No.89 |
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由美グルメリンNo.1----あけましておめでとうございます♪ 『ベルセルバCC』で“ブルームーン”と元旦の“初日の出”観賞♪ 雄大にして繊細さを兼ね備えた“井上誠一設計”の名門『浜野GC』でのキリンズ♪ “お稲荷さん”の総本宮『伏見稲荷大社』&“京のお伊勢さん”こと『日向大神宮』参拝♪ 井上
旭オーナーシェフの“伝統のフレンチ”京橋『シェ イノ』で2009年最後のフレンチ♪“大地の恵み”から生れる“有機野菜”と旬の素材を楽しめる『ボンサルーテ』♪ |
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初詣 麓にぎわう 稲荷山 朱き鳥居の 稲荷大神 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
あけましておめでとうございます。 |
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さて、掲歌は全国に3万社もあると言われる“お稲荷さん”の総本宮『伏見稲荷大社』へ詣でた歌を詠みましたが、この『伏見稲荷大社』は、和銅4年(711)2月初午、稲荷山に大神様がはじめて鎮まられたことを起源として以来、1300年(来年が1300年)にわたり、農業神から商業神、屋敷神を祀り、今日では五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、芸能上達等の守護神として信仰されている神様です。http://www.inari.jp/ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『伏見稲荷大社』の“イナリ”は“イネナリ(稲成)”がつづまった古語で、“稲”はまさしく人間の生活を支える“命の根”と言える存在で、生きる上で大切な“稲”への感謝の気持ちが、「稲荷大神」信仰の起源へと繋がっていますが、ただ、この“お稲荷さん”を“狐”のことだと思っている人も多く、しかし“お稲荷さん”は「稲荷大神」のことで、狐はそのお使いに過ぎません。 |
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ですから『伏見稲荷大社』の至る所で見かける“狐の像”は狛犬のような存在で、この大社のシンボルは、何といっても数多の“鳥居”で、生命を育む太陽の色、朱色に塗られた“鳥居”には、豊穣の神である「稲荷大神」への信仰が表され、この地に数千本と立ち並ぶ“千本鳥居”ができたのは、崇敬者たちの祈願または感謝による奉納が次々に行なわれたためです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また朱塗りの“鳥居”以上に多くの奉納が見られるのは、稲荷山に点在する“お塚”で、この“お塚”とは、個人がそれぞれの家で祀る“某稲荷大神”の神名を石に刻み、奉納したものですが、これを稲荷山で祀りたいとする信仰が「お塚信仰」で、現在、数万の“お塚”が存在していますから、是非、次回参詣の際には、この“お塚”や、千本鳥居を過ぎてから稲荷山に登って、“静かしの神社”「伏見神寶神社(かぐや姫伝説の神社)」を詣でてみてはいかがですか?そしてこの「伏見神寶神社」は、「伊勢神宮」の末社とされていますから、“お稲荷さん”と“お伊勢さん”の両方のご利益が授かれるかもしれませんね。 http://www.geocities.jp/myth_investigation/t_fushimikamutakara.htm |
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そんな“お伊勢さん”にちなんで“お稲荷さん”の後は、“京のお伊勢さん”こと『日向大神宮』へと向かい、南禅寺の水路閣に上がり疎水沿いに進んだインクラインの上端部より、石橋を渡って急坂を登ると辿り着く『日向大神宮』へと参拝しましたが、ここには、伊勢神宮と同様 に“外宮”と内宮”があり、神明山山腹に位置するこの神宮は、「伊勢神宮」を模したとも云われる“神明造”の建物で、屋根にはV字に見える千木(ちぎ)、鼓のような堅魚木(かつおぎ)が載せられ、“外宮”もほぼ同じ“神明造(堅魚木の数が1本少なく7本)”ですが、ただし“内宮”の千木が内削ぎなのに対し、外削ぎと云う特徴があり、京都ではこの“神明造”の社殿は珍しい形態とされ(ちなみに伊勢神宮の“神明造”は他に模倣を許さない造りとして「唯一神明造」と呼ばれています)、南禅寺の喧噪とは裏腹に訪れる人も少ない『日向大神宮』ですが、紅葉の隠れた名所ともなっていますから今年の秋は是非訪れてみてはいかがですか? http://www.hi-ho.ne.jp/kyoto/himukai.html http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10425941294.html |
