No.42

キリンシスターズ グルメリン No.1‥【由美節分祭り】♪ 『けんたうろす』2月のCockatail“節分’06”♪ 『源 吉兆庵』銀座店・懐石『松涛』“如月コース”♪ 『オテル・ドゥ・ミクニ』“開店21周年記念特別メニュー”♪                                   
 
わがこゑの    のこれる耳や    福は内  ―飯田蛇笏
 
暦では、春を告げる「立春」を間近に控え、“季節”を“分ける”「節分」前夜となりましたが、寒の雨から始まった如月は、いかがお過ごしですか?
この「節分」とは、元ははそれぞれの季節が終わる日、つまり「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日を云いましたが、中でも特に「立春」が1年の初めと考えられることから、“春の節分”が最も重視されるようになり、今はただ単に“春の節分”のことを表します。
「節分」につきものの“鬼払い”の行事は、元は中国の大儺が源流で、怖ろしい形相の面を付けた呪師が疫鬼を追い払う行事からで、日本に於いては706年に、多くの人民が疫病で死んだため、土の牛を作って、はじめての鬼払い儀式が行われたことが最初とされ、「続日本紀」に記されています。 
さて、「節分」と云えば“豆撒き”ですが、「節分」に豆で邪鬼を払う行事が初めて行われたのは、室町時代の京都で、「看聞日記」の1425年(応永32)の記録にも記され、また定番のかけ声“鬼は外、福は内”は、1447年(文安4)の「臥雲日件録」に・・・
―立春前夜に家ごとに豆を撒き、“鬼は外、福は内”と唱えた・・・と記述されています。 
それがやがて江戸時代に入ると、春を迎える厄払いの行事として、諸国の神社や家庭にまで広まり、当時の風習としては、体を豆で撫でて厄を移したり、年の数だけ豆を食べたりするようになりました。
また、尖っている柊の葉を“鬼の目突き”と呼び、その先に鰯の頭をさして戸口に掲げると、邪気の侵入を防ぐとされ、さらに最近では「恵方巻」といって、「節分」に食べる“太巻き”がブームとなり、「節分」の夜にはその年の恵方(歳徳神の住む方角でその年に吉となる方角。ちなみに平成18年は南南東)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、無言で“太巻き”をまるかじりする慣わしも流行りはじめました。
この「恵方巻」の起源は、豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が、「節分」の前日に巻き寿司の様な物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事に由来しているそうですが、この故事の他にも「恵方巻」の発祥は、元々は関西の食習慣とされ、大阪説、和歌山説、愛知説など様々で、ただし、江戸時代にはすでに、商売繁盛無病息災を願って大阪で定着していたようで、その後、明治に入って徐々に廃れていきましたが、遊女などの間で、「いい旦那に会えますように」と願って残り、一般には主に関西地区を中心に、1960年代から行われていたという説もあります。
こんな「恵方巻」ですが、その具は実は何でも良いそうで、最近では「七福神」に因んで、かんぴょう、キュウリ、鰻、椎茸、伊達巻、でんぶ、などの七種類の具を入れるのが縁起が良いとされてるようです。
http://www.webone.ne.jp/~satoshi.o/nigatu.htm
http://www.mizkan.co.jp/company/newsrelease/2006news/060113.html
http://hukumusume.com/366/kinenbi/pc/02gatu/2_03.htm
 
於春々     大哉     春と云々  ―芭蕉
 
それでは、暦上では春は間近ですが、こんな「節分」前夜はご一緒に、邪気を祓う“豆撒き”で春を呼び、今年の美しき歳徳神がいる方角「南南東」の“恵方”を向いて、「恵方巻」の福を巻き込む“太巻き”を、縁を切らないように切らずにまるごと食べていただきたく存じます。
そして『由美節分祭り』へのご来店を心よりお待ち申し上げております。
 
 
 
♪『由美節分祭り』2月1日〜3日
 
♪『けんたうろす』2月のカクテル“節分’06”

日本酒、梅リキュール、Fresh Orenge juice,Fresh Lemon juice.
 
