No.37 |
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キリンシスターズ グルメリン No.1‥“奈美さん&ゆかさん誕生日会”♪ 『けんたうろす』9月のCocktail♪ さかもと未明
appeaed on“TIME”♪ 『源 吉兆庵』秋の味覚“十五夜”&“長寿仙”♪ “一日一組”料亭『吉川』♪ “祝一周年”日本料理『福樹』♪
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あはれ秋風よ 情(こころ)あらば伝えてよ 夕餉にひとり さんまを食らひて 思ひにふけると ―佐藤春夫「秋刀魚の歌」 |
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暦では長月となり、“禾実る”「処暑」も末候となりましたが、秋空の美しいこんな清清しい朝はいかがお過ごしですか? | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さて、秋の味覚の代表格は何といっても「秋刀魚」で、“サンマ漁”の声を聞くと夏も終わりを遂げますが、この“サンマ漁”は、元は延宝年間(1673〜1681)の頃紀州で始まり、伊勢志摩を経て、伊豆・房総まで広まったと謂われています。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「秋刀魚」の名の由来は、“狭真魚(サマラ)”や“祭魚(サイラ)”と呼ばれていたのが転化し、江戸時代には“三馬”と書かれていたのが、明治になり、今の「秋刀魚」の漢字が付けられと云われていますが、、関西では今も「秋刀魚」は“サイラ”と呼ばれているようで、それは昔、大漁祈願をこめて神嘗祭の供えとしたことから“祭魚(サイラ)”となったそうです。 この他「秋刀魚」の各地での呼び名は実に様々で、新潟では「バンジョ」、和歌山・富山では「サヨリ」、長崎では「サザ・セイラ」、鳥羽では「マルカド」などがあります。http://homepage2.nifty.com/shirawobi/05.04honnbunn.html |
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ところで当時の江戸では、脂っこいのが下品と“下魚”として全く人気の無かった「秋刀魚」ですが、それが庶民に食べられるようになったのは、江戸265年の歴史の中で、何と96回もの大火事に見舞われてしまい、そのため江戸庶民は食べ物に上品だ下品だと言えない事態に追い込まれ、“下魚”の「秋刀魚」も食されるようになりました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また古典落語の有名な「目黒の秋刀魚」は、目黒に不動参拝を兼ね鷹狩に出かけた殿様が、近所で焼く美味しそうな「秋刀魚」の匂いに誘われて、茶屋の主人に昼食を所望し、そこで出てきた焼きたての「秋刀魚」をいたくお気に召し、その後お城でも所望されますが、出されたのは、殿様の健康を気遣い塩気と油気を落とし、また毒見のために冷め切った不味い“房総産”の「秋刀魚」で、そのことから“秋刀魚は目黒に限る”という具合になりました。(産経新聞 9月1日朝刊“産経抄”より) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
秋刀魚、秋刀魚、秋刀魚苦いか塩っぱいか。 そが上に熱き涙をしたたらせてさんまを食ふはいづこの里のならひぞや ―佐藤春夫「秋刀魚の歌」 |
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それでは、「秋刀魚の歌」のごとく、訳もなく物悲しさに憂う秋も、もう間近です。 どうかこの週末は、こんな身近な食材「秋刀魚」を食し、静かに物思いに耽れるような初秋の良き休日をお迎えくださいませ。 |
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キリンシスターズ グルメリンNo.2‥長月5日・6日“奈美さん&ゆかさん誕生会”♪ 『TANTO TANTO elegante』で迎えた誕生日♪ 7日・8日・9日『由美秋まつり』♪ 初秋の寿司対決『原だ』vs『きたむら』♪ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