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きびきびと 万物寒に 入りにけり ―富安風生 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
“寒の入り”となり、“松の内”を迎え明けゆく「正月」ですが、『由美』&『けんたうろす』を今年も変らずご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。尚、アメブロ「銀座由美ママの心意気」http://ameblo.jp/ginzayumimama/を毎日更新しておりますので、由美HP www.yumi-ito.com の12月の更新と合わせてご覧下さいませ。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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由美グルメリンNo.2-----杉本 彩さんと夕暮れの『椿山荘』&『ミクニマルノウチ』で“江戸東京野菜”と東京産の“旬”の素材のフレンチを味わったひととき♪ 福井県屈指の名湯“あわら温泉”『まつや千千」時忘れ離座と“越前かに”♪ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
たそがれを少し過ぎてもわが入りし あわらの湯場の雪とともしび―与謝野晶子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦では“泉水温をふくむ”「小寒」次候を迎えましたが、「成人の日」の連休はいかがお過ごしでしたか? |
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さて、120年余りの歴史を誇るこの「あわら温泉」とは、古くより多くの文人や著名人に愛されてきた“関西の奥座敷”ですが、美しい庭園を誇る数奇屋造りの名宿や独創的な近代旅館が、独特の風雅を醸し出し、さらには湯落としから湧き出る湯けむりや、石畳を歩くと風にそよぐ柳並木に、温泉街のしっとりとした風情を堪能でき、身も心も開放され、そんな名温泉郷で、今回滞在した宿は、「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」に10年連続入選中の宿『まつや千千』で、この宿の“源泉露天風呂付客室”「時忘れ離座」に宿泊しました。 http://www.matuyasensen.co.jp/hanareza/index.html |
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ここで、北陸・福井県の北部に位置する「あわら温泉」の歴史を紹介しますと・・・ 芦原温泉は、開湯当時の名を「十楽温泉」と言い、その昔、この中心部の温泉地帯は低湿な沼地でした。明治16年にその沼地を、町内堀江十楽のひとりの農民が灌漑用の水を求め、水田に井戸を掘ったところ、約80度の温泉が湧出したのが始まりとされ、翌、明治17年には何軒かの温泉宿が開業し湯治客を泊めるようになり、その後、明治45年に旧国鉄三国線が開通して以降、温泉街として発展していき、福井大震災(昭和23年)芦原大火(昭和31年)など度重なる震災を乗り越えて今日に至る名温泉郷です。 |
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また、歴史上では、芭蕉が「おくのほそ道」の旅、加賀路で立ち寄った西行ゆかりの吉崎御坊の地(福井県あわら市浜坂)の「汐越の松」も在り、芭蕉はこの「汐越の松」を絶賛し、以下のごとく思いを残しております。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
―加賀の地より 越前の境、吉崎の入江を舟に棹して汐越の松を尋ぬ。 |
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ただ、西行ゆかりのこの「汐越の松」は、現在、「芦原CG』コース内に位置し、朽ち果てた“松の残骸”だけが残るのみで、ゴルフ場への事前予約が必要とのことですから、ご覧になりたい方はプレーをなさるか、クラブハウスを訪れて見学の許可をもらわねばならず、でも、たとえ朽ち果てた“松”でも、日本海の冬の荒れた潮騒を聞きながら、古の歌人たちに想いを馳せてみるのも素敵なことでしょうね・・・ あいにくの雨と体調不良で、目的の芭蕉ゆかりの“加賀路巡り”へは行けませんでしたが、車窓遠くに白山の雪が、美しく光っているのを眺めながら、かの芭蕉に想いを馳せ「あわら温泉」を後にした旅でした・・・ |
