No.46

キリンシスターズ グルメリン No.1‥6月のCockatail『紫陽花』06'♪  『暗闇坂宮下』麻布十番本店“樹の香り”♪ 銀座『福樹』“薩摩焼”に映える魚彩♪
 
更衣して   軽々と   現はれし  ―稲畑汀子
 
今年も早半年が過ぎ、今日から“田に水を引く月”水無月の「更衣(ころもがえ)」の季節を迎えましたが、入梅前のこんな“軽々”とした初夏の午後はいかがお過ごしですか?
キリンズは昨夜から、2・3日前から片づける心づもりでいた“袷”の着物を慌しくしまい、ようやく一段落して初夏の朝を迎えましたが、このやっとの「更衣」のお陰で、今宵は軽やかな足どりで銀座へと向かえそうです。
さて、「更衣」とは、平安時代から始まった習慣で、かっては中国の風習に倣って陰暦の4月1日と10月1日が夏冬の「更衣の節」とされ、これを「更衣(こうい)」と呼んでいました。また、着物だけでなく、調度品(収納家具や装飾品など)や建具までも、大々的に模様替えし、季節に合わせて衣類や調度などを替えるのが、そもそもの「更衣」で、平安朝宮中では4月1日に衣服や御帳 (みちょう) を夏物に替え畳を新しくし、同様に10月には冬装束に改めました。
しかし、天皇の着替えの役目を持つ女官の職名も同じ「更衣(こうい)」で、この「更衣」は、後に、天皇の寝所に奉仕する女官の「女御(にょうご)」に次ぐ地位となったため、その後は「更衣」とは呼ばずに“衣替え”と言うようになりました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A3%E6%9B%BF%E3%81%88
ところで、江戸時代の随筆家・喜田川守貞が書いた、当時の風俗や事物を説明した『守貞漫稿』には、「四月朔日。更衣と称し、今日より五月五日に至り、袷衣を着す。因之、今、苗字に四月一日と書て、わたぬきと訓ず也。」と記されていますが、この江戸時代の「更衣」とは、4月1日から「袷小袖」、5月5日から「一重帷子麻布」、9月1日に「袷小袖」に戻り、9月9日には再び「綿入小袖」を着ることを幕府が定め、ちなみに珍しい姓で、“四月一日”を“わたぬき”と読むのは、この“四月一日に綿入れの着物から綿を抜く”風習からの由来だそうです。
また北関東から東北にかけては、六月一日を“絹脱ぎ朔日”と云って、夏服を着て神に詣でたり、蛇が皮を脱ぐので、桑畑に行ってはいけないなどの言伝えがあるそうで、今の六月一日の“衣替え”は、この事にも因るのかもしれませんね。http://bbs.com.nifty.com/mes/cf_wrentC_list/FKIMONO_B021/wr_type=C/wr_page=1/wr_sq=FKIMONO_B021_0000000037
 
好きな色   一つ増えたる    更衣  ―稲畑汀子 
 
それでは、汗だくになった昨日の“夏日”でしたが、「更衣」までの辛抱の甲斐があり、ようやく今日からは、重い冬衣を脱ぎ捨て、軽くて涼しい夏衣に“衣替え”、心身ともに爽快となりましたキリンズを水無月もよろしくお願い申し上げます。
そして今宵は真新しい“好きな色”の“更衣”の着物に身を包み、あなた様のお越しをお待ち致しております。
 
 
♪『紫陽花』2006’
*ウオッカ、シトロンジュネヴァ、
ブルースべリーパルフェタムール、
グレープフルーツ、カルピス、ブルーキュラソー
 
♪“樹の香り”『暗闇坂宮下』麻布十番本店
*〒106-0046
東京都港区元麻布3-12-1 アベストコートB1F
TEL&FAX:03-3402-2655
http://www.delicious.ne.jp/html/toku02/kiji02/kiji02_0112_21.htm
 