♪『源 吉兆庵』銀座店 「松涛」
中央区銀座7-8-9
tel 3569-2361
http://www.kitchoan.co.jp/
 
♪四谷の洒落た洋館でのフレンチ『オテル・ドゥ・ミクニ』 
開店21周年記念特別メニュー” \21000〜
*新宿若葉1-18 tel 3351-3810 
 http://www.oui-mikuni.co.jp/cgi-local/top/index.cgi
 
 




















 
キリンシスターズ グルメリンNo.2‥春を待つ“節分の装い”『由美節分祭り』♪ 『ミクニズカフェマルノウチ』♪ “都七福神巡り”「妙円寺」の“大黒さん”&「赤山禅院」の“福禄寿”♪
 
何事も   なくて春たつ    あした哉   ―井上士朗
 
暦では“春立つ”「立春」を迎えましたが、この週末は、“春”とは名ばかりで、強い寒気が居座り、凍りつくような寒さの休日でしたが、いかがお過ごしでしたか?
この“春”が生まれる前日「節分」の先週に『由美』では、冬と春の繋ぎ目に、季節の隙間を狙って悪さをする鬼たちを豆で追い払う“鬼払い”を行い、皆で無事に春の誕生を祝いました。
さて、そんな“春立つ”翌日にキリンズは、昨年果たせなかった「都七福神巡り」へと、今回は「大黒天」を祀る松ヶ崎「妙円寺」と、「福禄寿」を祀る「赤山禅院」へ、小雪舞う京の街を散策して参りました。
この京都「都七福神巡り」は、数ある“七福神巡り”の中でも最も人気があり、正月 に回れば特に功徳が大きいそうで、すでに2月の入ってしまいましたが、1月中には「都七福神めぐり」の定期観光バスも運行されています。

先ず、“松ヶ崎の大黒さん”として親しまれている「妙円寺」は、“五山の送り火”「妙法」の「法」の字が点火される松ヶ崎山の麓にあり、開運招福の「大黒天」を祀り、元は古代インドのヒンドゥー教における破壊の神様である「大黒天」ですが、最澄が中国より持ち帰り、「延暦寺」の守護神としたことに由来します。また“大黒さん”は俵のそばに群がるネズミをも養うことから、そのお使いがネズミとなり十干十二支のはじめ、甲子が縁日となりました。
ただ、境内にある「大黒天」の石像は、出雲の「大国主命」の“大国さん”ではなく、仏教「大黒天(魔訶迦羅)」で、そのご本体は久遠のお釈迦様のご変身のお姿で、“物心ともに貧しき人のため、福を授けようと大黒天の姿になっておられる”そうで、元々は名前のごとく、黒い体に怒り表情の恐ろしい神でしたが、鎌倉時代に日本古来の神、「大国主(おおくにぬしのみこと)」が“だいこく”と読めることから、二人の神が合体し、俵に乗り打ち出の小槌を持った優しい福神に変身し“台所の神様”となりました。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/mathugasaki-myouen.htm
http://www.e-kyoto.net/topics/017huku/

次に比叡山の西の裾野に建つ「赤山禅院」ですが、この「赤山禅院」は、京都御所から見ると表鬼門にあたり、鬼から都を守る方位の守護神として祀られてきたお寺で、中国の道教の神様で、南極老人星の化身であるとされる「福禄寿」が安置されています。
「福禄寿」のそのお姿は、幸福、富貴、長寿を表し、長い頭に長いヒゲを垂れ、杖を持って、鶴や亀をお供に連れ好々爺の雰囲気で、いかにも長寿のご利益がありそうなお姿ですが、この姿にあやかり健康長寿、家内安全、商売繁盛の祈願をする人が多いそうです。
また「赤山明神」の祭日の五日に参詣して“懸取り(集金)”に回るとよく集金できると云われ、商人の信仰も厚く、その他には方除けの信仰も厚く、このように何かと御利益がある神様です。
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/spot/sp_E43537ADE959BA2F49256DA60001F49F
 
冬ながら そらより花のちりくるは くものあなたは はるにやあるらむ―清原深養父
 
それでは、まだまだ余寒厳しい暦上の“春”ですが、今週は遥か古えの「古今集」に思いを馳せ、舞い散る雪に桜の花びらの幻が見れるような、そんな待春の思いで、あなた様のお越しを心よりお待ち申し上げております。そして僅かながらも「七福神」のご利益にあやかれるように、皆様のご健康と幸福をお祈り致します『由美』をよろしくお願い致します。
 