夕月夜(ゆふづくよ) 心もしのに 白露の 置く此の庭に 蟋蟀鳴くも ―湯原王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦では、まもなく“草に降りた露が白く光る”「白露」も初候となりますが、この週末の東京は、“露”どころか秋の虫の音の風雅さえ愉しめず、記録的な大雨に見舞われましたが、皆様に於かれましては、ご無事でいらしゃいますでしょうか?? | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生憎、世田谷の我家は、この集中豪雨のあまりの凄まじさに浸水の被害に遭い、各地の被災者の方々には心よりお見舞い申し上げます。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さて、そんな“秋の長雨”に泣かされたキリンズでしたが、秋といえば“夜長”。その“長い夜”の慰めになるのが、冒頭の万葉の句のごとく“虫の音”ですが、綺麗な音を奏でる「蟋蟀」は、いち早く「立秋」過ぎから涼しやかな音色を届けてくれます。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この「蟋蟀」の呼び名は数多く、いとじ・ころころ・ちちろ虫・筆津虫・閻魔蟋蟀・三角蟋蟀・おかめ蟋蟀・つづりさせ蟋蟀などと様々な異名がありますが、万葉の時代の「蟋蟀」は、実は、秋の虫の総称で、「露」や「萩」などとともに“秋の虫”とし、「蜩」と好個の景物として登場しています。 それが平安時代の「古今集」になると、いつしか“コオロギ”は“キリギリス”と云われるようになり、秋の夜の寂しい思いを触発させる歌へと変わって行きますが、この「蟋蟀」の漢字の由来は、「揚子方言」と云う中国の古本によると、“コオロギ”を表す漢字は、本来ならば、“蜻”という字と“虫偏に列”という字から成る「蜻蛉(とんぼ)」によく似た印象のものが、標準語で、「蟋蟀」という漢字は、元は楚の地方の方言だったと云われています。 |
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この“蜻”に“虫偏に列”という二文字から成る標準語の“コオロギ”を、広東語で発音すると「ツィンリッ」で、ベトナム語の発音は「ティンリエッ」となり、日本人にも耳慣れた「チン、リーリーリー」という“虫の声”に大変よく似ていますが、このことからも“コオロギ”を表す二種類の漢字の組み合わせは、たとえ楚の方言にしろ、また古代の標準語にしろ、“虫の音色”を漢字に音写したものであることは、字の成り立ちからも疑いようもなく、でも果たしてこれらの 字に示されるように、最初に“虫の声”を聞いた人たちは、いったい誰だったのでしょうか、謎は益々深まるばかりですね。 http://www.mekong.ne.jp/column/eguchi/eguchi39.htm http://gloweb.chiikikagaku.co.jp/rotary/80925.html |
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ところで、日本人にはあまり馴染みがありませんが、中国では「闘蟋(とうしつ)」、もしくは「闘虫曲々」と云う伝統的な行事がありますが、この「闘蟋」とは、重量別に2匹の雄コオロギを闘わせ、ひと秋かけて最強のチャンピオンを決める遊びで、古くは1200年前の唐の時代にすでに「闘蟋」をしていたと云う記録が残っています。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
男たちは「闘蟋」の“熱い闘い”に、金と知恵の全てを惜しみなく注ぎ込み、過去には家屋敷を失う者や、また一国を滅ぼした宰相さえいましたが、その短い闘いの中には、真剣勝負のスリル感や楽しみがあり、小さな虫「蟋蟀」に賭ける期待の大きさや、「蟋蟀」と人との一体感までも凝縮されていて、「闘蟋」はまさに賭博だけではなく、昆虫学や文学はもちろんのこと、美術、工芸、骨董などのあらゆる分野での奥義を追求し、とうとう文化の域まで到達してしまった“究極の遊び”のように思えます。 http://www.taishukan.co.jp/item/toshitsu/toshitsu.html http://mizotalab.miyakyo-u.ac.jp/Mizotalab/profile/topics/cricket/cricket.html |
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小説では、この中国のコオロギ文化を紹介し、自らも上海の老子に弟子入りした瀬川千秋の著書「闘蟋」が有名ですが、その他では、ラストエンペラー溥儀に仕えた宦官の一生を描いた「最後の宦官 溥儀に仕えた波乱の生涯」(凌海成著)には、溥儀の叔父で、“蟋蟀狂い”の溥涛が登場し、そのエピソードの中で溥涛は、強いコオロギを手に入れ、飼育するための達人を雇いますが、彼らの語る薀蓄の凄まじさは、日本人には到底理解できないながらも圧巻で、コオロギの顔色から、果ては紋様や形状までを細かく吟味し、さらには、漢方や道家思想を加味したコオロギの観相術までも披露してくれています。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また「闘蟋」に使われる“虫道具”がなかな洒落ていて、骨董としても貴重な価値のものが多く、あいにく“虫を持ち歩く”趣味はないものの、是非一度は手に入れてみたく思うキリンズでした。 |
