籠り切りで修行に専念することは出来ないことから、代わりに「安居」の期間中は、酒肉を断つ“夏断”や、写経を行う“夏書”、または供花の“夏花”することで本来の「安居」に代えられました。http://www23.big.or.jp/~lereve/saijiki/76.html
 
朝顔に   はげまされたる   夏書哉  ―小林一茶
 
それでは、キリンズの日常には程遠いこの「安居」ですが、この週末は酒肉を断つ“夏断”は到底無理でしょうが、せめて朝顔を“夏花”として、雨の日の美しい趣きを愉しみながら、晴耕雨読、雨奇晴好と“夏書”などを励みたく思っておりますので、どうかあなた様もよき三連休をお迎え下さいませ。
 
♪天富良『大坪』
*中央区銀座一丁目五番地一号 第三太陽ビル二階
TEL 03-5250-0317
http://www.gaden.jp/info/2001a/010910/0910.htm
 
♪魯山人に愛された「久兵衛」の新館・『銀座久兵衛』“別館”open
*中央区銀座8-7-6 03-3571-6523
http://gourmet.yahoo.co.jp/0000612915/M0013000985/
http://www.delicious.ne.jp/html/toku02/kiji02/kiji02_0205_11.htm
http://www1.odn.ne.jp/senkobo/facili.html
♪“別館”1F 掘り炬燵カウンター & “別館”B1F 椅子席カウンター & 2F “お座敷”
   
♪『銀座久兵衛』“別館”  向かって右・“三代目”今田景久ご主人
 
 
 




















 
由美グルメリンNo.5‥京都五山の一位として栄えた名刹『天竜寺』の“蓮”♪ 上京区の史蹟百選『立本寺』鉢植の“蓮”♪ 川端康成の小説「古都」の舞台“北山杉”の故郷『京都中川』♪ 
 

宵山の祇園囃子の笛太鼓 もの思う夜の耳に聞こゆる ―川端康成「古都」より

 

暦では“鷹技を習う”「小暑」も末候を迎えましたが、「海の日」の三連休はいかがお過ごしでしたか?
キリンズは、先週末から続いていた真夏日の東京を離れ、「祇園祭」の“宵々山”で賑わう京都へと出かけた連休でしたが、あいにく今年の「祇園祭」は、「宵山」から連休と重った割りには、昨年の6割の人出に終り、さらには大雨の中での「山鉾巡行」となり、ビニールで包まれた鉾の後ろに、傘の花が咲く大変な巡行でしたが、ただそんな中でも、激しい雨音を押し返すように大きく響いていた「コンチキチン」の囃子や、「エンヤラヤ」の掛け声の力強さには、千百年の歴史と伝統の重みの中を、いくつもの苦難を乗り越えて、祭りを守ってきた町衆の心意気を強く感じ、これまでの三度の巡行見物の中でも、今までにない印象深い「祇園祭」として心に深く残りました。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/gion/gion.html
さて、「祇園祭」に先立つ「宵山」の午後にキリンズは、川端康成の小説「古都」の舞台としても有名な“北山杉”の故郷「中川」の自然に癒されて、ゆったりとした時空の中にて森林浴を愉しんで参りましたが、この“北山杉”の歴史とは、元は室町時代に始まり、茶道の隆盛とともに現在までの約600年間、受け継がれてきた京都の伝統産業で、天正年間には、この“北山杉”の磨丸太が、仙洞御所の茶室に用いられ、朝廷の御用木として“北山杉”の名が確定されました。http://www12.ocn.ne.jp/~ydaisuke/
また、数寄屋建築にはこの“北山杉”が必ずといっても良いほど使われていて,桂離宮や修学院離宮や,島原角屋等は“北山丸太”を使った数寄屋づくりの代表的建築で,北山の歴史が残した尊い遺産でもあり、この自然の木肌の清純さ、格調の高さは"京都府の木"として指定されてもいます。
http://www1.sphere.ne.jp/rest/kyonisi/kitayama.html
ところで、自分自身も“双子”の縁からか、川端康成の名作小説「古都」は、学生時代からのキリンズ愛読書のひとつですが、そこに登場する“北山杉”の凛とした姿にも似た双子の姉妹の美しさは、個人的な好みでは、昭和38年に演じた岩下志麻の「千重子・苗子」の方が、後に山口百恵が演ずる“双 子姉妹”より、気品に満ちて、優美に思えますが、最近の作品には、新たに上戸 彩の「古都」もあるようですので、奇しくもこの連休に「祇園祭」「北山杉」「双子姉妹」と云う、3つのキーワードに関わってしまった縁もあり、今週は時間の許す限り、順番にこの三本の「古都」を観てみたく思いました。
 