 

♪“春を待つ”『節分』の装い

 
♪『ミクニズカフェマルノウチ』 
千代田区丸の内2-6-1 古河総合ビルディング1F tel 03-5220-3921
http://www.oui-mikuni.co.jp/cgi-local/group/restaurant.cgi?idx=2
 
 
 ♪松ヶ崎『妙円寺』の“大黒様”
♪『赤山禅院』の“福禄寿様”
http://www.kamnavi.net/it/kinki/sekizanzen.htm
 
 
 




















 

キリンシスターズ グルメリンNo.3‥【由美Valentine's Party】♪ “いけばな池坊展” at銀座松坂屋♪  トラットリア『メッツァニィノ』♪ エコ・イタリア『クオーレ・ディ・ローマ』♪

 
りんご匂う   バレンタインの  日の紅茶 ―鷹羽狩行
 
「節分」「立春」を過ぎて“寒が明け”、夜明けがめっきり早く感じられるこの頃ですが、まもなくバレンタインデーを迎える今週はいかがお過ごしですか?

今朝2月13日の東京は、5時40分頃にはすでに東の空が明るくなり始め、日の出は6時31分、日の入りは17時20分との予想ですが、余寒の冷たい風に震えた昨日に比べ、今朝は日差しも柔らかく、まるで“春はあけぼの”のごとく夜明けで、お陰で日中は初春の暖かい一日となる様子ですね。

この清少納言が遥か昔に眺めた“春のあけぼの”の紫色の夜明けの雲は、千年の時を経てなお“いまも東山にたなびく”同じ風景のまま、初春の早朝の美しい風情として表現されていますが、この時季の夜明けの空の色の変化は、早起きして見る価値が充分にあり、まさに息をのむの美しさですが、美そのものよりも、その美を感じる感性を持つことが、心の豊かさのような気がします。
さて、この時季は夜明けのほのぼのとした“あけぼの”とは裏腹に、強い風が吹く日が多く、初春の強い南風を「春一」または「春一番」と呼んでいますが、地域によっては様々な呼び名があり、「春疾風(はるはやて)」は、やはり春の強風ですが、「春荒(はるあれ)」「春嵐」とも言って、その春になって最初に吹くのが「春一番」です。また吹き方にニュアンスを置いた言い方を俳句では「春疾風乙女の訪ふ声吹きさらはれ」中村草田男や、「春疾風屍は敢て出でゆくも」
石田波郷などがこう詠んでから注目されはじめ、季語として普及しました。
ところで、すでに気象用語となっている「春一番」ですが、その語源については、石川県能登地方や、三重県志摩地方などの西の各地で昔から使われていたと説など様々ですが、そんな中で、長崎県郷ノ浦町では、安政6年(1859年)旧暦2月13日に長崎県五島沖に出漁した漁師53人が、春の強い突風にあい全員遭難した海難事故があり、それ以来、郷ノ浦の元居地区では、春の初めの強い南風を「春一」または「春一番」と呼ぶようになったそうで、当地では今でも2月13日には出漁を見合わせ、「春一番供養」を行い、町内の岬には「春一番の塔」が建てられています。
http://www.kishou.go.jp/jma-magazine/0302/
このように冬の間、北西や西の季節風ばかりを警戒して過ごしてきた漁師が、突然の突風をともなう南風に思わず不覚をとるということは充分に考えられることで、その他、春の風には北日本の春寒の風雪をともなって吹き荒れる北西の「春北風」や、また西日本の「黒北風」など、一般的な冬の季節風のように長続きこそしないものの、濃霧を伴う風も発生し、漁船にとってはたいへん恐い存在が春の風です。http://www.nikkoku.net/ezine/kotoba/ktb019.html
 
春一番  山を過ぎゆく  山の音 ―藤原滋章
 

それでは、そんな「春一番」には十分警戒しながらも、今週は“一寒六温”のごとき初春の陽気を期待して、『由美Valentine's Party』へと、きっとお越しいただけますこととご来店心よりお待ち申し上げております。

 
 