*見事な“薩摩焼”に映える魚彩
♪『福樹』中央区銀座8-8-19 伊勢由ビル5F tel 3571-8596
 
♪『細川護煕展』 作品より 
at「壺中居」




















 
キリンシスターズ グルメリンNo.2‥『由美紫陽花まつり』♪ 花の京都『勧修寺』&『平安神宮』の“睡蓮”と“花菖蒲”♪ 「藤田嗣治展」 at京都国立近代美術館♪
 
睡蓮の   水に二時の日   三時の日 ―後藤比奈夫 
 
暦では“蟷螂生ず”「芒種」初候を迎えましたが、幾分涼しいこの週始めはいかがお過ごしですか?
キリンズの先週末は、涼しき関東をよそに“水無月の花”を求めて、真夏日の京都へと、花が眠るように閉じる紅紫の「睡蓮」と、白と青紫の大きな花を水際に咲かす「花菖蒲」を観て参りました。
さて、「睡蓮」とは、和名では「未草(ヒツジグサ)」、英語では水の女神であるところの 「Nympha(ニンファー)」と命名された“蓮”に似た花ですが、このふたつの花の違いは、“蓮”は、葉や花が水面から立ち上がるのに比べ、一方「睡蓮」は、葉も花も水面に浮かんだままの姿を保ち、夏、池
や沼で水面スレスレに清楚な花を咲かせます。また和名の「ヒツジグサ(未草)」は、“未(ひつじ)の刻(14:00)”の頃に花が開くことからこの名前が付けられましたが、実際には午前11時頃から咲き始め、夕方4時頃には萎ぼみ、この「未草」は“野生の睡蓮”と云ってもよく、花の色は白です。
ところで、「睡蓮」と云えば「モネ」が有名ですが、この「モネ(1840〜1926)」が活躍したフランス印象派の時代とは、日本の芸術・文化がヨーロッパに紹介された時代で、「モネ」や「カイユボット」は、絵画はもちろんのこと、庭造りにも日本の様式を取り入れ、ジヴェルニーの屋敷に隣接して日本風の「睡蓮の庭」を造成し、この水の世界で、「モネ」は「睡蓮」の連作に没頭し、朝から夕方まで、時とともに変化する池の様子や、水面の反映と花の美しさを捉えようと試みました。また連作中には、岸の柳や太鼓橋などを配したものもありますが、「モネ」の関心は、最後には“池”のみに集中し、画面を完全に水面だけで覆い、花や水を描出する筆触や色彩は、初期の印象派主義的な手法とは異なり、表現主義的ともいえる激しさで、水面の神秘的なまでの美を伝えています。http://www.nmwa.go.jp/jp/pictures/1959-0151.html

 

山の池   底なしと聞く   未草  ―稲畑汀子
 
それでは、「モネ」さえも心を奪われたそんな「睡蓮」の、初夏の陽を浴びてきらきらと水面からの輝きを放つ様に魅了され、“水無月の花”を愛でて参りましたキリンズを今週もどうかよろしくお願い致します。そして“由美の花祭り”『紫陽花まつり』へも、きっとお越しいただけますこととご来店心よりお待ち申し上げております。
 

♪6月7日〜9日『由美紫陽花まつり』
 
♪『勧修寺』の“花菖蒲”

♪赤紫の“睡蓮”
   

    ♪「いずれがアヤメかカキツバタ」かと見間違う?ような“花菖蒲”
♪『平安神宮』“神苑”池の「睡蓮」
 
♪「藤田嗣治展」 at京都国立近代美術館 〜7月23日迄
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2006/347.html

 
 




















 

キリンシスターズ グルメリンNo.3‥“紫陽花まつり”開催中♪ 叶 弦大作曲『小林 旭』“MOTTAINAI”「アキラのもったいない音頭」♪ 『長谷川真吾』新曲“夕映えの街”♪ 銀座『寿司幸本店』“旬の魚彩”♪ 

 
夏もなほ心はつきぬあぢさゐのよひらの露に月もすみけり―藤原俊成
 
暦の上では、まもなく「入梅」とされていますが、やや湿りがちながらも、涼しい今週はいかがお過ごしですか?

『由美』では今週7日より、雨の似合う花“アジサイ”を讃えて「紫陽花まつり」を催しておりますので、どうかお時間ございます折には、是非、梅雨時季の風物詩「紫陽花」を眺めに、銀座へとお越し下さいませね。