ゆくもまた   かへるも祇園    囃子の中   ―橋本 多佳子
 

それでは“古都”京都にて、千百年の歴史を誇る風物詩「祇園祭」の“山鉾巡行”を目にし、苗子の住む“北山杉”の故郷「中川村」の奥深い緑を愛で、「古都」の中で千重子と苗子が偶然の出逢う「宵山」の夜のへと想いを馳せ、小説の如く“古都巡り”をして参りましたキリンズを、今週もよろしくお願い致します。そして今宵はあなた様よりも、きっとこの連休の出来事などをお聞かせいただけますことと願って、ご来店を心よりお待ち申し上げております。

 
 
♪上京区の史蹟百選『立本寺』鉢植の“蓮”
『立本寺』 http://www.city.kyoto.jp/kamigyo/tree/tree_2/tree_2_f/tree_3F/SF_14.html
♪京都五山の一位として栄えた名刹『天竜寺』の“蓮”♪
http://www.pref.kyoto.jp/intro/isan/tenryuji.html
http://cckyoto.web.infoseek.co.jp/video/2005haru_ten.htm
♪京都北山“北山杉のふるさと”「中川八幡宮」の母樹“シロスギ”
♪天皇陛下も触れられた“樹齢数百年”「台杉」の堂々たる雄姿
♪真っ直ぐに伸びる北山杉の“磨丸太”  http://www12.ocn.ne.jp/~ydaisuke/
 
 
 
 




















 

由美グルメリンNo.6‥“紫紅彩”―“釉へのこだわり”清水焼『谷口正典』日本新工芸選抜小品展 at大丸京都店〜7月25日まで♪ “深海へ遺跡”清水焼『谷口良孝』♪ “旬の魚彩と鉄板焼きステーキ”銀座『塩澤』♪ 

 
送り梅雨の激しい雷の中でも平気でいた晴自慢の紫陽花(あじさい)は、
最後の彩変えをして眩しい夏の光りの中に何やら言いたそうな顔でいた。
この年の夏はいつもより永い梅雨のせいか雲が海を白く染めはじめたときは
いきなり真夏の日射しになっていた。 ―伊集院 静「三年坂」より
 

暦ではまもなく“桐始めて花を結ぶ”「大暑」初候を迎える頃となりますが、梅雨前線は依然としてこのまま東・西日本付近に停滞する見通しで、今後も大雨への警戒が必要な状況が続きそうですが、まだまだ梅雨明ぬこの週末はいかがお過ごしのご予定ですか?

本来なら、関東甲信や東海地方では毎年20日頃には梅雨明けとなりますが、この様子では今年は大幅に遅れるとの予想で、今週はこの梅雨末期の“梅雨を送り出すような強い雨”「暴れ梅雨」や「荒れ梅雨」の仕業で、各地では土砂崩れや、川の決壊の被害が続出していますが、これからこの「送り梅雨」は、さらに激しくなるとの予報ですので、くれぐれも集中豪雨や大洪水には、引き続き警戒下さいませね。