♪いけばな“池坊展” at銀座松坂屋 2月14日まで   http://www.ikenobo.jp/
 
♪トラットリア『メッツァニィノ』中央区銀座5-5-17 三笠会館本店・中2F 
tel 03-3289-5671
http://www.mikasakaikan.co.jp/
 
♪有機野菜と天然の魚材“エコ・イタリア”『クオーレ・ディ・ローマ』
渋谷区代官山17-6 代官山アドレス ディゼ1F tel 3464-0106 http://www.ecoitalia.co.jp/
 
 




















 
キリンシスターズ グルメリンNo.4‥『Valentine's party』でのキリンズ♪ 初春の優雅なひととき“料亭”『吉川』♪ “医食同源”『中国薬膳”『Xing-Fu』♪ “宮崎牛”銀座『みやちく』♪
 
来て見れば  来てよかりしよ  梅椿 ―星野立子
 
暦では“魚氷にあがる”「立春」も末候となりましたが、初春の憂鬱な花粉の飛散と、深夜のトリノ五輪観賞に目を腫らす、今週はいかがお過ごしですか?
今回のトリノ五輪の公式フラワーには、日本人に馴染みの深い“椿”が選ばれていますが、あいにく日本選手には、未だこの“椿”の花のブーケは手渡されておらず、日夜の惜敗に憂いでいますが、一日も早く表彰台に立ち、空高く“椿”のブーケを掲げる日本選手の勇姿を見てみたいものですね。
さて、この“椿”の歴史は古く「古事記」にも登場し、「万葉集」に“椿”を織り込んだ歌は9首詠まれていますが、“椿”の花は、春を告げるように咲くことから、昔から強い呪力を持つ神木とされ、その花姿の美しさからも多くの人に好まれ、開運の祈願を込めて文様に描かれてきたの柄のひとつでした。
また、愛媛県松山市の“椿さん”とも呼ばれている「椿神社」は、正しくは「伊豫豆比命神社(いよずひこのみこと)神社」と云い、子規の「賽銭のひびきに落ちる椿かな」の句が有名ですが、毎年春を迎える頃には、境内に咲く“椿”の花が彩を染めます。
http://www.tubaki.or.jp/

その他の“椿”名所では、洛西・衣笠山の麓「等持院」の織田信長の弟・織田有楽斎の“有楽椿(うらくつばき)”が今まさに咲き頃のようで、その花姿は、冬の柔らかな日差しを受け、薄紅色の花が次々と開く一方で、散った花が苔の上に広がり、静かに春を待っているかの様子です。

そんな歴史の“椿”ですが、東洋の地より遥か大西洋の海を越え、西洋の地へと辿り着いたのは、イエズス会の「カメル」という僧が運んだとされ、欧名“カメリア”は、植物学者のリンネが「カメル」の功績を踏まえて命名されたと云う説も生まれました。(2月16日毎日新聞 余録)
http://osaka.yomiuri.co.jp/flower/fl40207t.htm
 
奥山の  八峯の椿  つばらかに 今日は暮らさね  大夫のとも ―大伴家持
 
キリンズは、この週末は見事に咲き誇る“有楽椿”の気高い花を見に、京都「等持院」へと参りたく思っております。
そしてその美に、圧倒的な力を持つ兄・信長の下で育ち、秀吉から家康への時代を渡り、「逃げの有楽」とも呼ばれながらも、茶道という外交手段を生かして、大和で小大名ながら家を保った織田有楽斎の生涯を偲びたく思います。
それでは、今宵もトリノ五輪での日本選手が手にする艶やかな大輪の“椿”のブーケを心待ちにしながら、静かに春を待ちたく思います。そしてまだまだ寒さがぶり返す週末ですが、くれぐれもお風邪など召されぬようご自愛下さいませ。
 
 
♪初春の優雅なひととき“料亭”『吉川』♪  
中央区銀座8-16-6(完全予約制)
 
♪『Xing-Fu』(シンフウ)
中央区銀座6-9-9 かねまつビル6F
tel 3289-4245 http://www.xingfu.co.jp/
       
 
 