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山中の温泉に行くほど、白根が嶽跡にみなしてあゆむ・・・おくのほそ道より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは、北陸の地でゆったりと寛いで、身も心もリフレッシュして参りましたキリンズを今週もよろしくお願い致します。 尚、アメブロ「銀座由美ママの心意気」http://ameblo.jp/ginzayumimama/を毎日更新しておりますので、由美HP www.yumi-ito.comと合わせてご覧下さいませ。 |
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由美グルメリンNo.3----地球温暖化防止のための「チャレンジ25キャンペーン」キックオフ・イベントで杉本 彩さん首相官邸へ!♪ 梅窓院の竹林に佇む『暗闇坂 宮下』青山店で味わう“旬魚旬菜”♪ 日本橋の隠れた名店『西洋料理 島』で兵庫県浜坂港・久吉丸のズワイガニ&セイコ三昧の夜♪ 産地直送のこだわりのお寿司!銀座すし処『きたむら』での“旬魚尽くし”♪ |
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果てしなく 北極熊が 泳ぎ行く | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦ではまもなく“蕗のとう花咲く”「大寒」を迎える頃となりましたが、“寒土用入り”した週末はいかがお過ごしでしたか? 私は先週のある一日、友人の杉本 彩さんとともに、首相官邸で行われた“二酸化炭素削減”地球温暖化防止のための「チャレンジ25キャンペーン」と題するキックオフ・イベントへと参りました。http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10434705525.html |
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この「チャレンジ25キャンペーン」とは、地球温暖化防止に向けて温室効果ガスを25%削減する目標の実現を目指し、家庭や企業に、二酸化炭素をできるだけ出さない取り組みを求める“キャンペーン”で、この日、総理大臣官邸で行われた式典には、“キャンペーン”の応援団に任命された俳優の加山雄三キャプテンや杉本
彩さんをはじめ、スポーツ選手や気象キャスターなどが参加し、鳩山総理大臣のスピーチでは総理自ら、「家庭こそ、3割以上も温暖化ガスの排出を増やしていることに、私たちは気がつかなければなりません。地球全体・人間全体・暮らし全体のダイエットを今日から始めましょう!」と話され、「先ず、国民一人一人がエコを増やしましょう!」と協力を呼びかけていらっしゃいました。http://www.env.go.jp/ |
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さて、日本は、主要な排出国の参加を前提に2020年までに温室効果ガスを25%削減する目標を掲げていますが、この“キャンペーン”では、目標の実現を目指して暖房の温度を下げたり、自転車を利用したりする環境に優しい生活スタイルや、ハイブリッド車や太陽光発電など、二酸化炭素の排出が少ない製品を選ぶことなど、日々の暮らしで実践できる“25の行動”を示して国民や企業に協力を求めていますが、政府はこの“キャンペーン”を機に賛同する個人や企業にインターネットを通じて登録してもらい、多くの人に参加してもらいたいとしています。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
そんな中、彩さんはスピーチの中で(僅か30秒余りの短い時間では伝え切れないのですが)、地球温暖化による環境破壊と野生動物の生態は切り離せない問題として、この現状をさり気なく、しかし毅然と「私はいつも開発によって犠牲になる美しい海や、環境破壊によって住みかを追われた野生 動物が怯えながら逃げ回り、挙げ句に銃殺される姿をニュースで見る度、心が痛みます。自然や野生動物や生物の保護を無視した開発には、人間の傲慢さと愚かさを感じずにはいられませんし、これらの問題は環境問題です。私たち日本人は、保護と開発の調和を図り、動物や自然に優しい開発を目指さなければならないと思います!」「動物と自然と人間との共存の道を探すことでしか、本当の豊かな未来はないはず!」と熱く語り、さらには、「このイベントに出席したことで、よりエコへの意識を高く持ち、愛と思いやりの心で、環境問題に目を向けていき、私たちにできるエコ活動を実践していきたいと思います!」と総理大臣、環境大臣他、各界のお偉を前に、決戦前の戦国武将のごとく闘志を内に秘めて静ながらも堂々としたスピーチを披露してくれていました! http://ameblo.jp/sugimoto-aya/entry-10434133748.html |