さて、地域によっては、容赦なく降り注ぐ「送り梅雨」ですが、この雨は時には一月余り留まっていた前線を送り出す力を感じさせるように思え、梅雨最中の果て無い雨とはまた異なるこの“激しいひと雨”は、まるで夕立の先触れのようですが、日本人は古くより、春夏秋冬の各季節の移りを、そんな“雨”をひとつの仲立ちや節目として捉えていて、春から夏に装いを変えるのを「梅雨」。夏の暑さを洗い流すのは「秋霖」で、「時雨」に冬の 姿を見て、最後は、冷たさを優しく溶かすのは、けぶるような「春雨」と表現しています。それ故「一雨毎に…」という言葉からは、日本人の“雨”との親しみが十分に感じることができ、さらにこの言葉には“雨”によって四季の移りを感じ取ってきた、情緒豊かな感性が伺えるようで、「梅雨」を“送る”と云う言葉には、ただ単なる気象の移り変わりだけではなく、情愛の深さが思われるかのようですね。
http://www23.big.or.jp/~lereve/saijiki/165.html

 
夜雨しづか    あぢさいの色の   まさるまま    ―中村汀女
 
それでは、この週末は蜩が一斉に鳴き出して梅雨明けを告げる「出梅」を願い、一日も早く陰鬱なこの梅雨から解放さる喜びに浸れることとお祈り致しております。そして“梅雨明け十日”と云われるように、どうかこれから迫る猛暑に控えても、くれぐれもご自愛下さいませ。
 
 
 
♪“紫紅彩”―“釉へのこだわり”清水焼『谷口正典』日本新工芸選抜小品展
at大丸京都店〜7月25日まで 
 http://www.kiyomizuyaki.org/member/49.html
♪“深海へ遺跡”清水焼『谷口良孝』
http://www.kiyomizuyaki.org/explore/23.html
 
♪『ステーキ塩澤』 
東京都中央区銀座8-3-10 トミタビルB2F  
 tel 3572-7613
http://tokyo.gourmet.livedoor.com/restaurant/info/8628.html
『源 吉兆庵』銀座店  3F「松涛」“粋コース”5250円
 
 
 
 




















 
由美グルメリンNo.7‥真美さん“ ハワイでのひと足早い夏休み”♪ “京都の祇園の花見小路”極上の味わいと祇園心のおもてなし“懐石料理”『花郷』& “予約のみの隠れ家”別邸『乾坤』♪ “一見さんお断り”祇園“お茶屋”『福嶋』♪
 
荒梅雨の   足袋に蝋塗る   野外能  ―田川飛旅子
梅雨がなかなか明けずに、明けないどころかこの週末は「荒梅雨」となって、九州各地で猛威を振るっていた今年の末期・梅雨前線ですが、夏休みを迎えて最初の週末はいかがお過ごしでしたか?
九州では観測史上最高の雨量を記録したこの「荒梅雨」は、各地で土砂崩れや川の氾濫などによる多くの被害を齎し、また沢山の尊い人命をも奪い、被災者の方々には、本当に心よりお見舞い申し上げますが、まだまだ今後も油断ならず、今夕は四国から本州にかけて北上するとの予想で、気象庁では、九州から関東の広い範囲で強い雨が続くと見込み、土砂災害や洪水の危険性が高いとして、警戒を呼び掛けていますが、どうかこれから遠出なさる方々は、十分にご注意下さいませね。
さて、梅雨末期に前線の活動が強まることによって生じる“集中豪雨”の「荒梅雨」ですが、今回のような「暴れ梅雨」ともなると、普段は“干天の慈雨”などと言われていた“雨”も、折角農家が丹精籠めた稲穂を泥水に埋没させてしまい、今はただ、何とか無難な「送り梅雨」のまま、明けて欲しいと祈るばかりですが、一方、「空梅雨」でも、田んぼや畑の実りに影響が大きく、本当に程々の“雨”がよいのですが、何せ、相手はお天気。このところ気温の低い「梅雨寒」や「梅雨冷え」が続く中、一日も早く真夏の熱い太陽の日差しを浴びたいものですね。