♪銀座『みやちく』 
東京都中央区銀座6-9-3   不二家銀座ビル3F
tel 5568-2918
http://r.gnavi.co.jp/a201400/
 




















 
キリンシスターズ グルメリンNo.5‥おめでとう“創刊50周年”記念『週刊新潮』♪ 山茶花咲く庭園&まだ蕾の“侘助椿”『等持院』♪ “冬景色”の『渡月橋』♪ 初春の旬彩『きたむら』♪
 

山茶花の    花や葉の上に   散り映えり  ―虚子

 

暦では“土が潤い起る”「雨水」初候となりましたが、冷たい雨から始まった今週はいかがお過ごしですか?
キリンズの先週末は、薄紅色に咲き誇る気高い「有楽椿」の花を一目見たく、京都衣笠山 の麓「等持院」へと参りましたが、あいにく今冬の寒さのお陰で、期待の「有楽椿」こと“侘助椿”の花は未だ頑なな固い蕾のままで、せっかくの想いも叶いませんでしたが、代わりに初春の冷たい空気に晒されながらも、冬の庭に彩りを添えてくれる「山茶花」の“花の散り”を眺めて来ました。
さて、この「山茶花」ですが、古代の“椿”は「山茶花」であったと云われ、“椿”の漢名「山茶花」が、いつの頃からか「山茶花(さんさか)」→「茶山花(ささんか)」→「さざんか」と変化したとの説もあり、日本古来より“椿”こと「山茶花」は、明るい陽春を予祝した花としての威力をもち、その名のごとく“春を言触れる花木”として重要な花でした。
またこの時代には、天地自然の神々が人間の生活や信仰に、何らかの啓示を与える時の媒体となった躑躅、空木、麻、橘など幾つかの植物が存在しますが、係わり方の深さに於いては、“桜”と“椿”が双壁をなしていました。
ところで、「山茶花」が“椿”と同じ花であったとされる大きな理由としては,ヤブツバキの種類より約ニケ月早く咲くその開花時期にあり、毎年11月末から12月にかけてが花の盛りで、この時季が、まさに太陽復活、即ち大地衰弱の極となる「冬至」の直前だったことから、「山茶花」の燃える紅色は、来たるべき春を祝福するものと信じられていました。
このように、古代に於いては山の民が待ち焦がれた木は、本来は“椿”ではなく、「冬至」の頃に咲く「山茶花」と着想されていましたが、ただ不思議なことに、「山茶花」の名は古典文献には見当たらず、古代中世を通じても、詩歌に出てくるのはやはり“椿”ばかりで、「山茶花」という名前が“椿”と区別されて単独で現われるのは、何と室町期に入ってからが初めてです。
「山茶花」に関しては、その名は無論のこと、別称の“ヒメツバキ”や“コツバキ”という名も、また中国名の“茶梅”という名前も、古い歌には一切登場せず、「山茶花」の手掛かりを掴むことはいまだ謎のままですが、古く両者は同じ“椿”の種類として、あまり厳密に区分されずに扱われていたとしか考えようがないようです。
しかしその他に、もう一つ不思議なのは、古い歌に歌われている“椿”は、大抵が何らかの接頭語を伴っていて、「万葉集」でも“椿”には「片山椿」とか「つらつら椿」とか、決まって頭に修飾の言葉が付いていて、“椿”という単体で出てくることのほうが稀です。
さらに加えて不思議なのは、この“椿”の歌は万葉以降の歌集では歌われなくなってしまい、この現象は“椿”ばかりでなく、麻、紫陽花、馬酔木なども同様で、古い時代に神の依り代だったこれらの植物は、万葉の時代だけが光り輝き、その後色越せてしったように思えます。
はたしてこの花を再び和歌の中に見出すようになるのは、万葉で最後に“椿”を歌った大伴家持から数えて、何と五百年以上も経った十三世紀の「新古今集」以降の歌集まで待たなければならず、そこでは長い間歌われなかった割には、時代が下がっても呼び名の数は変わらず「玉椿」「八峰の椿」「つらつら椿」「白玉椿」「青椿」「八千年椿」「片山椿」「浜椿」「深山椿」など綺麗な名前が沢山出てくるようになります。
http://www.sol.dti.ne.jp/~tmorioka/library/wasure-hana/tubaki.html
 
