No11
キリンシスターズ グルメリン No.1 
7月1日 『PLATINUM LOUNGE』 OPEN♪ 夏越しの祓え 『水無月』♪
くちなしの花の“白”が梅雨空に映え、匂い香る文月を迎えました♪ 「くちなしの白い花なり こんなにも深い白さは見たことがない」 ー山崎方代(産経抄より)
文月1日は 「由美VIP LOUNGE」 に続き、新たなるスペース 「由美PLATINUM LOUNGE」 が、いよいよオープン致します♪
キリンズは、それに先立つ水無月30日に“年の前半のけがれを祓う行事” 『夏越しの祓え』 に因み、皆で和菓子 『水無月』 をいただき、 小豆の“赤い色”が邪気を祓い、新たなる試みの成功を祈願致しました♪
『PLATINUM LOUNGE』 は、今度は“由美”に向かって左奥に、 これまでの 「VIP LOUNGE」 より、さらに広くゆったりと寛いでいただける 20坪の“空間”となりました♪ より洗練された明るい雰囲気の内装と充実したサービスで、 これまで以上に“一グループだけに限定された空間”の特別 感をお約束 出来るプライベートルームに仕上がりました。 ところでハリウッドの“名花”キャサリン・ヘップバーンが亡くなり、心を打たれた 名演技の数々が映画の場面とともに思い起されましたが、そんな中 「旅情」 にて、出逢いと別 れを伝えるのが“くちなしの花束”でした。 瑞々しかった紫陽花も散り、真夏の太陽の下燦燦と輝く向日葵へと、 夏の主役も変わりつつありますが、キャサリンの永遠に美しく、 くちなしの純白な“白”が最も似合う清楚な美を偲んだキリンズでした。
では、一年の折り返しが過ぎて今日から文月です。 『PLATINUM LOUNGE』 を少しだけお褒めいただけますことと信じて おります♪


♪けんたうろす 7月のCocktail 『文月03'』

Rum, Mangoyan liqueur, Orange juice, 生クリーム.
『PLATINUM LOUNGE』 にて、キリンズ
♪『水無月』 とらや
 
 




















 
キリンシスターズ グルメリンNo.2
『由美七夕祭り』♪ 『香り家』♪ 『孔家飯店』♪ 『寛文五年堂』♪
五節句の一つ旧暦7月7日の行事で、 奈良時代から祀られて来た 『七夕』 のご案内です♪
その起源は中国の宮廷行事・乞功奠(きっこうでん)が伝来され、 天帝の娘“織姫”(琴座のウ゛ェガ)と”牽牛”(鷲座のアルタイル)の星の恋物語 に 因んだ“星祭”です。日本では、大和朝廷もその乞功奠にそって七夕を祭り、 庶民まで広まったのは室町時代以降だそうです。 文献に初めて“織姫星”“牽牛星”が書かれたのは、 中国・春秋時代の 「詩経」 の四国風の中の一節で、 ただそこでは“星”としての記述のみで、“伝説”が生まれたのは、 漢代編集された 「文選」 の中の 「古詩十九編」 に、今に伝わる 七夕伝説の“恋”の詩があるそうです。
笹に短冊等など豪華に飾る“笹飾り”は、江戸時代から始り、 笹飾りの一つ一つには縁起ものの云われがあり、吹き流しは織姫の織糸とされ、 中国では五色の糸を吊るすそうです。 さらには日本の“七夕祭り”は、大陸伝来の“星祭”だけではなく、 古い農村の信仰の 「禊ぎ」 と結びついていて、棚機女(たなばたつめ)という巫女 が、 水辺で神の降臨を待つ行事との合体とされているそうです。 タナバタの読みは、その巫女“棚機”から来ているようです。
そんな中、日本三大『七夕祭り』の一つ“湘南ひらつか七夕まつり”が始まりました ♪ そして日本各地でも“七夕”に因んだ催しが行われます。 キリンズも 『七夕祭り』 には“願い事”を短冊に書き、“たなばたさま”を祝いま す。
 