ところで、前号では梅雨末期の「送り梅雨」について書せていただきましたが、日本には様々な“雨”の表現があり、この時期の“集中豪雨”には、前出の「荒梅雨」「暴れ梅雨」の他、最後に雷を伴って強く降る「送り梅雨」や、さらには、明けたと思って戻って降る「戻り梅雨」や「返り梅雨」など、実に細やかに命名されていますが、その他では、草花や作物、色の名や、また喜怒哀楽を表す“雨”や、卓抜な比喩に基づく“雨”などもありますが、印象的なものとしては、“雨”が嫌なものを洗い流してくれる・・・と云う考えに添った表現もあり、ここに少しだけご紹介させていただきますね。

先ず、「御山洗(おやまあらい)」とは、富士山麓地方の言葉で、毎年富士閉山の頃降る雨のことで、「富士の山洗」とも云い、次に「洗車雨(せんしゃう)」は、陰暦7月6日の“雨”で、牽牛が織女との逢瀬のために乗る牛車を洗う水の“雨”のことで、翌7月7日“七夕の夜”の「酒涙雨(さいるいう)」は、二人が別れを惜しんで流す涙の“雨”で、そして「洗鉢雨(せんぱつう)」は、陰暦7月16日の“雨”で、盆行事に使った鉢などの道具類を洗ってくれる“雨”のことを云います。http://www2.cosmo-oil.co.jp/dagian/42/05.html
 
梅雨明けし   各々の顔を    もたらしぬ  ―加藤 楸邨
 
それでは、今週は蝉の鳴き声とともに一日も早い“梅雨明け”を願い、間近に迫る盛夏到来を、あなた様とご一緒にお迎えしたく、今宵も『由美』へのご来店を心よりお待ち致しております。そして明けたと思っていても、またぶり返して降る「戻り梅雨」の無いまま、無事に文月を終えられることと心よりお祈り申し上げております。
 
♪真美 さん at ハワイ
 
“京都の祇園の花見小路”極上の味わいと祇園心のおもてなし 
“予約のみの隠れ家”別邸『乾坤』

 
♪懐石料理『花郷』 
京都市東山区祇園町花見小路通り四条下ル tel 075-561-3311
http://www.gion-hanasato.jp/

 
♪“一見さんお断り”祇園“お茶屋”『福嶋』 京都市東山区祇園南側570

 




















由美グルメリンNo.8‥Happy birthday to亜樹♪  “和を楽しむ創作和食”神宮前『Sushi-Brasserie輿』♪
 
雨障常する君は  ひさかたの昨夜の雨に懲りにけむかも―大伴女郎
暦ではまもなく“土潤って蒸し暑し”「大暑」次候を迎えますが、梅雨明けを間近に控えたこの週末は、いかがお過ごしですか?
昨日はたった一日でしたが、思わず梅雨明けを思わせるような爽やかな晴天に恵まれて、久々に太陽の日差しを満喫できましたが、あいにく今夕から週末にかけては、再び天気が崩れて、梅雨空に逆戻りとの予想のようですので、どうか週末に海へ山へとお出かけの予定の方々には、これから少しでも天気予報が変わることとお祈り致しております。
さて、前々号からこの時期の様々な“梅雨”の表現を書いてきましたが、日本最古の歌集「万葉集」に、『雨障(あまざわり)』と云う興味深い言葉を見つけましたので、今号は『雨障』について調べてみました。
この『雨障』とは、大変由緒ある言葉で、その意味は、雨に降り籠められて外出しないことや、雨に降られ濡れるのを嫌って外出を控えることで、“あまつつみ”とも読まれますが、国文学者の古橋信孝氏によると、当時は雨に打たれるのを畏れ慎む習俗があったようで、昔の人々は、神々が住む天から降ってくるそんな雨には、人知を超えた霊力を感じていました。そして雨は降らなければ「祈雨」し、また降り過ぎれば「止雨」の祈願をすることからも分かるように、古代では雨は神々が管理するものだったので、打たれるのを避けねばならなかったのです。そういった意味でも、この『雨障』とは、人々と、神々が営む“自然”との付き合い方を示す言葉として生まれたものだったのでしょうね。(毎日新聞7月26日 朝刊「余録」より)
http://www2.cosmo-oil.co.jp/dagian/42/16.html