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草深み こほろぎさはに 鳴くやどの 萩見に君は いつか来まさむ―万葉集 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは、“草深く蟋蟀がたくさん鳴く”秋ですが、今週はそんな中、銀座にても“萩見に”、どうか『由美秋まつり』へと、お越しいただけますこととお待ち申し上げております。そして今宵もこんな秋の“長雨”ですが、『奈美さん&ゆかさん誕生会』へも、きっとささやかなお祝いをしていただけますことと信じて、ご来店を心よりお待ち致しております。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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キリンシスターズ グルメリンNo.3‥“由美秋まつり”♪ Happy birthday to ゆか&奈美 at『ミクニ』♪ 小杉小二郎展 at日本橋三越本店♪ 築地『さとう』♪ 『源 吉兆庵』9月の生誕記念菓子“竹久夢二ごのみ”♪ |
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早く咲け 九日も近し 菊の花 ―芭蕉 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
いよいよ秋がはじまり、野草に白露が宿りはじめる季節となりましたが、まもなく9月9日の「重陽の節句」を迎える今週はいかがお過ごしですか? | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この「重陽の節句」“九月九日”は、現在では馴染みが薄くなってしまいましたが、江戸時代には、一月七日・三月三日・五月五日・七月七日と合せて「五節句」と云い、大変重要な行事でした。 |
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その起源は、他の節句と同様に古代中国に遡り、中国では昔から奇数は縁起のよい“陽の数”とされ、一番大きな“陽の数”である九が重なる“九月九日”を、「重陽」として節句のひとつとしてきました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古来中国ではこの「重陽」に、茱萸(しゅゆ=ぐみの実)を袋に入れて丘や山に登ったり、菊の香りを移した菊酒を飲んだりして邪気を払い長命を願うという風習がありましたが、これがやがて日本に伝わり、平安時代には「重陽の節会(ちょうようのせちえ)」として宮中の行事となり、その後の江戸時代には武家の祝日となりました。また「重陽の節句」は別名“菊の節句”とも呼ばれ、宮中行事としては天皇以下が紫宸殿に集まり、詩を詠んだり菊花酒を飲んだりして穢れを祓い長寿を願いました。 |
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このことを踏まえて冒頭の句で芭蕉は、早く咲かないと“菊の節句”に間に合わないと、自身の伊勢への旅立ちの心の準備を含めての思いを“菊”に託して詠んだのでしょう。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ところで、“菊の節句”の風習は「枕草子」や「紫式部日記」に於いても伺うことができ、その中で「重陽」の前夜は、“菊の被綿(菊の蕾に綿をかぶせて、菊の香りと夜露を染み込ませたもの)”で、宮中の女官たちの身体を撫でたと書かれており、まるで平安貴族の風雅な様が伝わるかのごとくですね。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また中国では、菊の花には不老長寿の薬としての信仰があり、鑑賞用としてよりも先に薬用として栽培され、日本にも最初は薬用として中国から伝わったとされていますが、今では華麗な花姿の反面、酢の物や匂い消しとして重宝され、食用としても盛んに栽培されている“菊”ですが、この“菊”の花を最初に食材としたのは、室町時代からで、その後、青森・秋田・山形などの生産地を中心に“菊料理”が生まれました。 http://www.bukyu.com/seck/s9.html |
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折々は 酢になる菊の 肴かな ―芭蕉 |
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それでは、今週は「重陽の節句」にちなみ、楚々と美しく咲く“菊”観賞に『由美秋まつり』へとお待ち申し上げております。 そして『由美秋まつり』では、古えの風情で“菊”の芳香を匂い、皆様のご健康を祈って“菊酒”で乾杯させていただきたく思います。 |