きっと七夕の宵は、織姫が対岸に隔てた彦星と“天の川”を渡って再会できるよう な、 そんなロマンチックな 『七夕祭り』 を迎えられますことと、楽しみにしております ♪ では、文月を迎え富士山も山開きとなりました♪ キリンズは、今年は梅雨ひと休みの晴れ間の休日には、“富士登山”に挑戦しようと 思っております。
♪『七夕祭り』 案内状

♪ 板蕎麦 『香り家』(恵比寿4丁目)
♪ 四川料理 『孔家飯店』(銀座8丁目)
♪稲庭うどん『寛文五年堂』(銀座7丁目)




















 

キリンシスターズ グルメリンNo.3
『MARIAH CAREY』 at 武道館♪ 『坂口國男展』 at 日本橋三越♪

“七夕”の今夜は雨模様にて、牽牛も織姫との再会叶わぬ ようですね・・・ その“七夕”に京都の令泉家で古来続いてきた「乞功奠」(きこうでん)は、 唐の玄宗皇帝のころ盛んになった宮廷行事で、祭壇の飾り付けの ゆかしさは、海の幸と山の幸を盛った白木の台座に琵琶と筝が置かれ、 五色の布や秋の七草を供えて、灯りが燈された祭壇を前に、雅楽を 奏でる (日経・春秋より) そんな雅やかに機織や手芸、歌舞音曲の上達を願う“七夕”だったそうです。 キリンズもそれに習い、今夜は優雅に短冊に願い事などを書き、 “七夕”の風情を楽しみたく思っております♪
“Through the rain”は、自分のためだけでなく、全ての人に捧げるために 書いた曲で、その歌詞で人々に語りかける----by MARAIH “あれもこれも辛いことばかりだけれど、信念さえ失わなければ克服できる” タイトルの“Charmbracelet”は、そんな“信念”を貫くための 「お守り」 で、 MARIAHは、希望と祈りで満ちた素晴らしいバラードの数々を、 囁きかけるような語りに近いヴォーカルから、クライマックスでの熱唱までを、 ドラマチックに表現し、完成された圧倒的なヴォーカルを聞かせてくれました♪ さらには、MARIAHのセクシーで愛らしいコケティッシュな魅力に魅了され、 ラストは真紅のミニドレスに身を包み、サンタクロース姿の ダンサー達に囲まれて“恋人たちのクリスマス”を陽気に唄うMARIAHの 笑顔に魅せられたキリンズでした♪ “神に感謝します。私の人生とここまで私を導いてくれた運命に” (by MARIAH) そんなスターらしからぬ 優しく清々しい“自然”な美しさと “輝き”に満ちたMARIAH CAREYの夕べでした♪
♪『Chambracelet』 MARIAH CAREY(ユニバーサル)
♪『MARIAH CAREY』 武道館前にて キリンズ
♪『母の日』
♪『ヴェネツイア好日』 坂口國男展(日本橋三越6階・美術画廊)にて  坂口ご夫妻

♪『ヴェネツイア好日』 坂口國男展(日本橋三越6階・美術画廊)にて 
 




















 
キリンシスターズ グルメリンNo.4
『古来家匠郭』♪ 『加納』♪ 『きたむら』♪
木陰が色濃くなり、緑の深まる七月。 暑さも厳しくなっていよいよ本格的夏山シーズンが到来致しました♪ この時期の尾瀬は色彩豊かに“白”は水芭蕉やワタスゲやイワイチョウ などの多年草が、高山帯の湿地に咲き、 “黄”はニッコウユリやキンコウカなどのユリ科が湿原に群生し、 “紅”はヒメシャクナゲやイワカガミが、ひっそりと亜高山帯の草地や 岩礫地に咲いています。 山頂付近の乾いた草地には、ちょうどこの時期はキク科の ホソバヒナウスユキソウが咲く頃で、これからが“魅惑な尾瀬歩き”の 本番となるようです♪ 尾瀬沼の気候は太平洋気候と日本海気候、本州中央気候に影響 されるために複雑で、1年の半分は雪に埋まり、こうした厳しい自然環境 に湿原や沼などの特有の地形や地質、緯度、高度などが複雑に絡み 独自の植物相を生み出しているようです。一説では1000種類にも及ぶ 植物を観察できるそうで、貴重なオゼアザミやオゼミズギクなど固有種を キリンズは、今年は是非観てみたく思っております。
そんな山々の“色彩”には及ばないものの“由美七夕まつり”は、 色鮮やかな“ゆかた”の競演(饗宴)に、艶やかな宵を過ごせました♪
♪『七夕まつり』 由美のニューフェイス
♪『古来家匠郭』(銀座8丁目)
♪『きたむら』(銀座3丁目) 天然鮎
♪『加納』(銀座5丁目)




