ところで、冒頭の歌で大伴女郎は、逢引した翌日に、「雨篭りするあなたは、昨夜の雨に濡れてさぞかしお懲りになったことでしょうね」と詠っていますが、この歌では、“雨嫌い”ではなく、“雨の障害”と表現しているのが、現代の感覚では不思議な気がしますが、そういった表現からも当時は“打たれるのを避けねばならなかった”習俗が伺え、でもいったいどんな懲り方をしたのでしょうか、この当時の“雨”に対する感覚が興味深く思えますね。
またこの歌には、都合のよいことに 「ひさかたの雨も降らぬか雨乍見君にたぐひてこの日暮らさむ」と返歌が詠われていて、この場合の『雨障』は“雨乍見”と表記されていますが、仮名の無かったこの時代、「万葉集」の原文は、すべて漢字の音や訓を使って歌を書きとめているので、実のところ『雨障』をどう訓んだのかは定かではありませんが、“雨乍見”の“乍”が助詞の“ツツ”を表記するのに使われることから、“見”の訓は“ミ”で、それ故に“ツツミ”と読むことができ、『雨障』は“アメツツミ”と読めることになります。

このように二首目の歌は、「雨が降ったらいいのに、そしたらあなたと二人で雨乍見して、一緒に過ごしましょう」と、本来ならば“雨つつみ”とは、人々が避けるべき禁忌ですが、この場合は最初の歌で雨で慌しく帰った男をからかった女に、男はむしろ「雨が降った方がいい」と応じた恋の歌で、雨のお陰で“帰れなくなって寄り添う”情景が思い浮かぶかのようですね。
http://mbs1179.com/manyo/htmls/song/b_2002_5_6.html
それでは、先週は“暴れ梅雨”となって、多くの人々を苦しめたこんな“雨”ですが、鬱陶しい梅雨もそろそろ終わりが近づいてきましたので、どうか一日も早く“出控える”『雨障』から開放されて、「梅雨明け十日」と云われる燦燦と太陽輝く盛夏を迎えられますことと祈って、今宵もあなた様のお越しを心よりお待ち申し上げております。
 
 
 
♪Happy birthday to亜樹  24, JULY, 2006
 
 
♪『Sushi-Brasserie輿』
150-0001 東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ・ポルト青山
tel 03-5774-8877
http://www.sushi-b-koshi.com/
 
 




















由美グルメリンNo.9‥暑中お見舞い申し上げます♪ 『由美夏まつり』♪ 日本一の山“三度目”の『富士登山』3776mの頂&山頂「浅間大社」の「富士山頂上奥宮」♪ “南の島での憩いひととき”奈々& 奈美 at『沖縄』♪
 