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キリンシスターズ グルメリンNo.4‥奈美さん&ゆかさん誕生日にはありがとうございました♪ GLAMOROUS 10月号“さかもと未明”♪ 標高2240mの大パノラマ“ピラタス蓼科ロープウエイ”♪ 八ヶ岳連峰の麓『蓼科高原CC』♪ “初ふぐ”『福治』♪ 懐食『みちば』♪ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
菊の香に くらがり登る 節句かな ―芭蕉 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦では“鶺鴒鳴く”「白露」も次候となり、野草に宿る「白露」に秋の趣が感じらる頃となりましたが、日本列島が選挙一色に沸いたこの週末はいかがお過ごしでしたか? | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キリンズは事前投票を済ました後、「重陽の節句」の翌日は、芭蕉のごとく“菊の香”を頼りに信州蓼科高原へと、澄んだ空気の中、蒼い空とやや“秋色”に色付いた緑の眺望を満喫して参りました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さて、古来中国の「重陽の節句」の風習には、主に“登高”“菊賞”“茱萸を挿す”“菊花酒を飲む”というものがありますが、唐の時代には、「重陽節」に高い所に登り、菊を賞で、茱萸を挿すと云う風習は普遍的であり、その当時、飲酒して詩を詠じるのは既にしきたりとして存在し、皇帝も自ら「重陽節」の行事に参加したと云われています。中でも唐の中宗の「李顕」は、先に立って高い所に登り、客を宴して詩を作り、また詩聖と称される「杜甫」は、病をおしても高い所に登ったり、さらに唐の詩人「孟浩然」「王維」なども“重陽”の美しい趣のある詩を残しています。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また“賞菊”も昔からの風習で、孟元老の「東京夢華録」に、北宋の開封で「九月重陽、都の下で菊を賞でる」盛況が記載されおり、清の時代には「重陽」の前後に“賞菊会”が三年、五年、十年毎に開かれ、その中でも六十(甲子)年の“賞菊会”は空前の盛況を呈し、言伝えによると一生のうちに、二回の“甲子の賞菊会”に出会えた者には福があると云われ、「万菊は艶を競い、菊竜は飛ばんと欲す」などと、詩人が菊を詠じ、画家が菊を描き、とても雅なる宴だったそうです。 |
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そんな“賞菊”にはやや早いものの、キリンズが今回出かけた信州蓼科高原は、八ヶ岳の麓にゆったりと広がり、南アルプス・中央アルプスの雄大な大パノラマに囲まれた自然豊かな避暑地ですが、その歴史は古く、中でも「蓼科温泉郷」は、昔、坂上田村麻呂が発見したと云う説や、また武田信玄の隠し湯だったなどど多くの伝説が残されている名湯でした。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
十六夜も まだ更科の 郡かな ―芭蕉 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは、信玄縁の信州蓼科の“名湯”に浸かり、リフレッシュして参りましたキリンズを今週もよろしくお願い致します。 そして今週は芭蕉のごとく風情で「中秋の名月」を観賞できるような風流な日々を、銀座にてもご一緒出来ますことと楽しみにお待ち申し上げております。 |
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キリンシスターズ グルメリンNo.5‥三連休前も『由美』&『けんたうろす』をよろしくお願い致します♪ 『Club33』at Tokyo Disneyresort♪ さかもと未明 at『Austral』♪ 北大路魯山人の器コレクション『銀座 久兵衛』♪ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
秋月は知らず 古今有ることを |