 
キリンシスターズ グルメリンNo.5 
百名山の六 『筑波山』♪ 『islay 1980』♪ 『恋のジェリーフィッシュ』吉川晃司♪
“筑波の嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬ る” 陽成院
朝は“藍” 昼は“緑” 夜は“紫”と一日に幾度も表情を変えることから “紫峰”と呼ばれている 『筑波山』
キリンズは盆迎え火の休日に、男体山、女体山と二峰を持つ“神の住む山” 百名山の一つ 『筑波山』 へと行って参りました♪
「雪の富士」 「紫の筑波」 東国の二名山として、昔より並び称されてきた 優雅な姿は、多くの歌人を魅了し、“万葉集”や“小倉百人一首”などにも 数多く歌われてきました。ただ 「富士」 との違いは“富士は仰ぎ見る山”、 “筑波は登って楽しむ山”で、登れない西国の人々が、憧れの気持ちを 歌に託したそうです。 山の中腹にある 「筑波神社」 は、筑波の男神イザナギと筑波の女神イザナミ のニ神を祀ってある由緒ある神社で、縁結びの神として信仰されております。 その 「筑波神社」 を起点に、山頂へと向かう登山道は、奇岩、怪岩を巡る 路があり、岩から清水が滴る“男女川(みなのがわ)”の流れにかけて、 陽成院が冒頭の恋の歌を遺したそうです。
山頂からは、あいにくの曇空にて関東平野を望む雄大な景色は拝めません でしたが、初夏の花々、コアジサイや淡紫色のタマアジサイを観察しながら、 登山口より山頂までの標高差620mを、わずか1時間あまり(2.3km) 楽しんでの登山でした♪ ただ悲しいことに先月29日に、自生するヤマユリの球根の9割(200〜300)が、 “掘り起こされて持ち去る”という盗難に遭い、ちょうど今が旬と咲き誇る ヤマユリの姿が見られず、大変残念に思いました。
ところで“文月”の由来をご存知ですか? 七夕に牽牛・織姫の二星に詩歌を供え祭る行事に因んで“文月”と云う説と、 または稲の穂が脹らむ季節なので“穂含月(ほふみづき)”、穂がよく見えるように なるため“穂見月”と、水稲耕作を語源とする説があるそうです♪ そんな由来の“文月”ですが、十五日が博多祇園山笠の 「追い山」。 十七日は京都祇園祭の山鉾巡行で、日本各地は夏祭りで賑わっております♪

 

♪『筑波神社』 とタマアジサイ
  ♪山頂 『男体祠』
♪『islay』 1980年
♪『恋のジェリーフィッシュ』 吉川晃司(徳間ジャパン)




