あしひきの 八峰の 椿つらつらに 見とも飽かめや 植ゑてける君―大伴家持 
 

それでは、今週は遥か万葉の彼方へと想いを馳せ、「つらつら椿つらつらに…………」と軽やかなリズムでこの歌を口ずさみ、“椿”の葉が、初春の陽の光を受けて急に鋭く輝き始める・・・そんな陽の光によって見違えるほど艶を増し、花がずっしりと咲いてる様をゆっくりと眺められるようなよき一週間をお過ごし下さいませ。
そして「ふと吹けば 山茶花の散り はじめかな」と ―平井照敏のこの句のように、“椿”とは花姿が似ているものの、“椿”のように花の形を保ったまま落ちず、花弁が一枚ずつ“散る”「山茶花」の繊弱な様を愉しみ、微かな春の香りを満喫下さいませ。

 
   

 

♪祝“創刊50周年”記念『週刊新潮』
 http://book.shinchosha.co.jp/shukanshincho/
♪初春の旬彩すし処 銀座『きたむら』 
東京都中央区銀座4−3−2槁ビルB1 tel 3564-3640
http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kanto/Tokyo/guide/0106/U0002109180.html

 

 
♪“足利尊氏“菩提所”『等持院』
♪茶室『清漣亭』 & まだ蕾のまま『有楽椿』こと“侘助椿”
♪“山茶花”咲く『等持院』庭園&“冬景色”の『渡月橋』
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/hana/haru/toujiin.html
 
 




















 

キリンシスターズ グルメリンNo.6‥風雅な催し“ひいなあそび”『由美雛祭り』♪ “春のお菓子”『源 吉兆庵』♪ 料亭『吉川』“雅やかな雛人形”♪ 『TNATO TANTO elegante』“春のメニュー”♪ 

 
春の初めに舞へ 舞へ 舞を
舞へば情に やれ この さあ
野山の花も目を開く ―与謝野晶子
 

暦では“霞始めてたなびく”「雨水」次候を迎えましたが、春霞の中で花粉舞う今週はいかがお過ごしでしたか?

“春の舞い”と言えば、今朝未明の荒川静香選手の華麗な“春の舞い”は、まさに“見事”のひと言に尽き、類稀な美しさで人々を魅了し、氷の心で震え上がらせた「トゥーランドット妃」のごとく、美の化身さながらの完璧な美貌で、プッチーニの歌曲「トゥーランドット」が流れる中、日本中は歓喜と興奮の坩堝と化しましたね。
そしてこの優美な“氷の舞い”は、日本に今大会初のメダルを齎し、ようやく“椿のブーケ”が手渡されましたが、そんな春の悦びに『由美』では、弥生一日・二日・三日と平安の世からの雅なる宴“ひいなあそび”を催すこととなりましたので、ここにご案内させていただきます。

さて、この“ひいな”とは元は小さくて可愛らしいものと言う意味で、平安朝の頃は広く“人形”のことを指し、「もろともにひいな遊びし給う」と「源氏物語」に記されているように、遥か平安の世から貴族の人形遊びとして親しまれて来たものでした。
「雛祭り」は、そもそも“ひとがた(人形)”に汚れや災いを託してお祓いをする、古代中国の「上巳の節句」が始まりとされ、その慣わしが日本へ渡り、平安時代に“ひいなあそび”と一つになった言われています。
その後貴族社会から武家社会へ、そして庶民へと「上巳の節句」は広まり、そこでの習俗と結び付いて様々な節供行事が生まれました。