さて、この“アジサイ”の日本原産の最古の花は、青色だと云われ、元は“藍色が集まったもの”を意味する“あづさい(集真藍)”が訛り、この名が付けられと云う説がありますが、その漢字には、日差しが苦手なわりには、何故か“紫の陽の花”が充てられ、本来の「紫陽花」とは、ライラックのような花だったと言われています。(日本経済新聞・夕刊 「季節の道端」より)
それが、平安時代に間違えられたまま、千年経った今もこの漢字のままで使われていますが、この「紫陽花」、実は、古典和歌では意外に不人気で、「万葉集」には僅か2首しか詠まれず、その後、平安末期頃に俄かに好んで詠まれるようになるまで、「古今集」から「新古今集」までの“八代集”に、「紫陽花」を詠んだ歌は一首も登場していませんが、きっと花の色が変わりやすく、さらには実を結ばない花だったことからでしょうが、しかし、万葉の2首の一方の歌で「紫陽花」は、八重咲き(厚咲き)のめでたい花としても取り上げられいて、当時の「紫陽花」とは、今見られるような大手鞠ではなく、花(萼) の数が少ない日本原産の「ガクアジサイ」と言われていますが、貴族の庭園などには厚咲きのものが植えられていたことがわかり、それなりに古来より賞美されてきていた様子が伺えますね。
ただその後、王朝文化華やかなりし頃になると、「紫陽花」は忘れ去られたようになり、十世紀後半頃に編集された「古今和歌六帖」に、ただ一首「茜さす昼はこちたしあぢさゐの花のよひらに逢ひ見てしがな」のみ、見つけることができますが、ただこの歌では“あぢさゐの花のよひら”と、“よひ(宵)”を言いたいがために使われ、「昼は人目が多いので、宵にお逢いしたい・・・」と、「紫陽花」の花の陰でひっそりとした逢瀬を誘うイメージ
の歌です。また、“よひら”は、四枚ずつ咲く「紫陽花」の花びらの喩えですが、平安後期の源俊頼「散木奇歌集」にも、「あぢさゐの花のよひらにもる月を影もさながら折る身ともがな」と、同じ言葉遣いがあり、この場合の「影」は、水面に映った月光でしょうが、「紫陽花の繁みを洩れた月の光が、池の面に“四ひら”の花のように映じている影をさながら折り取ることができたら・・・」という幻想を詠み込み、主題はあくまでも月の光で、「紫陽花」は只の引き立て役に過ぎませんが、この歌に影響を受けたとおぼしい作が、冒頭の「藤原俊成」の歌で、この当時に「紫陽花」を用いた歌は珍しく、そんな「紫陽花」の薄い藍色の花と、月光の取り合わせは、夏の夜に玲瓏とした涼味を与えているかのように思えますね。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/saijiki/ajisai.html
 

あぢさゐの下葉にすだく蛍をば四ひらの数の添ふかとぞ見る―藤原定家

 
それでは、“今よひ(宵)”は、そんな“あぢさゐ”の“四ひら”が夕闇に隠れるような黄昏時の銀座の情景を、どうかご一緒に、見られますことと楽しみにお待ち申し上げております。そして「紫陽花」の下葉に集まるように飛び交う“蛍”の光の夢幻を愉しめるようなよき週末をお迎え下さいませ。
 
♪『由美紫陽花まつり』
 
 
♪『小林 旭』“MOTTAINAI”「アキラのもったいない音頭」 
by徳間ジャパンミュニケーションズ
http://www.nikkatsu.com/dig/akira/ka_mottainai.html
http://www.8107.net/akira/a_mottainai.html
♪『長谷川真吾』新曲“夕映えの街” by日本クラウン http://www1.odn.ne.jp/atom/shingo.html
http://www.crownrecord.co.jp/artist/hasegawa/whats.html
 
♪『寿司幸本店』“旬の魚彩”
♪銀座『寿司幸本店』東京都中央区銀座6-3-8  tel 03-3571-1968
http://gourmet.yahoo.co.jp/0000609029/M0013000995/
 
 




















 
キリンシスターズ グルメリンNo.4‥緑が鮮やかに濡れた“青梅雨”の『カメリアヒルズCC』♪ 『オテル・ドゥ・ミクニ』“新館OPEN”&“21周年記念メニュー”♪ ふぐ『福治』夏の魚彩“毛蟹”&“鱧しゃぶ”&“手打ち蕎麦”♪
 