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暦では、まもなく「白露」も“燕去る”末候となりますが、「十五夜」を迎えるこの週末はいかがお過ごしのご予定ですか? | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この「十五夜」旧暦8月15日(2005年は9月18日)を「中秋の名月」といいますが、“月”を愛でる風習は元は古来中国の行事からで、月に瓜や果物を供え月餅を食べたといいます。日本では、平安時代に公家の間で月宴が催され、室町時代には武家社会で“明月御祝”として芋粥、なすを調進する行事がありましたが、今ではこの夜を「十五夜」「名月」「月見」などと呼んで、月見団子や薄の穂を月に供える行事として広く行われるようになりましたが、地方によっても様々な風習が生まれました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また旧暦の九月十三夜を「後の月見」と呼ぶのは日本独特で、「十五夜」と同じ行事が行われる地域もあるようですが、この「十五夜」「十三夜」の両方の夜に“月見”をする風習は、主に関東地方に多く、どちらか一方だけ“月見”をすることを「片月見」といい忌み嫌います。 その他の地方によっては「十五夜」の事を「芋名月」と呼ぶ地域もあり、また「十三夜」を「豆名月」「栗名月」と呼ぶのは、これは“月見行事”が、秋の収穫祭とも関連があったことを示しているかのようですね。 |
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さて、月に縁のある昔話は「竹姫」「十五夜の歌」「十五夜の異名」がありますが、「月姫」は「竹取物語」とほぼ同じ内容で、物語の背景には“月”への深い思い入れがみられますが、ただそんな中、今でこそ「仲秋の名月」を賞する風習は当然の事のように思われますが、平安時代以前には“月見”は行われていなかったようで、その先駆けとなったのが、冒頭の句を詠んだ「菅原道真」で、唐の詩人「白居易」の影響を受ける形で観賞されるようになったそうです。 http://www.h4.dion.ne.jp/~sa-ya/html/mukashi/dennsyou/meigetsu.html http://www.ric.hi-ho.ne.jp/ymkg/jcp/jcpkb064.shtml |
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八月十五夜くもりて月見えざりければ 晴がたき こよひは雲の ひまをのみ 月のいるまで まちやあかさむ(本居宣長) |
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それでは、この週末は地球から一番近いところにある身近な天体“月”を愛でれるような良き週末をお迎え下さいませ。 そして今年の9月18日「中秋の名月」は、ちょうど“満月”のようですので、秋の夜空に輝くまん丸な「名月」を、「宣長」のごとくゆったりと観賞出来ますこととお祈り申し上げます。今宵もそんな想いで、月明かりを頼りに『由美』へのお越しをお待ち致しております。 http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/norinaga3/maitsuki/yo8_1.html |
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キリンシスターズ グルメリンNo.6‥“三連休”に挟まれた三日間もよろしくお願い致します♪ 秋の浅間山『軽井沢ゴルフ倶楽部』♪ 『中軽井沢CG』♪ 『古川展生』Seasons Concert♪ 築地直送“こだわり”の鮨処『吉祥』♪ “Franco-Japonais”『ミクニ』♪ |
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秋の夜の 月の光し あかければ くらぶの山も 越えぬべらなり―在原元方 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦ではまもなく“雷音を収む”「秋分」を迎えますが、晴夜に“満月”が浮かんだ「中秋の名月」の三連休はいかがお過ごしでしたか? | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キリンズの「十五夜」は、残暑厳しい東京を離れ、信州軽井沢へと出かけた休日でしたが、生憎軽井沢での“月”は雲に覆われ、赤い“満月”が拝めませんでした。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さて、“月”は遥か万葉の時代より高貴な人々に愛され、万葉集の中にも“月”を詠んだ歌は沢山登場しますが、月、三日月、月読(つくよみ)、月人、月読壮士(つきひとをとこ)などと様々な表現で呼ばれ、「月の船」という言い方でも出てきます。 |
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また“満月”だけでなく、いろいろな形の“月”が詠まれ、特に“三日月”は、女性の眉を思いおこして詠まれており、このように日本では古来より“月”への思い入れは深く、「かぐや姫伝説」や、“月見を待つ心情”が、数多くの雅なる表現を生み出しました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ちなみに“中秋”というのは陰暦の八月のことで、七月が初秋、九月が晩秋になりますが、日本では古くよりこの「中秋の名月」・八月十五日に、ダンゴと実りの秋の初物の数々や、さらに萩・薄・葛・撫子・女郎花・藤袴・桔梗の“秋の七草”を供え「中秋の名月」を祝う風習がありますが、この“満月”の光を受けた夜露は不老長寿の霊薬という伝承も加わって、この為、“月”にあやかり“満月”だけでなく、その前後の“月”も様々な表現で呼ばれ、風情を楽しむ風習が生まれました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