この“ひいなあそび”から「雛祭り」が生まれたという説もあり、平安時代の貴族の日常の風雅な人形遊びが、江戸時代初期の頃より、「三月三日」と日を決めて行うようになり、手遊び人形であった“ひいな”が“雛人形”となり、飾るお供物から、この日は「雛節供」「雛祭」「桃の節供」、または節供に遊んだ内容から“磯遊び”“山遊び”“花見”などと呼ばれました。http://www.maruyama.gr.jp/FootAndToy/old/spring98.htm
ところで“お雛さま”は、雅やかでやさしい面影の一方では、単なる人形ではなく、本来は幼子のお守りとされ、古来よりそんな人の世の幸せへの祈りが脈々と息づいています。
寛延2年(1749)に度会直方が記した「具合乃記」には、“雛遊び”“七夕遊び”“貝合せ”“歌がるた”といった女子の代表的な遊びの由来を解説していますが、ここでは直方は、雛祭りの元来の説とされている、聖徳太子創始説、中国の仙人・東王公像起源説などを評価せず、「日本書紀」崇神天皇の代の記事中にある「比賈那素寐」の語を、“ひめなそび(ひいなあそび)”と解釈する「釈日本紀」の説に従って、“雛遊び”は神代まで遡るものだと述べています。
また、「日本書紀」「万葉集」「源氏物語」「枕草子」などの記事から・・・
(1)「天児(あまがつ)」「這子(ほうこ)」、「撫物(なでもの)」といった、人形に自分の災厄や罪を移したり、海に流したりして祓う風習。
(2)小さな薬祖神「少彦名命(すくなひこなのみこと)」の像のこと。
(3)宮中で三月初めの巳の日(上巳・じょうし)に行なわれた曲水の宴のこと。
(4)平安貴族の子女の人形遊び“ひいな遊”などを挙げ、子供が人形で遊びながらその身の災いを除き、同時に将来睦まじい夫婦となるため、女の役割を学ぶためのものとしています。
さらに直方は、“雛人形”は本来の“小さい”の意のごとく、モデルとなった少彦名命の小さな姿にちなんで、小さく作るのが正しく、昨今のように見栄を張って大きく作りたがる風潮は可笑しきことと嘆き、また、「雛祭り」は神代に遡る神事であるので、決して女子の戯れと疎かにせず、謹んで祭るべきであると説いています。
http://www.city.nishio.aichi.jp/kaforuda/40iwase/collection/hiinaasobikaiawase/hiinaasobikaiawase.html
 
春の初めに飲め 飲め 酒を
飲めば笑らぎに やれ この さあ
福の神さへ踊り出す―与謝野晶子
 
それでは、まもなく如月も終わり、新芽息吹く弥生を迎えますが、どうかこの週末は平安朝縁の“ひいなあそび”のような“雅やかなるもの”を愉しめるようなよき休日をお過ごし下さいませ。そして来週の『由美雛祭り』にても、“春の初めに飲め 飲め”と賑やかに銀座の美酒を味わっていただけますことと、あなた様のご来店を心よりお待ち申し上げております。
 
 
♪春のお菓子“ひいなあそび” 『源 吉兆庵』   http://www.kitchoan.co.jp/
 
 
♪料亭『吉川』“雅やかな雛人形”
 
♪『TNATO TANTO elegante』“春のメニュー” 
*東京都中央区銀座5-8-17 ワールドタウンビル3F  tel 03-5537-1313
http://www.lemondedesgourmet.co.jp
http://r.gnavi.co.jp/g188302/
 




















 
キリンシスターズ グルメリンNo.7‥『Straight,4月号』“銀座 We get requests♪” “真美さん誕生会”&【由美雛祭り】♪ 初春の陽光『小金井CC』♪  経堂・和食『の水』♪
 
雛壇を   旅立つ雛も   なくしづか  ―高山れおな
暦では、まもなく“草木萌え動く”「雨水」末候となりますが、弥生を迎えます今週はいかがお過ごしのご予定ですか?
『由美』では、弥生の声を聞くと同時に『由美雛祭り』&“真美さん誕生日会”を開くこととなりましたので、ここにご案内させていただきます。
さて、三月三日の「雛祭り」は、三が重なることから「重三の節句」とも呼ばれますが、古くは、三月の”上の巳の日”の節句から「上巳の節句」と言い、それが「桃の節句」と呼ばれるようになったのは、古代、中国や日本では、桃は邪を祓う霊力を持つ花と考えられていて、花が旧暦の三月頃に咲くことから、「上巳の節句」の象徴となりました。

この「雛祭り」に合わせて、平安貴族の歌遊び「曲水の宴」が各地で催されますが、現代の「曲水の宴」とは、平安時代の出立ちさながらに、男性は狩衣、女性は小袿を纏い曲水のほとりに座り、上流から流された盃が自分の前に流れて来るまでに歌を詠み、盃をとって飲み干すという宮中行事を再現したものです。