どこよりか   青梅雨の夜は  藻の香せり   ―能村登四郎
先週、昨年より一日早く“梅雨入り”した関東地方ですが、10日には一瞬晴れ間が出たものの、翌日曜日は、肌寒い「梅雨寒」の一日でしたが、この週末はいかがお過ごしでしたか?
キリンズは、緑を鮮やかに濡らす「青梅雨」の中、木更津の「カメリアヒルズCC」へと、出かけた週末でした。
さて、日本には四季折々の様々な“雨”が降りますが、実は422も“雨を表す言葉”が存在していて、この時季の「梅雨」だけでも、先ず、梅雨前の表現に、梅雨入りを思わせる「走り梅雨」「前梅雨」、本格的な梅雨入り前に二・三日雨が続く「迎え梅雨」などがあり、次に梅雨の後期は、集中豪雨の「荒梅雨」や「暴れ梅雨」などがあり、最後期は、雷を伴って強く降る「送り梅雨」や、明けたと思って戻って来る「戻り梅」や「返り梅雨」などがありますが、そんな中でも、冒頭の句の「青梅雨」は、梅雨の優雅な様を表し、木々の青葉をいっそう鮮やかに、色を濃くして降る雨として表現しています。
またその他の表現では、梅雨なのに一向に雨が来ない「空梅雨(「乾梅雨)」と云う言葉がありますが、同義語に「涸梅雨」「枯梅雨」「旱梅雨(ひでりづゆ)」「照梅雨」などがあり、この言葉は、ひと言で「空梅雨」の水の無い怖さを言い尽くしていますが、このように「梅雨」は遥か昔よりこの国を潤し、水が支える人々の生活や、農の営みへの影響を与えていて、平安の歌人・小野小町は、かって「ちはやぶる神もみまさば立ちさはぎ天の戸川の樋口あけたまへ」と、日照りの時の“雨乞い”を詠んでいるように、古代の俳人や歌人にとっての“雨”は、とても風雅どころではなかったようですね。
 
梅雨の灯の   一つぽかりと   はなれたる   ―久保田万太郎
 
それでは、ひと雨ごとに木々の青葉が鮮やかになる季節となりましたが、今週はそんな新緑に降り注ぐ「青梅雨」の中でも、静かに“晴耕雨読”と、そっと雨を愛でられるような、心豊かなる一週間をお過ごしさいませ。そして今宵「ワールドカップ日本初戦」は、『由美』&『けんたうろす』にて、どうかご一緒に応援していただけますことと、ご来店心よりお待ち申し上げております。
♪『由美紫陽花まつり』
 
♪“青梅雨”の『カメリアヒルズ』
♪『元木佳代子プロ』と、優雅なスペース“女性専用ラウンジ”&“VIP専用お風呂”
http://www.camelliahills.com/
http://www.fujita-kanko.co.jp/
http://www.lpga.or.jp/profile/profile.asp?cd=481&yyyy=2005
 
♪『オテル・ドゥ・ミクニ』“新館OPEN”
♪『オテル・ドゥ・ミクニ』“21周年記念メニュー”
新宿区四谷1−18 tel 3351-3810
http://www.oui-mikuni.co.jp/hoteldemikuni/
http://www.oui-mikuni.co.jp/cgi-local/top/index.cgi
 
*ふぐ『福治』 東京都中央区銀座5-11-13 幸田ビル3F  tel 03-5148-2922
http://r.gnavi.co.jp/g997500/
     
“鱧しゃぶ”&”手打ち蕎麦”
 
 
 




















 
キリンシスターズ グルメリンNo.5‥Happy birthday to彰子ちゃん♪ いよいよ海のシーズン到来“沖縄癒しの宿”『民宿まさこさん』♪ “旬の魚彩”『すし仙』銀座店♪ 関西風“お好み焼き”&“鉄板焼き”白金『甚六』♪
 

ああ皐月 仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌粟 われも雛罌粟―与謝野晶子

 

暦では“梅の実黄ばむ”「芒種」末候となりましたが、涼しいながらもやや雨模様の今週はいかがお過ごしですか?
今日6月15日の花は「雛罌粟(ヒナゲシ)」ですが、この赤い花色は伝統色の“猩々緋(しょうじょうひ)”で、「雛罌粟」と云えば、冒頭の与謝野晶子の歌が有名ですが、寛との合著「巴里より」(大正2年5月金尾文淵堂刊)によると、晶子はこの“ヒナゲシ”を「窓掛の間から野生の雛芥子の燃える様な緋の色が見える」と記述していて、一方、渡航以前より仏語を習っていた寛の方は「はく麦と葡萄で青白んだ平野の面に赤と、紫の美しい線を彩どるのは、野生の雛罌粟(コクリコ)と矢車草とが、総ての畦路と路傍とを埋めて居るのである」と、晶子が和名で“ひなげし”と書いているのに対し、寛はフランス風に“コクリコ”と書き、同じ花でも違う言い方で表していますが、そんな晶子も帰国後は、巴里の感想を歌にしたとき、今度はフランス風に“雛罌粟(コクリコ)”を用いて、この異国的な花のイメージを大きくアピールしました。
http://www.for-you.co.jp/akiko/ishida/ishida02.htm
さて、和名「雛芥子」の“雛”は小さい、可愛いの意で、ケシの中では小型で可愛い花と云う意味ですが、漢字の“罌粟(けし)”は漢名からで、実の形が“罌(もたい)”に似て、種子が粟に似ているこからこの漢字が使われ、また別名の「虞美人草(グビジンソウ)」は「四面楚歌」で有名な楚国の項羽の愛人・虞美人の名前からと云われていて、垓下の戦い(紀元前202年)で、項羽が劉邦(漢の初代皇帝、高祖)に敗れた後、あとを追って自刃した「虞美人」が流した血から咲いたという伝説に由来しますが、ただし、“ヒナゲシ”が中国に渡来したのは唐の時代(618〜907年)と考えられていて、また「虞美人」の自刃については、女性の貞操がとやかく言われるようになったのは、実は北宋(960〜1127)の時代からであり、「史記」「漢書」には、そのような記述はないようで、あくまでも“伝説”に過ぎない気もしますね。
ちなみに余談ですが、この「四面楚歌」の場面では、項羽が「虞兮虞兮奈若何(虞や虞や若(なんじ)を奈何(いかん)せん)」と詠っていて、中国には「麗春花」という呼び方もあるそうです。http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2005/05/post_2097.html
 