13日「十三夜」 14日「待宵月」「小望月」 15日「十五夜」「名月」「満月」「望月」 16日が「十六夜(いざよい)」 17日が「十七夜」「立待月」 18日が「居待月」 19日が「寝待月」「臥待月」 20日が「二十夜」「更待月」http://www3.ocn.ne.jp/~soleil25/amoon4.htm |
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十六夜はわづかに闇の初め哉 <http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/izayoi1.htm#ku> ―芭蕉 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは、秋の風雅な“月”今宵「十七夜」は、あいにくこの曇り空では、到底観られそうにもありませんが、でもそんな秋の闇の中でも、きっと雲の僅かな隙間から、今宵の「十七夜」“立待月”が観れますこととお祈り申し上げます。 そして明日以降も、「居待月」「臥待月」「更待月」と今週は風流に“お月見”と洒落てみてはいかがですか? きっとこの三日間は、銀座にてもご一緒に“お月見”が出来ますことを楽しみにお待ち申し上げております。 |
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キリンシスターズ グルメリンNo.7‥彼岸花とキリンズ♪ “魯山人の芸術”『銀座久兵衛』♪ “和の寛ぎ”日本料理・寿司『四季』銀座本店♪ 『The Rolling Stones』A Bigger bang tour♪ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
路の辺の 壱師の花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は―柿本人麻呂 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
暦では「彼岸」も過ぎ、まもなく“蟄虫戸を閉ざす”「秋分」も次候を迎えますが、秋晴れに恵まれたこの2週連続の三連休はいかがお過ごしでしたか? |
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さて、「彼岸」にはこの時季の花として“ヒガンハナ”が有名ですが、万葉集に於いては、「彼岸花」を題材とした歌は僅か一句のみで、冒頭の句に詠まれている「壱師(いちし)」を「彼岸花」とするのが定説です。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また“ヒガンバナ”は「曼珠沙華」の別名もあり、その意味は梵語の“天上に咲く紅い花”で、“あの世とこの世の境に咲く花”と云われていますが、お隣の韓国ではもっとロマンチックに“サンチョ(相思華)”と呼ばれ、葉のあるときは花はなく、花あるときは葉がない咲き姿から、“花は葉を想い、葉は花を想う”と云う意味からこう名付けられました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ところで“華”と云う字は、「曼珠沙華」の形に似ていることから創られた漢字のようですが、この“ヒガンバナ”には実は「曼珠沙花」以外の異名が数多く存在し、但しその大半がイメージの悪い名で・・・ |
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この様な悪い名のイメージから「万葉集」には一句しか登場しなかった所以でしょうが、他の秋の花々と比較してみますと、先ず「萩」が142首に登場し、まだ穂が出始めたばかりの「尾花」は“花すすき”や“はだすすき”と詠まれ、“すすき・をばな・かや・み草”の名で45首に登場し、その他「撫子」25首、「葛」は21首と、その多くは「葛」の旺盛な繁殖力や、蔓がどこまでも伸びていく様を詠んでいます。 |