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そんな燃える“美の戦士”杉本 彩さん&由美ママの動物愛護の活動を地球温暖化防止のため=野生動物保護となる「チャレンジ25キャンペーン」とともにこれからもご支援いただけますようよろしくお願い致します。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
銀河の下 犬に信頼 されて行く ―西東三鬼 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは、冷たい空気の透明感が漂う“凛”とした季節「大寒」ですが、今週はこんな寒風荒ぶ冬枯れの中でも『由美』&『けんたうろす』へのご来店を心よりお待ち申し上げております。尚、アメブロ「銀座由美ママの心意気」http://ameblo.jp/ginzayumimama/を毎日更新しておりますので、由美HP www.yumi-ito.com と合わせてご覧下さいませ。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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由美グルメリンNo.4----“呉竹の里”根岸に『子規庵』を訪ねたひととき♪ “振袖火事”明暦の大火供養塔参詣 at『本妙寺』♪ “いながらにして憶いを馳せ時を越えてめぐり会う・・・”大分の郷土料理を堪能できる銀座『坐来 大分』♪ 八重洲『日本橋ゆかり』兵庫県柴山港直送の“松葉かに”三昧♪ |
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くれ竹の根岸の里にかくれたる人を訪ふ日のうす花ぐもり ―正岡子規 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦では“水沢あつく堅し”「大寒」次候を迎え、今朝は“寒中”ながらもやわらかい日差しに目覚め、微かに春の息吹が感じられる一日となりましたがいかがお過ごしですか?私は一昨日、江戸の歴史散策へと、先ず「明暦の大火」の供養にと巣鴨の『本妙寺』を詣で、“振袖火事”で亡くなった“お花”“おたつ”“おとき”http://www6.ocn.ne.jp/~honmyoji/に祈りを捧げてきましたが、その後は鴬谷駅の近くの“呉竹の里”根岸に在る「子規庵」へと行き、正岡子規が晩年を過ごしたこの家にて子規を偲んで参りました。 http://www.shikian.or.jp/sikian0-0.htm http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10437739879.html |
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さて、谷中の崖線を下りて線路を越えると、古の江戸郊外の静かな里村“日暮ノ里”ですが、江戸期からこの辺りは“呉竹の根岸里”などと呼ばれ、趣味の深い風流な画家や風流好みの文人が集って暮らす土地柄で、この地に在る「子規庵」は、6畳間と8畳間に小部屋が付いた木造平屋の粗末な家ですが、どこか懐かしく温かな感じが心に残る家で、庭に面した6畳間が子規の晩年の病室となり、子規はこの部屋で死の直前までガラス越しに見渡せる庭の季節の移り変わりを俳句にしました。 当時、ガラス窓は高価で珍しいものでしたが、子規の弟子や友人からのプレゼントだったそうで、そのお陰で、庭に植えられた糸瓜や鶏頭など四季折々の草花を眺めることができ、いくつもの名作が生れましたが、ここではそんな“冬枯れ”の中でも、ガラス戸を通して見える庭の棚に下がる大きな糸瓜が印象的でした。 |
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ところで、この「子規庵」の建物は戦災で焼けおちてしまい、その後、弟子たちが昭和26年に再建し、今に至りますが、部屋には子規の使っていた文机があり、そこから眺める庭の景色は都会とは思えない風情が感じられ、また、玄関脇の小さな部屋には晩年の絵日記の写真が飾られ、水彩で描かれた朝顔などの植物が、子規の手で生き生きと描かれていました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