花びらの真紅の光沢に強き日を照り返し居る雛芥子の花―「蘂」木下利玄
 

それでは、この週末は「ポピー」や「アマポーラ」の名で親しまれる“雛芥子”の赤い花が風にそよそぐ華麗な様を、そっと野原に愛でれるようなよき休日をお迎え下さいませ。そして18日の「父の日」には、わが父にも、そんな「雛罌粟」の花言葉のひとつ“感謝”を籠めて、久しぶりに親孝行に勤しみたく思っておりますので、あなた様もどうかご家族で一家団欒の幸せなひとときをお過ごしいただけますようお祈り申し上げます。

 
♪Happy birthday to彰子ちゃん  14, JUN, 2006
 

♪いよいよ海のシーズン到来“沖縄癒しの宿”『民宿まさこさん』 

*『民宿まさこさん』沖縄県那覇市辻1-5-20 tel 098-862-9909 【一泊税込4500円】
http://masakosan.com/

 

♪“旬の魚彩”『すし仙』銀座店
*中央区銀座7-6-4 フィーラ銀座ビルB1 tel 03-6218-0380
 
 
♪関西風“お好み焼き”&“鉄板焼き” 
*白金『甚六』港区白金6-23-2 tel 3441-1436
http://www.jinroku.jp/index.html
 
 




















 

キリンシスターズ グルメリンNo.6‥『椿山荘』“ほたるの夕べ”〜6月30日まで♪ 『源 吉兆庵』銀座店 3F“松涛”粋コース♪

 
夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、
    ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。 ―清少納言『枕草子』
 

暦ではまもなく“乃東枯る”「夏至」を迎えますが、梅雨寒の肌寒い日曜はいかがお過ごしでしたか?
キリンズの休日は、東京文京区という都心のど真ん中にて、夏の風物詩ともいえる「蛍」を鑑賞に、「椿山荘」へと参りました。

さて、この「椿山荘」、現在は結婚式場として有名ですが、元は南北朝の頃から、“椿”が自生する景観の地で、“つばきやま”と呼ばれていたものを、「山縣有朋」が明治11年(1878)に私財を投じて、この“つばきやま”を購入し、「椿山荘」と命名したことに由来します。
「山縣有朋」は、日本軍閥の祖と言われ、また政治家としてもその手腕を発揮しますが、それ以上に極めて文化人としても名を馳せ、和歌を嗜み、殊に庭園を好んで作庭については一家言を有し今日までに残る“山縣の名園”には、京都の「無隣庵」、小田原の「古希庵」、そして東京目白の「椿山荘庭園」で、この三園をあわせて「山縣三名園」と呼ばれています。

そんな由緒ある歴史の「椿山荘」には、約50年前から「蛍」が生息し始めて、現在では大きな庭園に推定5000匹のゲンジボタルが生息しているそうですが、「蛍」は、曇天で気温の高い夜には多く飛び交いますが、あいにく昨夜のような雨上がりの夜や、風のある気温の低い夜にはあまり飛ばず、「蛍」の幻想的な青白い光は見られませんでしたが、このイベントは6月30日迄開催していますので、どうか都心にて、「蛍」の儚く繊細な光の舞をご覧になりたい方は、一度訪れてみてはいかがですか? http://www.enjoytokyo.jp/TK/150.html