 
キリンシスターズ グルメリンNo.6
百名山の七 『焼岳』2444m登山♪ メニコン『SUPER CONCERT』♪
“海の日”にキリンズは、上高地を守る唯一の活火山『焼岳』2444mの山頂を 制覇して参りました♪ 『焼岳』 は、木曽の 「御嶽山」 と並び、北アルプスを代表する活火山で、 穂高連峰を背景に山紫水明な上高地にあって、“茶色”いドーム型の 『焼岳』 はまるで異端児のような姿です。 その上高地の景勝地である 「大正池」 を造ったのも 『焼岳』 で、 いまなお細く噴煙をたなびかせ、飛騨側からは“硫黄山”と呼ばれたそうです。 1915年(大正4年)6月の大噴火により地滑りを起こし、梓川を堰き止めて 湖を出現させ、それがのちの 「大正池」と命名されたのは広く知れ渡ってますが 頂上火口から半径1km以内は立入禁止とされ、1962年から29年間 “無人の山”であり、ようやく1991年にその規制が緩和され(現在でも山頂より 半径800m以内は危険地域)、北峰までの登頂が可能となったそうです。 上高地より一番近い“頂”として、人気の 『焼岳』 ですが、ただ行程は急峻で 路肩が切れ落ちた箇所などもあり、岩の段差をよじ登って山頂へは露岩地帯 を横歩きでの到達でした。
キリンズ登山ルートは、安房峠への旧道を登り、中の湯バス停(1315m)を越え そこから樹林道のジグザグ道を抜け、さらには混生林の笹の林床地帯から、 森林限界を過ぎて露岩地帯を登り火口壁上へ、高低差1100mを3時間弱 (往復4時間半)での登山でした♪ 山頂付近はいまだに硫黄臭と水蒸気が吹き上げていて、そのうえ雨と霧に遭い 岩場での長時間滞在は不気味な 『焼岳』 でしたが、中腹の湿地帯には 別名ユウレイタケの名をもつギンリョウソウやアカモノ、さらには時折コイワカガミ や ゴゼンタチバナ、マイヅルソウなどが見られ、梅雨の晴れ間に高山植物が “ハナザカリ”の 『焼岳』でした♪
そんなキリンズの“海の日”でしたが、22日は13th メニコン『SUPER CONCERT』 へオペラシティへと行って参りました♪  13回目を迎えた今回は、1998年にスウェーデン最南部スコーネの美しい都市 ルンドに生まれたア・カペラ男声合唱団「SVANHOLM SINGERS」が来日し、 キリンズは、スマートでお洒落な雰囲気の 「SVANHOLM SINGERS」 の “北欧の白夜を偲ばせる”神秘的なハーモニーを聴いて参りました。
♪『焼岳』 登山口&コイワカガミ
♪『ギンリョウソウ(ユウレイタケ)』&三角点のある南峰 &山頂付近の噴煙
♪13th メニコン 『SUPER CONCERT』 オペラシティ7月22日




















 
キリンシスターズ グルメリンNo.7
高橋真梨子 『method』♪ 『SVANHOLM SINGERS』♪ 『小十』♪
梅雨明けが遅れて“立秋”まであと二週間となりました。 梅雨が終わりに近づく頃になると、庭先にノウゼンカズラの“橙色”“桃色”“黄 色” の花々が零れ、暑い日ざしに相応しく咲き誇っている姿をよく見かけますが、 今年は梅雨初め頃から咲き出し、盛夏を迎える前には咲き終わりそうで、 この梅雨寒の暗い空の下では、鮮やかな“赤朱色”も震えているように映ります。 ノウゼンカズラは“凌霄花”とも書き、原産は中国大陸で、日本へは平安の頃に 渡ってきたそうで、この花の凄さは、“惜しむことなく散る”美しさにあり、 色も形も瑞々しいうちに、見事に散ってしまう姿が、“咲くことより散ること”に 美学があるように思えます。(産経抄より) 花言葉は“女らしさ”で、人生の夏にまだ一花も二花も咲かせられるような、 控えめな“淑やかさ”を、その花言葉から読み取れます。
『method』 と題したそのコンサートでは、圧倒的な歌唱力と豊満で艶やかな声で、 “出逢い”“恋”“別離”“未練”といった大人の愛の世界を、見事なまでに表現 し、 聴く人の心に深く沁み入る“バラード”で深い感動を与えてくれました。 そんな無理のない“自然な女らしさ”と、独特な雰囲気が 『高橋真梨子』 の 息の長い人気の秘訣のように思えます。 『高橋真梨子』 の中では、「歌は全てで、歌うことに自身の全力を傾ける」 その豊かな感性はひたむきな歌への情熱によって育ち、表面 的な華々しさはない ものの、しっとりとした説得力のある歌唱と、研ぎ澄まされた感覚が、より “女らしさ”に花を添えてました♪
♪ 高橋真梨子 『method』(ビクターエンタティンメント) at東京フォーラム7月 23日 
♪『SVANHOLM SINGARES』 at東京オペラシティ 7月22日
♪新規OPEN 『小十』 ご主人奥田 透氏(銀座8丁目)




