「曲水の宴」の起源は中国「秦」の時代とされ、元は清らかな水の流れに、盃を流して禊祓の儀式として行われたのが始まりで、その後、晋の永和9年(353年)三月三日「中国蘭亭」にて催された宴が、現在の形として伝わり、日本に於いての最古の記録は、「日本書紀」に485年に、三月上巳の日に後苑にて「曲水宴」が行われたと記されていて、また「続日本書紀」にも、728年に聖武天皇が宴を催したとの記述が残り、さらに『万葉集』十九には、750年三月三日の大伴家持の邸で行われた「曲水の宴」の歌があり、早くから私的な開催もあったことが伺われます。
かの道真公も宇多天皇寛平2年(890年)3月3日宮中での曲水の宴に参宴し・・・
風光になげうち渡りて 海濱に臥せりき 憐れむべし 今日佳辰に遇ふこと 
近く臨む桂殿 廻流の水 遥かに想ふ 蘭亭 晩景の春 ―と「中国蘭亭」に想いを馳せる詩歌を詠じられたことがあり、道真公を祀る太宰府の地では、「天満宮安楽寺草創日記」に天徳2年(958)3月3日大宰大弐小野好古が宮中での道真公の往時を偲び始めると記されています。http://www.dazaifutenmangu.or.jp/matsuri/kyokusui.htm
その後「曲水の宴」は、武士の世である鎌倉時代には一旦途絶えてしまいましたが、江戸時代以降になると私的に試みる人も往々あるようになり、岡山後楽園や大谷派本願寺などのものが世に知られるようになり、また現在では、福岡の「太宰府天満宮」の宴が最も有名で、1963年に西高辻信貞宮司が復活させ、十二単の姫、衣冠装束の殿上人、小袿の女房に扮した約40人が、曲水溝のほとりに緋毛繊を敷いて座り、梅の花びらが舞い、琴が奏でられる中で、煌びやかな平安王朝絵巻が再現されました。
その他、春の息吹を感じる「隅田川」にても、3月17日に隅田川下りにて、遊覧と創作浄瑠璃を楽しむ会をご案内中のようですので、平安の雅やかなる優美「曲水の宴」を、この際に、一度体験されてみてはいかがですか?
http://www.metro.tokyo.jp/INET/EVENT/2006/02/21g2e101.htm
 
桃の日の  ひとり長湯を  たのしめり  ―中山 純子
 
それでは、今週『由美』では、三月三日の「桃の節句」には、平安朝の風雅なる「曲水の宴」のごとく曲水に“流す盃”はないものの、せめて自分の盃を飲み干す前に、詩歌を作り、また酒を飲む・・・そんな古えの風情で『雛祭り』を催したく思っておりますので、きっとご来店をいただけますことと楽しみにお待ち申し上げております。そして『真美さん誕生会』へも、どうかお越しいただけますようよろしくお願い致します。
尚、『Straght,4月号』(扶桑社刊・2月25日発売)の銀座特集“銀座 We get requests♪”に『由美』が登場しておりますが、その紙面にて“同伴のお勧めのお店”として・・・
『福治』http://r.gnavi.co.jp/g997500/ 『築地さとう』http://r.gnavi.co.jp/g014000/
『ミクニ・マルノウチ』http://www.oui-mikuni.co.jp/cgi-local/top/index.cgi
『きたむら』http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kanto/Tokyo/guide/0106/U0002109180.html
などをご紹介させていただいており、さらにはその他のページにも、キリンメールに数多く登場する『Xing-Fu』のDr,謝社長や『寿司幸本店』の杉山 衛ご主人など、沢山の方々が写真とともに掲載されていますので、お時間ございましたら是非ご覧いただけますようよろしくお願い申し上げます。
♪“真美さん誕生会”&『由美雛祭り』
 
♪『Straight,4月号』“銀座 We get requests♪”  http://www.fusosha.co.jp/straight/
   
♪『Xing-Fu』&『寿司幸本店』の杉山 衛ご主人
 
♪初春の陽光『小金井CC』
元木佳代子プロの華麗なショット 
   
 
 
♪経堂“和shoku”『の水』
♪『の水』野水貞博ご主人
*『の水』 世田谷区宮坂3-12-17  tel 5799−3124 http://www.ne.jp/asahi/n/mz/