ところで、この「蛍」の歴史は、古くは奈良時代の「日本書紀」(720年頃)の中に、「彼地多有蛍火之光神や蛍火」と文字で登場することにはじまりますが、実は日本には化石すらなく、いつ頃から「蛍」が存在していたのか、今も分かりませんが、その後、平安時代になると、「万葉集」や「源氏物語」で「蛍」の文字が現れ、“水辺に住んで、光るもの”と記されている文献もあることから、この時代には、すでに「蛍」が存在していたと思われ、冒頭の「枕草子」の一節では、季節について、「夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。」と記されていて、この時代より夏の風物詩であったことが分かります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BF%E3%83%AB

http://www.geocities.jp/mae_miyazaki/sizen/hotaru/hotaru_rekisi.htm
その他、「蛍」には、“蛍二十日に蝉三日”と、旬の時期が短いことの喩えとしても使われています「蛍雪」という言葉は、「夏はホタルの光で、冬は雪明りで勉強する」という意味で、苦学することの喩えですが、元は中国「晋書」の中の「車胤伝」の故事を踏まえていて、晋の「車胤(しゃいん)」は青年の頃貧しかったため、灯火用の油が買えず、蛍を集めてはその光で書を読んだ、ということに由来します。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/suemiti.html
 
音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ 鳴く虫よりもあはれなりけれ―「後拾遺集216」源重之
 
それでは、「椿山荘」の広大な庭園の漆喰の闇に儚げに光る「蛍」を観て、豊かな自然に癒されてきたキリンズを今週もよろしくお願い致します。
 
 
 
♪蛍“光の舞” http://www.enjoytokyo.jp/TK/150.html

*『椿山荘』東京都文京区関口2-10-8  tel 3943-1111
http://www.chinzanso.com/index2.html
 

*『源 吉兆庵』 
http://www.kitchoan.co.jp/
『源 吉兆庵』銀座店  3F「松涛」“粋コース”5250円
 
 
 
 




















 
キリンシスターズ グルメリンNo.7‥『Happy birthday to 綾乃さん』♪ 真美さん“輝く太陽と青い空、白い砂浜、メラルドグリーンの海”渡嘉敷島での休日♪ “初夏の彩り”日本料理『福樹』♪ “清水焼に映える鮨”寿し処『原だ』♪
 
短夜の残り少なく更けゆけばかねてもの憂き有明の空 ―藤原清正
暦では昨日21日に「夏至」となり、今週は、これから梅雨前線が本州南岸に延びて、本格的な「梅雨」との予報ですが、この週末はいかがお過ごしの予定ですか?
「夏至」とは、太陽が最も南に上る日で、一日の長さが最も長く、日差しも1年で一番強い時期と云われていますが、あいにく今週は“強い日差し”の恩恵にも授かれず、雲空の下での「夏至」初候となりましたが、この時季は、最も“夜が短い”時期であることから「短夜」という言葉でも表わされます。
この“夜”の時間の長さは、太陽と地球の関係が作る季節によって変化しますが、最も短い「夏至」は、東京の夜の長さは9時間25分で、午前4時25分頃には日の出を迎えますが、この「短夜」のお陰で今宵の未明は、午前4時よりのワールドカップ予選リーグ、最終決戦「ブラジル戦」キックオフは、夜空がだんだんと白む中での観戦となりそうですね。(但し起きてれば・・・の話ですが・・・)

さて、かっては“夜”は、一日の始まりと考えられていて、現在と違って日没から一日が始まると考えられ、「あした」という言葉は今の「翌日」ではなく、元は“朝・夜明け”を意味し、日没から翌朝までがひとつづきの時間と意識されていました。何故なら、“夜”は百鬼夜行する、神々の時間、聖なる時間、神話的時間で、その時間が過ぎてからでなければ、世俗の人間の時間はやって来ないと云われ、神話的世界を経てはじめて、人間の世界が成り立つと考えられていた近世以前の庶民の世界観に由来しています。

この事からも、夏の“短い夜”を惜しむ気持ちから、夏の夜を呼んだ「短夜(みじかよ)」という季語生まれ、対する言葉としては、春の「日永(ひなが)」、秋の「夜長(よなが)」、冬の「短日(たんじつ)」があり、何れも物理的な時間の長短と云うよりも、それぞれの季節を背景にした情感を主とした言葉のように思えます。
キリンメール前号(No.360)で冒頭に引用した『枕草子』でも、「夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、蛍多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし」と、清少納言が、夏の最も素晴らしい時間帯は、何といっても“夜”と言っていることはよく知られていますが、同時にその時間には、明け易さを恨む男女の後朝(きぬぎぬ)の情も重ねられ、そのため『古今集』や『新古今集』には、夏の夜の短さを託つ歌が多く、このように夏の夜に対する想いが「短夜」の言葉としての背景にはあるようですね。http://www.nikkoku.net/ezine/kotoba/ktb028.html
 