キリンシスターズ グルメリンNo.8
百名山の八 『富士山』 3776m制覇♪ 唐津焼・西岡小十の器の和食 『小十』♪ 
“日本の大和の国の鎮めともいます神かも、宝ともなれる山かも”  高橋蟲麿
古くから詩歌に詠まれ、絵画に描かれ続けてきた 『富士山』 は日本人の心に 刻まれた情景の山で、誰もが一生のうちに一度はその頂上に立ちたいと思う 日本の最高峰です。キリンズは土用の丑の日に、この富士山頂の神々しい “御来光”を拝んで参りました♪ 万葉歌人の高橋蟲麿が冒頭の句を詠んだ様に、古来 『富士山』 は大和民族の 心の拠りどころとして信仰され、この“霊峰”を鎮めます神は「浅間大神」 またの 名を “木花佐久夜毘賣命”(このはなさくやひめのみこと)といい、創建は垂仁天皇三年 (前二七)の御代で、富士の山霊を鎮めるため、山足の地に 「浅間大神」 を祀った そうです。その後平城天皇大同元年(806)に坂上田村麿が勅を奉じて、現在の地 に社殿を造営したと伝えられています。
ところで初の富士登山者は誰でしょうか? 日本武尊(やまとたけるのみこと)との説と、あるいは聖徳太子が甲斐の黒駒に 乗って、空を飛び登頂したなどの伝説がありますが、平安時代の 「本朝文粋」 に、 都良香が著した 『富士山記』 があり、そこに最初に到達した“証”が書かかれてお り、 さらには外国人初の登山家は、江戸の末期(1860)イギリス初代駐日公使 オールコック一行で、女人禁制が解かれたのは、その後の明治五年(1872)で、 翌六年に 「浅間大社奥宮」 が山頂に祀られました。
キリンズはこの 「浅間大社」 境内を成す富士山頂を、本宮が建つ富士宮からの “富士宮口登山ルート”で、標高2400mの新五合目より山頂を目指しました♪ このルートは富士山頂への最短路として、“吉田口登山道”に次ぐ人気で、 常に相模湾の雄大な景観を背にし素晴らしい登頂ルートのようですが、 あいにくキリンズは夕方から雨と霧に紛れての出発だった為、暗闇の中では オンダテの咲く砂礫の道や、露岩地帯の“黒”のみしか拝むことが出来ず、 そのうえ凍てつくような寒さに震え、七号五勺の山荘で仮眠後、再び真夜中から 頂上へと向かいました。(登り4時間弱、下り3時間の計7時間弱) ただシーズン中は夜中でも“御来光”目当ての混雑が激しく、九合五勺の鳥居からは 渋滞しての到達でしたが、でもそんな寝ずの苦労の甲斐あり、頂上での“御来光”と “雲海”の眺めは素晴らしく、深い感動を胸に刻んだキリンズの初富士登山でした♪ “富士宮口”は4つのルートの中では最も早くから開かれたルートですが、標高差 1400mを一気に登るため、傾斜は急峻で、登りはきつく下山も同じ道を辿ります。 さらには8月9日〜17日間はマイカー規制も実施される様ですが、 でも“梅雨明け後”の 『富士山』 は素晴らしいことでしょうね♪
♪『頂上浅間大社奥宮』
♪『富士山頂』 3776mからの雲海
♪『御嶽山』 3067m山頂にて祐キリン& 御嶽山“御来光”
♪『小十』(銀座8丁目)