天地の別れし時ゆ 神さびて 高く貴き駿河なる富士の高嶺を 
天の原振り放け見れば 渡る日の影も隠らひ 照る月の光も見えず
白雲もい行きはばかり 時じくぞ雪は降りける 
語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は   ―山部宿禰赤人
昨日はようやくお待たせとばかりに、一斉に梅雨明けした週末でしたが、好転に恵まれたこの夏休みの日曜はいかがお過ごしでしたか?
キリンズはそれぞれに夏の憩いのひとときを楽しみましたが、私の方は三度目の『富士登山』へと行き、今度も同じ「富士宮口」よりの登頂で、山頂に位置する「浅間大社」の「富士山頂上奥宮」へ詣でて参りました。
この「富士宮口」登山ルートとは、5ルートの中では、五合目の標高が最も高く(2400m)、また最高峰「剣ヶ峰(3776m)」へも、最も近い富士山頂への最速・最短ルートとして知られていますが、その分、一直線の急登板であり、さらには登山道と下山道とが同じで、交差が煩わしいことが難点のルートですが、「富士吉田口」に次ぐ人気ルートで、御蔭で“ご来光帰り”の登山者と交差する混雑の中での登頂となりましたが、でも誰もが一生のうちに一度はその頂に登りたいと思う日本の最高峰「富士山」への道は、決して楽ではなく、日頃健脚自慢のキリンズさえも、登り4時間余り下り2時間30分の行程は、辛さ、苦しさの連続で、こうしている今日は、さすがに足腰に響いて、筋肉痛に悩まされております。
(富士登山のマイカー規制 8月5日〜8月14日まで) http://www.fujikyu.co.jp/tozan/2001/
さて、由美HP www.yumi-ito.com <http://www.yumi-ito.com> では、既にessayNo.11の中のグルメリンNo.8に、キリンズ最初の「富士登山記」を、次はessayNo.24のグルメリンNo.1にて二度目の登山記を書いていますが、今回は富士山の誕生や歴史、また「浅間神社」の祭神「木花咲耶媛命」に纏わる話ではなく、“富士”の名前の由来のひとつとされる「竹取物語」と「富士山」について調べてみることにしました。
この「竹取物語」とは、日本最古の物語で、平安時代初期に成立した物語と考えられていますが、作者は未詳で、現在では「かぐや姫」としてもよく知られているもので、竹取の翁が竹の中で見つけた女の子が3ヶ月ほどでこの世のものとは思えないほどの美しい娘に成長し、“なよ竹のかぐや姫”と呼ばれ、5人の公達や帝から求婚されて、8月15日の夜にかぐや姫が月へ帰ることなどの話として語られている物語ですが、物語末尾で、月に帰るかぐや姫が、帝に文と不老不死の薬を渡しますが、悲しみに暮れる帝は、この薬をかぐや姫が昇った天に一番近い山、つまり日本で最も高い山で焼かせ、その後その山は「富士の山(不死の山)」と呼ばれるようになったと書かれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%8F%96%E7%89%A9%E8%AA%9E
また、「富士山」の漢字は、古くは「不尽・布士・不自」などの字が充てられていましたが、797年の「続日本紀」以来、公式には「富士」となり、「竹取物語」の中でも”不死の薬”を焼いた山という理由以外にも、武士が多数のぼった山という理由で“武士に富む山”「富士山」と云う説もあります。http://www.fujikyu.co.jp/tozan/2001/  http://wing.zero.ad.jp/~zbc29905/gpapa/fujikou/kaguyahime.htm
 
風になびく富士の煙の空にきえてゆくへもしらぬ我が心かな ―西行
 
それでは、この週末は「富士山に登らない馬鹿 二度登る馬鹿」を通り越して、“三度登った馬鹿”な私でしたが、これから7月8月と僅か二ヶ月間“登山シーズン”に、“誰もが一生のうちに一度は登りたいと思うこの日本の最高峰”「富士山」へと挑まれる方は、是非ご一報いただければ幸いです。
そして西行のごとく“風になびく富士の煙”を眺めつつ、日本一の頂に立つ感激と達成感を、ともに味わっていただきたく存じます。
どうか明日よりの葉月も、そんな富士登山と、南の島の沖縄三昧でリフレッシュして参りましたキリンズをよろしくお願い致します。
 
♪“暑中お見舞い申し上げます”『由美夏まつり』 
8月2日・3日・4日
 
♪「富士山」富士宮口登山口 &“六合目”& 登山道に見える“万年雪
♪九合目“万年雪山荘”
♪富士山頂上「浅間大社」の「富士山頂上奥宮」
http://www.fuji-hongu.or.jp/sengen/index.html
 
♪奈々& 奈美  at沖縄 『沖縄美ら海水族館』
http://www.kaiyouhaku.com/
 ♪国際通り“エイサー祭り”