短夜の   あけゆく水の   匂ひかな   ―久保田万太郎
 
それでは、日の移ろう夏至も越し、眠り足らぬような「短夜」の今宵は、よき夢を見ながら、空が白みがかる午前4時の夜明け前にふと目覚められたら、キリンズもワールドカップ「日本vsブラジル戦」を、応援したく思っておりますので、この「短夜」ならではの趣を、“勝利”のひと言で飾れたらいいですね。そして今宵未明は、曇り空の夜のために“月”は到底拝めそうにはありませんが、そんな中でも「清少納言」の如く“月があればなおさら”と、夏の「短夜」の風雅を愉しみたく思っておりますので、あなた様もどうかよき週末をお迎え下さいませ。
 
♪Happy birthday to綾乃さん  20, JUN, 2006
 
♪真美さん“梅雨明け間近”沖縄での休日 at渡嘉敷島 http://www.vlink.ne.jp/tokasiku/shima.html
 
♪真美さん&政子さん
 
♪“泊港”より「フェリーけらま」にて、約60分で渡嘉敷港着
*『民宿まさこさん』沖縄県那覇市辻1-5-20 tel 098-862-9909 【一泊税込4500円】
http://masakosan.com/
 
♪“初夏の彩り” 日本料理『福樹』『福樹』
中央区銀座8-8-19 伊勢由ビル5F tel 3571-8596

 小野寺克弘ご主人
       
 




















キリンシスターズ グルメリンNo.8‥曇天の下“新緑眩い”『久邇CC』♪ 西麻布“閑静な一軒家”京料理『味やま』♪ “美しいカラダ”になれるキレイの法則「田中玲子」著♪ 白金台“懐石料理としゃぶしゃぶ”『ベリー亀吉』♪ 
 
風が吹き   鷺草の皆   飛ぶが如   ―高浜虚子
今日26日は“菖蒲花咲く”「夏至」次候を迎えましたが、今週は九州・山口各地で大雨の被害を齎している“梅雨前線”が、ゆっくりと北上との予報で、雨模様の一週間のようですが、この週末はいかがお過ごしでしたか?
暦によると、この6月26日は「雷記念日」だそうで、元は930年(延長8年)に、平安京の清涼殿に落雷があり、大納言・藤原清貴が亡くなった日に由来しますが、しかしこの“落雷”は政治的な策略によって太宰府に左遷され亡くなった菅原道真の祟りであると信じられ、その後、道真公は雷の神「天神」と同一視されるようになり、名誉を回復しました。
天気予報では、今日は「天神」道真公の祟りからか、八丈島付近では、昼前にかけて“雷”の発生する懼れもあるそうですので、これからの関東地方は、この「雷記念日」にちなんだ落雷や突風に十分にご注意下さいね。
http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/13/

さて、「雷記念日」に続き、26日の花は「鷺草」ですが、この「鷺草」とはラン科に属する多年草で、日当たりのよい湿原に群生する夏の花ですが、真っ白な花びらが白鷺の飛ぶ姿にそっくりなこの清楚な花姿は、まさにその名の由来がぴったり重なる花のように思えます。

この「鷺草」、かっては世田谷の西南部、奥沢辺りにその自生地があり、鷺の谷(奥沢5丁目付近)の地名からも、今も「鷺草」に纏わる伝説が残されていますが、有名なものとしては、戦国時代、各地の大名が群雄割拠の様相を呈していた頃の「常盤姫」のお話で、当時は、世田谷から衾村、碑文谷郷一帯は、世田谷城主吉良頼康の支配下にありました。
この「常盤姫」とは、奥沢城主大平出羽守の娘で、頼康の側室として迎えられましたが、殊のほか頼康に愛されたため、他の12人の側室たちから妬まれ、「常盤様のお子は、殿のお子かどうか疑わしい」などと告げ口されて、この悪い噂に惑わされた頼康は、自然と常盤へも冷たい仕打ちをするようになり、やがて悲しみに暮れた常盤は、「いっそ死んで、身の潔白の証しにしよう」とまで思い詰めて、奥沢城の父に宛てた遺書を、幼少の頃から可愛がり、輿入れの際にも一緒に連れて来た、一羽の白鷺の足に結び付け奥沢の方角へ放ちました。
この主人常盤の只ならぬ様子を悟った白鷺は、奥沢城を目指してまっしぐらに飛び去りましたが、途中、不運にも衾村で狩りをしていた頼康に射落とされてしまい、頼康が、ふと足に結び付けてあった文を読んでみると、姫から父へ覚悟の自殺を報じた文でしたが、とき既に遅く、常盤は自害し果てた後であり、その傍らには、死産の男の子の姿も一緒にありました。その後、深く後悔した頼康は、せめてもの償いにふたりの霊を慰めようと、領内の駒留八幡宮に若宮と弁財天を建てて祀りましたが、その一方、使命半ばにして倒れた白鷺は、余程無念だったのか、その地に鷺の飛翔する姿の花を咲かせる草になったという伝説が生まれました。http://www.city.meguro.tokyo.jp/info/rekishi_chimei/category/rekishi/seibu/01.htm
 