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曼珠沙華 竹林に 燃え移りをり ― 野見山朱鳥 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは今週は“おめでたい事が起こる兆しに紅い花が天から降ってくる仏教の経典”からの由来の花「曼珠沙華」をそっと愛でれるような良き一週間をお迎え下さいませ。そして花言葉は、“悲しい思い出を花に語りかけると心が癒される”と云う言い伝えから「悲しい思い出」の「曼珠沙華」ですが、どうかたまにはそんな想いで、心をを癒してみてはいかがですか? | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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キリンシスターズ グルメリンNo.8‥10月1日より“新連載” 毎週土曜日“丸ごと1ページの大型時事マンガ” さかもと未明の【憂ちゃんのおしえてプリーズ】by 産経新聞♪ 神野美伽リサイタル at大阪NHKホール♪ 映画『大停電の夜に』♪ “江戸前の伝統”銀座『寿司幸本店』♪ 豪勢な和室での“祝い膳”at 源 吉兆庵『松涛』♪ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
人みなは萩を秋といふよし我は尾花がうれを秋とはいはん ―万葉集 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日増しに夜が長くなり、秋風に「薄」が揺れる様に秋の気配を感じる頃となりましたが、いかがお過ごしですか? | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
さて、秋には冒頭の万葉の句のごとく「薄」が野に群生し、大きな穂が風に揺られている様が、古えよりの秋の風雅な光景のひとつですが、「薄」は秋の七草の1つに数えられ、前号(No.291)に於いても既に紹介させていただきましたが、「万葉集」の中にはススキ・をばな・かや・み草の名前で45首に登場し、また穂が出始めたばかりの尾花は、“花すすき”“はだすすき”として詠まれています。http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この事からも、古来より「薄」は、秋を代表する風物詩として定着し、さらに「薄」は「萩」よりも“秋らしい花”と冒頭の句の中でも詠まれていますが、しかし普段何気なく「薄」だと思いながら見遣る風景の中で、長い穂を風に揺らしているその草花は、実は、同じ秋の代表的な風物として古くから和歌に詠まれている 「荻(をぎ)」であることも多く、余程注意深く見ないかぎり、「薄」と「荻」の違いが未だによく見分けられない程です。 |
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この二つの見分け方は、先ず「荻」の特徴としては、「薄」にそっくりながらも湿地に群生し、純白で花が大きいことで区別されますが、その名は“風になびく |
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ところで、両者の詠まれ方を比べてみますと、「万葉集」の「荻」は“穂に出づ”という言葉を伴うものが多く、「薄」の特徴である“穂”に着目して、そこから掛詞的に“穂に出づ”を導かれ―花薄穂に出づることもなきものをまだき吹きぬる秋の風かな(後撰集)と、心に秘めた想いを明らかにする恋歌で、「薄」が用いられる例が多く見出されます。 |
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次に「荻」は、吹く風の“音”によって秋の訪れを感知する歌も多く、この“音”とは
実は“穂”ではなく“葉”で、「荻」は未だ“穂”が伸びきっていない感じで詠まれており、対して「薄」は、“穂”が伸びきった状態を詠われているものが殆んどで、このように両者の詠まれ方は、実際の姿形の違いよりも、「荻」を吹く風は“葉”を鳴らし、秋の到来を感じさせるものとして詠まれ、また「薄」が風になびく様は、手招きする袖に見立てられ、秋を見送る惜別の情を託するものという具合に詠まれ、こうして互いに“穂”を持ちながらも、その詠み方には大きな隔たりがありました。 http://www5.pobox.ne.jp/~kochou/koten/susukiogi.htm |
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荻の葉を吹き越す風の音たかみ穂に出て人に秋を知らする―藤原仲実 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
それでは、この週末はそんな“秋の風物詩”「荻」と「薄」の違いを見分けに野山に出かけ、秋の優雅な様を素肌で感じられるようなよき休日をお迎え下さいませ。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kanto/Tokyo/guide/0106/M0013000995.html http://r.gnavi.co.jp/g763338/ |
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