こうして子規はこの家に病臥しながら、文学近代化のために精力的に情報を発信し続け、その病室には、常に明治の代表的な文学者が集い、文学論を交わし合っていましたが、そんな中、明治28年(1894)の大晦日には、夏目漱石や高浜虚子が年末に尋ねてきた喜びを歌った「漱石が来て虚子が来て大三十日」と云う句も詠まれ、また見合いのため松山から上京したこの漱石を待つ気持ちを「梅活けて君待つ庵の大三十日」とも詠んでいますが、まさにこの頃が「子規庵」での最も幸せな時期だったのでしょうね。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ここで子規のプロフィールを少し紹介されていただきますと・・・ 子規は慶応3年(1867)、現在の松山市に生まれ、本名は常規(つねのり)、幼名は処之助(ところのすけ)、のち升(のぼる)と改めました。父は松山藩の藩士で母は儒学者の長女。17歳で東京大学予備門(後の第一高等中学校)へ進み、この時の同級生が夏目漱石で、やがて二人は信頼を寄せ合う親友になり、その後の 『ホトトギス』を創刊し、文章革新運動をすすめ、高浜虚子など多くの門弟を輩出しました。またこの「子規」という号は、子規が22歳の時に初めて喀血し、その夜“ホトトギス”の句を作ったことに始まりますが、“ホトトギス”は“時鳥”とも“不如帰”とも“子規”とも書き、口の中が赤く、そこから肺結核の代名詞ともなったのですが、子規を襲ったこの病いは、その後も直ることなく、やがて命を奪います。結核性の瘍椎骨カリエスも併発した厳しい病状については『病牀六尺』 に詳しく、食べては苦悶し、それでも食べ続けた怒涛のような食欲については『仰臥漫録』に記されていますが、絶筆となった俳句は、“糸瓜(へちま)”を詠った三句で |
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「糸瓜咲て 痰のつまりし 佛かな」 「痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず」 「をととひの 糸瓜の水も とらざりき」 |
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今年も夏になると、この「子規庵」の庭には立派な“糸瓜”が実ることでしょうが、子規が「病牀六尺、これが我世界である」と書いた小さな部屋の畳の上に座って庭を見ていると、いまでも子規のエネルギーが全身に感じられて、圧倒される思いですが、明治文学の創造的な考えは、この小さな住いの小さな部屋から生まれたかと思うと不思議な感じがして、また、この三句を得るために「子規35年の生涯があった・・・」とまで言われるほどの絶唱ですが、明治35年9月19日、“糸瓜”を詠んだ上記三句を残して、僅か34歳11ヶ月で亡くなった子規の命日は「へちま忌」と呼ばれています。 |
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鶯谷駅と日暮里駅の間の目立たぬ場所にあるこの「子規庵」ですが、辺りは安ホテルが立ち並び、今では子規の暮らした時代の風景は想像できませんが、「夏の夜の音」の中にでてくる“列車の音”だけは、今でもすぐ傍から聞こえて来て、庭の萎びた“糸瓜”がぶらさがる棚を眺めてから、若くして亡くなった子規の無念さを心に深く刻んで帰路に着きました・・・ http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10442359337.html |
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―我に二十坪の小園あり。園は家の南にありて上野の杉を垣の外に控へたり。場末の家まばらに建てられたれば青空は庭の外に拡がりて雲行き鳥翔る様もいとゆたかに眺めらる。―「小園の記」より(明治31年10月) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは、“くれ竹の里”にひっそりと造られた“小園”を眺め、子規へ想いを馳せて参りましたキリンズですが、どうか睦月終わらぬうちに、『由美』&『けんたうろす』へと、あなた様のご来店を心よりお待ち申し上げております。 尚、アメブロ「銀座由美ママの心意気」http://ameblo.jp/ginzayumimama/を毎日更新しておりますので、由美HP www.yumi-ito.com と合わせてご覧下さいませ。 |
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