鷺草の   おくれ咲きしも   翔けそろふ   ―水原秋桜子
 
こうして「鷺草」は、今や世田谷の区の花に指定され、「常盤姫」の生まれ育った奥沢城の跡に建てられた「九品仏浄真寺」(世田谷区奥沢7-41-3)の一角の「鷺草園」に、これから花を咲かせますが、この花の見頃は8月上旬から中旬のようですので、どうかこの夏は、伝説のイメージを彷彿とさせるほど美しい純白な花姿をご覧下さいませね。そして残り僅かとなった水無月ですが、今週は「鷺草」の如く純白な“いでたち”で、あなた様をお迎えしたく思っておりますので、きっと水無月中にまたお会いできますことと楽しみにしております。
 
 
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木の揺れが   魚に移れり   半夏至   ―大木あまり
水無月もいよいよ明日までで、この週末は“半夏生ず”「夏至」末候を迎えますが、東京は昨日より今年初の真夏日が続いていて、こんな梅雨ひと休みの“五月晴れ”の午後はいかがお過ごしですか?
「半夏生」とは、夏至から数えて11日目の日で、丁度この時季「カラスビシャク(半夏・烏柄杓)」という植物が育ち、花を咲かせる頃という意味ですが、「カラスビシャク(烏柄杓)」は、サトイモ科の植物で、地下にある指の頭ほどの球茎が夏至の頃に良く育つので、漢名・生薬名で「半夏(はんげ)」と云われ、即ち、「半夏生(はんげしょう)」は「半夏」が育ち花を咲かせることからこう名付けられ、太陽暦では毎年7月2日頃にあたり、この日から五日間を云います。
ところが、これとは別に“はんげしょう”という名の植物があるからややこしく、この平仮名の“はんげしょう”は、“どくだみ”の種類で、「半夏生」の頃にハート形の葉が白く変色する面白い習性を持っているため、名前が二説ありますが、緑色の葉が白く化粧をしたようになることから、別名を「半化粧」や「片白草(かたしろぐさ)」と呼ばれ、個人的な好みでは、“半化粧”の方が素敵に思えるほど、色っぽい名前ですね。
さて、時季としての「半夏至」は、梅雨明けして、田植えも終わる頃ですが、地方によっては梅雨の後期に入り、この日を田植えの目標の日とする“半夏作”とも云い、またこの日に降る雨を“半夏雨”と呼び、大雨になると云う謂れもありますが、古来より農村地帯では、「半夏」の天候によって豊作か凶作かを占ったり、収穫祭を行うなどの大切な日で節目の日でした。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E5%A4%8F%E7%94%9F
また各地域では、様々な“謂れ”があり、この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、「半夏至」に採った野菜は食べてはいけないとされる地域もありますが、関西では、田植えした稲の苗が蛸の足のように大地にしっかりと根を張り、豊作になるようにとの願いを籠め“蛸”を食べる習慣があるそうで、讃岐では“饂飩”、また福井では夏を乗り切るためのスタミナ源に、丸焼きの“半夏至鯖”を食べる習慣などが江戸時代から根付いているそうです.
http://homepage3.nifty.com/fjp/scedule.htm
http://plaza.rakuten.co.jp/okiraku19/diary/200606200000/
http://www.fct.co.jp/benri/koyomi/zassetu.html
 
どくだみの   花の白さに   夜風あり    ―高橋淡路女
 
それでは、まもなく梅雨の末期、天地に毒気が満つる「半夏至」ですが、この週末は“どくだみ”科の多年草“はんげしょう”の、清楚な棒状の白い花を、夜風にそっと愛でられるようなよき週末をお迎え下さいませ。そしてこの時季の夏バテ防止には“どくだみ”で“毒”を“止む(だむ)”十薬を手元に、“半夏至の焼き鯖”などを食し、これから降る「半夏雨」に備えて下さいませね。
 
 
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